坐禅の仕方と悟り,見性,身心脱落:井上貫道老師の庵 まとめサイト

Dharma Talks of a perfectly enlightened Japanese Zen Master Roshi Kando Inoue 井上貫道老師が、悟りを体現された経験から坐禅の方法や仏道について語られたものを掲載しています web上に散見される魯山貫道老師のことばも引用掲載し、まとめブログとしました ( これは参禅者によるブログであり、公式サイトではありません ) このブログが正師への参禅のきっかけになりますように

普勧坐禅儀


ゴールデンウィーク中 井上貫道老師新潟摂心や松本自證師連続禅会があります

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「この頃諸方坐禅をゆるくするが故に、仏道衰えたるなり」  ー道元禅師







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▶死ぬまでに一度でいいから自分自身が本当はどうなっているか、自己の真相に気づいてほしいですね
ビックリしますから  ―井上貫道老師


   会社の研修で坐禅に来て、摂心突入、脚が痛くてたまらなかったのに3日で自分が消えた青年 
 や
   自分の娘が亡くなって、本気になって坐禅に打ち込んだら、悟りが開けた和尚さん 

をもご覧下さい。






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過去の少林寺接心の提唱から [ 現在は井上貫道老師指導の少林寺摂心はございません ]

[  接心とは、在家の人も、諸縁を放捨して、道場に寝泊まりして、坐禅修行に専念する数日間
テレビ新聞携帯メールLine見ない、電話にも出ない、参加者同士挨拶も不要、お互い話をしない、自己に参ずるのみの期間 この期間に修行の進む人や悟る人昔から多し 道元禅師は、修行時代、90日間の安居期間中、隣で坐禅する人の顔を知らず 欧米では禅リトリートと呼ばれる ] 
 


以下、最終日の提唱より抜粋。



●漫然と坐っている人は寝ちゃうね。h4zazendosk2
「何もしないのが坐禅」って言いながら・・・。
三十年も坐ってる人は必ず寝ますね。

今の様子に参ずるのが下手なんだね。

寝たら坐禅になりませんよ。




● 眠るのは坐禅の大敵です。

坐禅ってどういうことなのか、よく分かっていないからボーッと眠るんです。

  坐禅で眠くなる人へ:坐禅で眠くならない方法ー仮眠のすすめ など  9/7公開予定の記事



● 坐禅の間には休憩時間がありますが、あれは休憩ってわけではないですよ。

その時間におしゃべりしたりすると、人間は会話に引きずられますからね。

せっかくの坐禅が台無しになってしまいます。




● 接心や坐禅会に来て、おしゃべりをする人は、絶対に修行ができていませんね。
何の世界でも一流の人が自分の仕事をする時は、おしゃべりをしません。

一流のシェフがおしゃべりをしながら、料理を作りますか?

修行者は話をしないものです。

 
 
 

● 「坐禅」というのは、今の実相、活動にそのまま親しくしていればいいんです。
 
「ただ坐る」というのは、
事実、実相、この(自分の)一大活動に親しくいることです。



事実との間に距離がないからこそ「手を付けない」という表現になるわけでしょ。



観察するのではなく、事実のままにあることです。





●今の様子に親しくいれば、先ほどの様子は微塵もありません。そのことで十分です。




●悟っている人も、悟っていない人も、(手にした杖を立てて)こうすればこう見えるでしょ。




● 生きているうちに片を付けないと、ものにならないですよ。
使えません。

できるだけ若いうちに決着を付けて、長い間役に立ってください。

だから修行をぐずぐずしないこと。





● 近い人も遠方の人も、わざわざこの寺に来て接心しようというわけですから、社会のことをここまで持ち込むのはもったいないですよ。

世間のことは打ち捨てて坐ってください。




●本気になって求めると言ったりしますが、本当に坐りたければ坐るもんですよ。

他人がおしゃべりしてようが、寝てようが、そんなの放っておいて坐りますね。




●本当に気になっていれば、四六時中そのことが心から離れないですよ。

気にかかっているものを放っておけるわけがないんです。




●「言うとおりやってみようか・・・」なんて遠慮がちにやるからスカッと行かないんだね、半分ぐらいの人は。(笑)





●「作務」は、一般の仕事とはちょっとおもむきが違います。
ただそのことをそのこととしてやるだけです。

人のためやお寺のためではありません。





●達磨大師は9年間坐禅したと言いますが、9年かけて悟ったのではありません。

すでに悟った上で、坐禅というものの実物を9年間見せ続けたんです。

そして慧可という弟子が得られたんですね。

 ※達磨大師面壁九年で二祖慧可大師を得る 
慧可は達磨大師の前で本気を示すのに、臂(肘ひじ)を自分で切り落としたと伝えられている
この故事に因んで、臘八大接心のあと12月9日に断臂接心(だんぴせっしん)をする道場がある






●なぜ「自分自身に徹見せよ」というかというと、生涯、この自分自身の一大活動しかないからです。 
これこっきりだからです。


   井上貫道老師参禅者の体験談 をもご覧下さい。



井上貫道老師の摂心にだれでも参加できるのですか?

2017年、2018年、2019年もネットでは発表されない攝心がありました。
現在は、新潟のみです。


摂心には、初心とかベテランとかは何の関係もなく参禅ができます。
修行には、「初めて」とか「何年もしている」とかは無関係だからです。

※脚が痛いのではないかと心配される方へ:
長時間坐ることに慣れていなくても、その環境に入ってしまえば坐れます
40分の坐禅途中で一回くらいは隣の人に迷惑にならないように静かに脚を外して休んでも構いません
そしてまた脚を組みます 脚は半跏趺坐か結跏趺坐がおすすめです できる人は結跏趺坐の方が脚を外した後などに膝が痛みません
結跏趺坐けっかふざ・半跏趺坐はんかふざ どちらも正式な組み方です


 坐禅で眠くなる人へ:坐禅で眠くならない方法ー仮眠のすすめ など  9/7公開予定の記事





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急に立ち上がらず、左右揺身を7,8回してから―道元禅師『普勧坐禅儀』から



急に立ち上がると、ひどい眩暈(めまい)になることもある

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以下は、道元禅師『普勧坐禅儀ふかんざぜんぎ』の井上義衍老師提唱録からの抜粋です。
「」内は、普勧坐禅儀原文です。


「若し座より立たば」、坐禅をしておられて、坐禅から立つ時分には、静かに立つということです。

それはどうしてかいいますと、皆さんによく経験がおありになるでしょ。

心が静まり、身体が静まって、静かになっておるときに、眠っておるときに、突然に。ゆさぶり起こされた。びっくりして起きた一日というものは、一日頭が痛いんです。

そういう風なことがありますから、結滞をしておる、血液が静かにおさまっておるのを突然にやりますというと、そこから突如として大きな動きをする、そういうことがありますので、都合によると倒れるということもある。
めまいがする。

sayuyoshintoright_FotoSketcher種々雑多なことがおきますから、そこで立つ時分には、徐々として静かに、坐禅をやめる時分には、「細より粗に至る」とあるように、細かく体をゆさぶって、左右にゆさぶって、そうして[段々と]大きくゆさぶること七、八回して、結滞の様子を解いて、そして立つと。

それを「徐々として身を動かし、安詳あんしょうとして起つべし」、静かに気をつけて起つということです。
「卒暴なるべからず」、「倒れますよ」、こうあります。


―井上義衍老師『普勧坐禅儀提唱』p.33sayuyoshintoleft_FotoSketcher

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[ 管理人 ]
以前、川上雪担老師のサイトを拝読していましたら、雪担老師が、坐禅を終えてやおら立ち上がったところ、体調を崩し、しばらく不調だったと書いてある箇所がありました。

わたしは、「ふーん、そんなことがあるのか」と思っていましたら、
井上貫道老師が左右揺身をせよと仰っていたにも拘わらず、ある時、自宅で坐禅していた時に、左右揺身をせずに、急に立ち上がったところ、気分が悪くなりました。

気分が悪いと云っても、なんというんでしょうか、胃腸系とかの気分の悪さではなくて、頭的な気分の悪さでした。特に動くとそれがひどくなるのです。

治す方法はジッとしていること。坐禅をしていると調子が良くなります。

そんなことがありました。



それから、また別のときですが、坐禅会で禅堂に坐っていて、主催者側なので用事があったので、坐禅が終わってすぐに動こうとしたら、ひどい 眩暈(めまい)になりました。
あまりにひどいので、控室で横になろうとしたら、さらに悪化してグラグラと来て、吐いてしまいました。

頭位性(とういせい)眩暈と云って、横になったらいけないめまいだったのです。
それまで人生でめまいになったことは、上の自宅のやつを除いてありません。

原因は、坐禅が終わって急に動いたことしかありません。


坐禅が終わったら、すぐに立たず(慌てて)に左右揺身(さゆうようしん)必ずやらないといけないんですね。
左右揺身のあと、ペッタンコになった坐蒲(坐禅用の丸いクッション)を分厚くする時間もありますから、その動作も怠らなければ、急に立ち上がることにはなりませんから、大丈夫です。


皆さん、ぐれぐれもご用心してください。





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悟りの体現者・井上貫道老師(曹洞宗)の語録

「道本円通。。。然れども毫釐(ごうり)も差あれば、天地懸(はるか)に隔(へだた)り」ー普勧坐禅儀 (道元禅師)
(道はあらゆる方向に広がり、融通無碍である しかし、髪の毛一本の違いで、天と地との差が出る)



だから考え方を止めると、素通しでものがどうなっているかっていうのが初めて見ることができる。

そうするとその違いが自分でよくわかる。

驚くはずです、見たことのない世界。

同じように生活してるんですよ、ほとんど。

もうひとつの生活なんかしないからね、同じように生活をしてるんだけど、考え方を付けるか付けないかで、全く違う。

― 井上貫道老師


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[ 管理人 ]
人身(にんしん)受け難(うけがた)し、今すでに受く
[自覚した人の] 佛法聞き難し、今すでに聞く

このブログは独学のためにあらず
たった一度の命ある間に、正(しょう)師家(しけ)に参ぜられんことを








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不思量底、如何が思量せん。非思量。これ乃ち坐禅の要術なり。

非思量


「非思量」
ここから先は理屈抜きなんだよ。説明の必要でないところじゃないですか。

(コン)
どうしたら人間の思量分別のついてないところで聞くことができるかって、説明なんか要らないじゃない。

(コン)こういうことを本当にやったらいい。


――井上貫道老師17/3/23提唱から 【3/23提唱DVDからの抜粋】 DVD製作者様による文字起こしになります


【重  要】
神戸楽の森「坐る会」のサイト https://tinyurl.com/kobeteisho
にも、井上貫道老師の神戸坐禅会の提唱の一部が文字に起こされています。

大切なことを分かりやすく提唱されている部分ですので、ぜひ、ご覧ください。


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不思量底如何が思量せん

思量と不思量

思う前の状況がある

思うっていうことがあるということは、そもそもその前の状況がある、ということでしょう。

思うという前はどうなってるかって言ったら、思いがついてないってことでしょう。

人間はその思いがついていないところをあまり大事にしないんですよね。

思いのまだついていないところ、そこに用がある。


人と出会った時でも、綺麗だとか汚いだとか、若そうだとか年寄りだとか、そういうこと一切なしに、こう、ぱっと触れただけでいる、そういうようなところ。こういうところに用がある。


――井上貫道老師17/3/23提唱から 【3/23提唱DVDからの抜粋】 DVD製作者様による文字起こしになります

【重  要】
神戸楽の森「坐る会」のサイト https://tinyurl.com/kobeteisho
にも、井上貫道老師の神戸坐禅会の提唱の一部が文字に起こされています。

大切なことを分かりやすく提唱されている部分ですので、ぜひ、ご覧ください。



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箇の不思量底を思量せよ

「不思量底」とは何を指すのか。

 (カチン)これは人間の思い量りで聞いてるわけではない。

大きな音だとか、いい音だとか、一切そういうようなことなしに行われてる、

 その辺を不思量底と言うんですね。

いちいち皆さんが今触れているところです。     



――井上貫道老師17/3/23提唱から 【3/23提唱DVDからの抜粋】 DVD製作者様による文字起こしになります
不明点、疑問、足らないところは、坐禅会への参禅をお願い致します  実践して何か体験を得た場合も正師への参禅が必須です


【重  要】
神戸楽の森「坐る会」のサイト https://tinyurl.com/kobeteisho
にも、井上貫道老師の神戸坐禅会の提唱の一部が文字に起こされています。

大切なことを分かりやすく提唱されている部分ですので、ぜひ、ご覧ください。


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坐禅の組み方 http://zazen.blog.jp/archives/1029047318.html   ※
に図を挿入しました

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法界定印(ほっかいじょういん) 



坐禅の組み方 つまり坐禅の時にどのように身体を整えるかについては、上記※にありますが、

坐禅する間、どのようにして過ごすのか、坐禅の仕方については、

メニューの「座禅の仕方・坐禅の方法」をクリックすると、すべての記事が読めます。



坐禅は、道元禅師の普勧坐禅儀による只管打坐をすべきであると井上貫道老師は常々言われています。

数息観、公案工夫(公案禅)を用いません。

 
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「坐禅が進んで、内も外もなくなった人がいます

こうなると人生観が変わりますよ」

[ これが悟りだと言われているのではありません 念のため ]
ー(2014年夏の緑陰接心の提唱:接心3日目)井上貫道老師
 
内も外もない=内外打成一片 ないげ・だじょう・いっぺん

(このブログは実践を前提に書かれています

更新がなくても、
今までの過去記事を
一番上のメニュー(スマホの場合はカテゴリー)から、
じっくりと学んでいただければ幸いです)




● 一般には、この身を境界として、自分と自分以外に分けて考えていますね。
 
いわゆる自分も、自分以外の世界も、自己と言います。






niwa
● この身だけが自分の様子ではありませんよ。

何から何まですべてが自分の様子です。









● 本当は目、耳と区切ることはできないんです。

これら全部が自分の様子、全体です。






● 大抵の人は、自分に入ってきたものを、あとから眺めているんです。

だから満足できないんです。




● 「音、音、音」じゃないですよ。「ザワザワザワザワ・・・」、これだけですよ。

「ザワザワザワザワ・・・」、これこそが本当の受け身というんでしょうね。




● 坐禅をどうしたらよいか知らないもんだから、
坐禅して少し心が静まってくると、すぐに居眠り坐禅してしまうんだね。

長年参禅している人は、たいてい寝ていますね。
10年、20年坐禅している人は皆そう。

寝ることは坐禅とは言いません。




● 専門家に坐禅を指導すると、

「今日は、よく坐れました(=よく坐禅出来ました)」

とか

「今日はあっという間に坐禅が済んだ」

とか感想を述べますけど、そんな程度なんだね、専門家でも。


そういうのは坐禅とは言いません
[ 専門家に対する批判ではなくて、坐禅会のわたしたちも、そうじゃないですか? と言われているのです ]





● 道元禅師の『普勧坐禅儀』に則って坐禅することが不可欠なんです。
   普勧坐禅儀 ふかんざぜんぎ

 http://zazen.blog.jp/archives/cat_958258.html
にて学んで下さい




Q.
普段から修行や正しい行いを続けて行こうと思うのですが、なかなか忙しくて難しいです。
継続していくのが大変だなと思います。

A.
考え方として申し上げるならば、こうやれば楽になるんじゃないですか -- 
 
つまり、これからずーっとそういうことが出来るかと考える必要がない。
 
今、きちっと出来さえすれば。ただそれだけなんですね。


人間て不思議ですね。
 
こういう状況がずーっと続かないといけないって思っている。
 
でも実際は、今のこの状況が続くなんてことではなく、
いつも今のこれがきちっとできるかということだけです。
 
今日一日出来るかしら、なんて、そんな長いことは考えない。
 

今やってることがちゃんとそこで出来ればそれでいい。


こういう話をすると、「今、今、今って、そんなことだけやってるのは、たまらん」という人がいる。 

考え方だとそうなっちゃう。

「これ飲んだらこれだけ」「これ食べたらこれだけ」なんて、
それは考え方。


普通、
これ飲んだら、自ずからこれを飲んでいる時だけの様子になるし、
食べたら食べた時だけの様子に、必ずなっているんです。

心配ない。






Q.
坐禅をすると、わーっといろんなことが出てくるんです。

A.
実際には普段から出ているんです。

でも普段はいろんなことで気が紛れているから、出ていることに気がつかないだけです。


坐禅をしていると他のことが収まるから、
いろんなことが出ていることに気づくだけです。


その出ていることを抑えようとするのは、かえって心を騒がしていることになるでしょ。

だって、出てきてしまったものをあとから無くそう無くそうとしているわけだから。


出てきてしまったものはどうしようもないのに。
 


そうではなく、
出たものを出たままに、何も手を付けずにいれば、
全然心を煩わさないよね。

これが本当の「心静か」ってことです。





● 仏道修行は、
今ここ で修行します。

「今」というと、「この瞬間だ」と言って、
「イマッ!」と切り出そうとしますが、
今はそんな風になっていませんね。





● 本当に「今の様子」それだけを見ている時は、それだけだっていうことも分からないはずです。
 
だって、「これが今の様子か」なんて余分なことが出てくる余地がないんだから。





● 修行は「思い」ではないんです。

「こうやればいいんだ」って方程式を立てておいて、それに沿ってやることではないです。




● 参禅は、「今の自分自身の様子」に参じることです。

そのために見聞覚知の六根を開放するのです。




● 五官にまかせる とか 六根を開放するって、
見えること、聞こえることを 観察するんじゃないですよ。
観察する自分などいないのですから。

「見ている」「聞いている」って風じゃないです。

だれかが言いましたね。
「主なくて見聞覚知する人を、いき仏とは是をいふなり」

 [至道無難禅師しどうぶなんぜんじ:白隠禅師の師の正受老人の師]





● 坐禅を◯◯の方法で10年やって来ましたという人がいたら、
10年やってどうなったのですか?
と尋ねてみてください。





●概念だけを取り上げているんです、実物じゃなく。

それが人間の世界です。


実物があるにも関わらず、実物の話をしないんです。


仏道ってのは実物です、
扱うのは。


実物は私には必要ない、って人はいないですね。



宗派に関係ない。
宗教に関係ない。

こういうものが仏道なんです。


  この記事のタイトル中:内外打成一片 ないげだいじょういっぺん と読みます
 
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井上貫道老師youtube動画



【2018年2月追記】
こちらに神戸禅会での動画がyoutubeにアップされています。
 https://www.youtube.com/channel/UC09TaEeh3KRhZB-MuWzYNbw


普勧坐禅儀に則って、坐禅することが不可欠

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坐禅の内容=坐禅中にどのように過ごすか




坐禅の形・組み方(目・手・脚・口)―井上貫道老師 はこちら


大切なのは、どのように坐禅するかということです


井上貫道老師は、今の自分自身の様子(「事実」)を本当に見届ける(悟る・見性する)ための坐禅を教えておられます


chokokujisk32◇ 修行とは今の自分自身の様子に参じること



◇ 坐禅とは考え事をすることではありません
坐禅を組んでいて考え事をしているのだったら、
それは考え事をしているのであって、坐禅をしているのではありません



◇ 五官(眼耳鼻舌身)の機能にまかせる



◇ 目に見えるもの、耳に聞こえるもの、これらはすべて自分自身の様子なんです

事実に即していれば、考えが「やまる」んです。



◇ 六根(眼耳鼻舌身意)の働きのままに、浮かんできた思いをとらえずに手をつけずにそのままにしておく。




◇ (机を叩いて)「コン」とやると、
音がして気がつきますね。

音がするから気がつくんです。

気がつくのが必ず後になります。

気がつくより先にこういうこと(「コン」)があるんです。


これを丁寧によく見ていけば、それは人間の好き嫌いを超えているものだということがわかります。

そういうことに学ぶのが坐禅です。





◇ (外を車が走り去る音に)「ブーーーー」だけじゃないですか。

これだけです。

これだけじゃないですか。 





◇ 考えを「やめる」んじゃないですよ。
 



◇修行とは何もしないこと




◇五感を自分のために使うことをやめる



◇思いが起こってもそれを相手にしない、手をつけない

 [思考を観察することでもありません] 

[「観照者」というのも一つの思い・観念に過ぎません したがって、観照者だけになっても悟りではありません ほど遠いです]



◇思いがでないようにするのではありません



◇ よく、捨て切る、などと言います。これを聞いて、何か自分の持っているものを捨てるんだと思っていませんか?

何も捨てるものはないんですよ。


「コン」、

この瞬間にすべて捨て切っているんですよ。




◇ ワン、と聞こえると、あっ犬だ、と思いますよね。

思ったその瞬間には、もうワン自体はありません。

つかんだつもりの時にはもう無いんです。


考えるより先に事実があるんです。後から考え方に変えてるだけです。




◇数息観は数息観であって、坐禅ではありません
数息観を教える人がいたら、「あなたは数息観を行じて、その結果どうなったのですか?」と尋ねてみて下さい



◇数息観を教えれば、いくらでも人を引っ張れるんだね  完璧に出来る人いないから、教わる人は、自分はまだ修行が足りないと思って、何年でもついてくるからね



◇呼吸は普段無意識でしているでしょう それをわざわざ坐禅中に意識する必要はありません




◇事実に参じるのに目を閉じたらいけないですよね



◇『なぜ私というものが起きてくるのか?
それは有ると思うからです。……

悟りの様子もみんなに具わっているんだけれども、
自覚がない限りは誰も自分にそれがあると思っていないのです。

そんな素晴らしいことがあるとは思っていない。』




●漫然と坐っている人は寝ちゃうね。

「何もしないのが坐禅」って言いながら・・・。
三十年も坐ってる人は必ず寝ますね。

今の様子に参ずるのが下手なんだね。

寝たら坐禅になりませんよ。




●これほどの事実に参じていれば、脳は刺激だらけで寝ようがないんだけどね。




●想(おも)いがやまるほどに、このもの(自分)が無限の活動をしていることが分かってきます。決して「心静か」なんていう状態ではないですよ。



●機能としての「想い」は問題ありません。

それに自分の考えをかぶせるから問題になるんです。
手を付けてしまっているんです。



●眠るのは坐禅の大敵です。

坐禅ってどういうことなのか、よく分かっていないからボーッと眠るんです。


「坐禅」というのは、今の実相、活動にそのまま親しくしていればいいんです。

「ただ坐る」というのは、事実、実相(じっそう)、この(自分の)一大活動に親しくいることです。


事実との間に距離がないからこそ「手を付けない」という表現になるわけでしょ。

観察するのではなく、事実のままにあることです。




●今の様子に親しくいれば、先ほどの様子は微塵(みじん)もありません。そのことで十分です。



●悟っている人も、悟っていない人も、(手にした杖を立てて)こうすればこう見えるでしょ。



●坐禅の間には休憩時間がありますが、あれは休憩ってわけではないですよ。

その時間におしゃべりしたりすると、人間は会話に引きずられますからね。

せっかくの坐禅が台無しになってしまいます。



● (坐禅会の終わりに、古い参禅者が言いました) 

「ま、そのうち、
だんだん分かるようになるでしょう}


老師:(即座に) いえ、だんだん分かってくるということはないのです。




● (別の坐禅会での参禅者が)
「ここの坐禅会に来るようになって、
今まで読んで分からなかった本(仏教書や井上義衍老師の本)が
同じ所を読んでも分かるようになってきました」


老師:それはね、考え方の話です。
考えが整理されただけのことです。




● (ある夏の接心3日目の提唱で)
参加者には、もう、
内と外がなくなった人がいます。

そうなれば、それだけでも人生観変わるでしょうね。




次は、





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