坐禅の仕方と悟り,見性,身心脱落:井上貫道老師の庵 まとめサイト

Dharma Talks of a perfectly enlightened Japanese Zen Master Roshi Kando Inoue 井上貫道老師が、悟りを体現された経験から坐禅の方法や仏道について語られたものを掲載しています web上に散見される魯山貫道老師のことばも引用掲載し、まとめブログとしました ( これは参禅者によるブログであり、公式サイトではありません ) このブログが正師への参禅のきっかけになりますように

座禅中の雑念の処理方法

坐禅がうまく行かない本当の理由ー魯山貫道老師著書から

2104-05schedule
 井上貫道老師の健康寺子屋(四谷・笹寺)の坐禅会は4月中止です

韓国でワクチン接種後に2人死亡
 日本でワクチン接種の60代女性死亡=新型コロナ、因果関係は不明―厚労省
 日本赤十字が、ワクチン接種者は献血を禁止することを発表
(日本赤十字社のサイトに「新型コロナウイルスのワクチンを接種された方は、当面の間、献血をご遠慮いただいています」と書いてあります つまり安全ではないということです)


これが理由―①わざわざ回り道をしている ②坐禅中の思い・考えを相手にしている

①わざわざ回り道をしている

老師は、ここでは説明をされていませんが、
「自分には悟る資格がまだないので、善行に励もう、徳を積もう」
「慈悲深い人・優しいでないと悟れない」
などと考えて、自分で結果を先延ばしをするとかがあります
哲玄老師や貫道老師は、悟る前は、お二人ともどちらかと言えば、短気な怒りっぽい性格だったと本人たちが言われています

悟りを開いた方々が、異口同音に「誰でも悟れますよ」と言われるのに、「とてもとても自分のようなものには、悟りなんて無理です」と言って、それを信じられないのは、仏道的に言うと、謙遜に見えて、実は高慢、増上慢の変形と言われます。 つまり、卑下するのも高慢の一種で卑下慢と呼ばれています そもそも、存在しない「自分」という固定的なものを勝手に立てているからです

「戒律を厳守しないと悟れない」と、勝手に信じ込むのもわざわざ回り道をしている例です
もしくは、それを逃げ口上に使って、「戒律が戒律が」と言って、少しも本当の仏道に励もうとしないのです


回り道のもう一つには、

「只管打坐は難しいので、まずは、数息観などから始めよう」
などと自分勝手に修行に段階を設けて、結局、数息観もはかどらずに、長年が経過してしまい(年もとり)、やがて、修行の真剣さが失われてしまう
などがあると思います 


「ヨガをやって、身体を浄化して、悟りやすい身体にしてから修行に励もう」
「悟るためには、クンダリニーを目覚めさせないといけない」
等というのも、回り道と言いますか、体の良い「逃げ道」ですね
(ヨガしか知らない人はしようがないですが、正法に出会った人が、わざわざ今からそういうところに時間をかけるのは、逃げているのだと思います 老師の話をちゃんと聞いていないのかもしれません)

 [ 以上の部分の文責は管理人にあります ]
 
 「スリランカ仏教の言う悟りの4段階は間違いである」という記事を読む

②坐禅中の雑念・思い考えを相手にしている

修行してもなかなか悟りにたどり着けない理由②―坐禅中の雑念の処理を知らないから
坐禅中の雑念・思い考えの対処方法
[註] 老師は、雑念という用語を一切使われませんが、ここでは、参禅されていない方を対象に、わざと「雑念」という文字をタイトルに使用しています。

ちなみに、道元禅師の『普勧坐禅儀』にある雑念つまり、思い・考えは、大きさで3つに分類されていて、
それは、念・想・観の3種です。
普勧坐禅儀の本文には、「念・想・観の測量(しきりょう)を止(や)めて、作仏と図ること莫かれ」とあります。



『真実とは悟りとは修行とは禅とは』のamazonに載せられた抜粋↓

井上貫道老師:
「では坐っているときにどうやって過ごすか。

坐る時のあり方として、

問題になるのは思量分別、色々なことが思えるというか、出てくるというか、

あるいはこちらから(意図的に)考えるということがあります。

…坐禅中はそういうものを、とにかく相手にしない。

出てくる思いに対して、自分の見解で識別しない。

いわゆる善し悪しを図らない。

これは良いこと、これは悪いこと、これは正しい、これは間違っているというようなことをやらない、

ということです。 

もう少し具体的に話をすれば、坐っていて色々なことが出てきたときに、4b0fc9cb5ac42a45611d7347609a1d88_s
人間と言うものは、気に掛かることが結構あるものです。

ですから通常は、その気になっていることを解決しようと思って、
自分の頭の中で色々なことを始めます。

これをとにかくやらないことですね。
だからどのようなことが出てきても、
思い出したものや考えたことで気にかかることがあっても、
それを相手にどうこうする、手を付けて過ごすということをしない。

また、その出てくるものに対して出ないようにするようなことも一切しません。

こちらから造作をして、作り変えるようなことは一切しないで坐るのですね。

それが坐禅をする時の工夫と言われる修行のあり方です。」

―以上は、アマゾンの下記著書からの引用


「言うとおりやってみようか・・・」なんて遠慮がちにやるからスカッと行かないんだね、半分ぐらいの人は。―井上貫道老師




【著書第二弾】 
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上記内容は下記の著書でご確認下さい。

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関連記事の坐禅中の想念について を読む


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無料です↑ 編集者からのご厚意で提供されている 『井上貫道老師提唱:真実・悟り・禅修行とは』から作成された抄本です



ちょっと待ってください。このままブログを閉じずに、↓↓
スリランカ仏教の言う悟りの4段階は間違いである

瞑想中・座禅中に眠くなる原因ー僧侶やベテラン一般人はなぜ坐禅中に眠るのか

坐禅中・瞑想中に眠くならない方法

現代の日本に夜中も眠らず坐禅できる人たちがいる

座禅・瞑想中の眠気の原因【続き】―室温や服装に注意


座禅や瞑想・スポーツでの眠気対策に仮眠が良い
もご覧ください。


閑話休題 








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坐禅がうまく行かない本当の理由

 

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これが最短の道―①わざわざ回り道をしないこと ②坐禅中の雑念の対処方法を知ること


雑念というのはないと教えられていますが、一応、まだ参禅したことのない方を対象にここでは「雑念」と呼びます

①わざわざ回り道をしないこと

修行してもなかなか悟りにたどり着けない理由①―やらなくても良いことをやって、わざわざ回り道しているから


上記、井上貫道老師の著書からのレビューです:
 個人的には後半に、心惹かれる、お話しが多くあった。一つだけ例を挙げる。
「悟るって言ったって、何のことはない。自分自身の“本心”に目覚めるだけなんですね。

……長い間色んなことやって、工夫したりそれを用いたりしているのは、“偽修”っていうのは、本当はやらなくてもいいっていうことでしょう。

そういうことをやっている時間があるから、なかなか辿り着かないだけなんですよね」(p88)

スリランカ仏教(上座部分別説部)の教えるラベリングをすると必ず自他が生じることになる

上記、井上貫道老師の著書からのレビューです:
家の近くのお寺で坐禅を始め、すぐに、故井上義衍老師の印可を受けている井上貫道老師が指導されている坐禅会(四谷三丁目の笹寺)で初心者指導を受けました。
「なぜ思量分別を用いないのか、

この考え方を離れている今の事実というものが

修行の上でなぜ欠かすことができないのか」


これまでスリランカ仏教の長老の教える瞑想をしていましたが、
欲、怒りと思量分別すると、
思量分別する主体(私・自我)が生じ、
言葉でラベリングをすると言葉を使っている主体(私・自我)が生じます。

対象に気づくこと、言葉でラベリングするという事は、
気づきの主体(自我)がずっと生じることになるという根本的な問題に気づいて、
スリランカ仏教から離れました。
(このレビュー全体を読む )
以上のレビューは、アマゾンに掲載された個人的な読後感想です。


※ラベリング=ヴィパッサナー瞑想で用いられる技法
現在、世界で教え、実践されているヴィパッサナー瞑想(タイ仏教・スリランカ仏教)は、19世紀になってから開発されたものです(もっと最近に開発されたという説もあります) しかも、シャマタが難しいものであるということが前提になっています

「スリランカ仏教の教える『悟りの4段階』や誤り」という記事を読む

※笹寺の坐禅会は、毎月一度土曜日夕方に四谷で開催中 参加者が多いです
老師は、午前午後は中野の成願寺坐禅会をされたあと、夕方の笹寺の坐禅会(主催:健康寺子屋)のために、四谷に移動されます
詳細は、井上貫道老師の全国坐禅会日程をご覧ください 
新宿四谷の笹寺での貫道老師坐禅会は、申込順で
定員があります。




②については、続きをご覧ください。
ちなみに、
念に「雑念」というのはないと教えられています。
どこかよそで聞いてきただけです。

②坐禅中の雑念の対処方法を知ること を読む





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