坐禅がうまく行かない本当の理由

 

【著書第二弾】
100kandoroshiteishoroku

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これが最短の道―①わざわざ回り道をしないこと ②坐禅中の雑念の対処方法を知ること


雑念というのはないと教えられていますが、一応、まだ参禅したことのない方を対象にここでは「雑念」と呼びます

①わざわざ回り道をしないこと

修行してもなかなか悟りにたどり着けない理由①―やらなくても良いことをやって、わざわざ回り道しているから


上記、井上貫道老師の著書からのレビューです:
 個人的には後半に、心惹かれる、お話しが多くあった。一つだけ例を挙げる。
「悟るって言ったって、何のことはない。自分自身の“本心”に目覚めるだけなんですね。

……長い間色んなことやって、工夫したりそれを用いたりしているのは、“偽修”っていうのは、本当はやらなくてもいいっていうことでしょう。

そういうことをやっている時間があるから、なかなか辿り着かないだけなんですよね」(p88)

スリランカ仏教(上座部分別説部)の教えるラベリングをすると必ず自他が生じることになる

上記、井上貫道老師の著書からのレビューです:
家の近くのお寺で坐禅を始め、すぐに、故井上義衍老師の印可を受けている井上貫道老師が指導されている坐禅会(四谷三丁目の笹寺)で初心者指導を受けました。
「なぜ思量分別を用いないのか、

この考え方を離れている今の事実というものが

修行の上でなぜ欠かすことができないのか」


これまでスリランカ仏教の長老の教える瞑想をしていましたが、
欲、怒りと思量分別すると、
思量分別する主体(私・自我)が生じ、
言葉でラベリングをすると言葉を使っている主体(私・自我)が生じます。

対象に気づくこと、言葉でラベリングするという事は、
気づきの主体(自我)がずっと生じることになるという根本的な問題に気づいて、
スリランカ仏教から離れました。
(このレビュー全体を読む )
以上のレビューは、アマゾンに掲載された個人的な読後感想です。


※ラベリング=ヴィパッサナー瞑想で用いられる技法
現在、世界で教え、実践されているヴィパッサナー瞑想(タイ仏教・スリランカ仏教)は、19世紀になってから開発されたものです(もっと最近に開発されたという説もあります) しかも、シャマタが難しいものであるということが前提になっています

「スリランカ仏教の教える『悟りの4段階』や誤り」という記事を読む

※笹寺の坐禅会は、毎月一度土曜日夕方に四谷で開催中 参加者が多いです
老師は、午前午後は中野の成願寺坐禅会をされたあと、夕方の笹寺の坐禅会(主催:健康寺子屋)のために、四谷に移動されます
詳細は、井上貫道老師の全国坐禅会日程をご覧ください 
新宿四谷の笹寺での貫道老師坐禅会は、申込順で
定員があります。




②については、続きをご覧ください。
ちなみに、
念に「雑念」というのはないと教えられています。
どこかよそで聞いてきただけです。

②坐禅中の雑念の対処方法を知ること を読む