坐禅の仕方と悟り,見性,身心脱落:井上貫道老師の庵 まとめサイト

Dharma Talks of a perfectly enlightened Japanese Zen Master Roshi Kando Inoue 井上貫道老師が、悟りを体現された経験から坐禅の方法や仏道について語られたものを掲載しています web上に散見される魯山貫道老師のことばも引用掲載し、まとめブログとしました ( これは参禅者によるブログであり、公式サイトではありません ) このブログが正師への参禅のきっかけになりますように

逸 話


午前3時に起きて坐禅をしていた女性ー井上義衍老師の時代

井上義衍老師の時代には、専門僧堂でもなく、肉山でもなく、また、都会でもないのに、義衍(ぎえん)老師のお寺に全国から修行僧(雲水うんすい)が集まりました。

※肉山にくさん=経済的に豊かな寺院  井上義衍老師のお寺の龍泉寺は、現在のような住宅地ではなくて、当時は、山の頂上にボツンとある山寺と呼ばれるような所にあった


当時、曹洞宗の鬼僧堂と言われ、悟りを標榜する道場であったので、俊英が集まった福井小浜の発心寺専門僧堂でも、多くの修行僧が発心寺(ほっしんじ)を捨てて、井上義衍(ぎえん)老師の龍泉寺に掛搭(かた)しました。

また、悟りを肯定しない派閥の有力僧の弟子たちでさえ、井上義衍老師のもとに馳せ参じました。

※発心寺専門僧堂の当時の師家は、原田祖岳(はらだそがく)老師と次の原田雪水(はらだせっすい)老師です。


義衍老師には、また、多くの在家の男女が参禅しました。
天皇家に書道を教える書家の女性も参禅していました。


zazenjosei2toblack_FotoSketcher_FotoSketcherそのうちの一人の女性は、毎朝3時にソッと起床して、何人かと一緒に禅堂に通いました。

そして、午前7時には、自宅に戻り、自営業のお店を開く準備をしました。


そのような生活を10年間続けましたが、早朝に坐禅に行っているとは家族の誰一人として気づかなかったそうです。


井上義衍老師に参じて、
烏がカァと鳴いてアラッということがあったということです。


松本うたさんという女性です。

本気の道友はありがたいです。
今日はやめとこうかと思うことがあっても、道友が通っているので、頑張れるということがあります。

⇒ 午前3時に起きて自主的に坐禅をしていた小僧さん を読む

⇒ 多忙な一流企業会社員が、離婚と元カノの死で無常を感じて毎朝30分の座禅に励んだ結果 を読む

⇒ 3日間坐禅し続けた修行僧ー井上義衍老師の会下の雲水達を読む



ちょっと待ってください。このままブログを閉じずに、↓↓

瞑想中・座禅中に眠くなる原因ー僧侶やベテラン一般人はなぜ坐禅中に眠るのか

坐禅中・瞑想中に眠くならない方法

現代の日本に夜中も眠らず坐禅できる人たちがいる

座禅・瞑想中の眠気の原因【続き】―室温や服装に注意


座禅や瞑想・スポーツでの眠気対策に仮眠が良い
もご覧ください。












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遊女が悟りを開く―悟りに、善業・悪業は関係なくて、頓悟


坐禅は必ず目を開いて行ないます


律女は、旗本の家に生まれるが、事情にて京都島原の遊女となる


1278681江戸時代のことです。

1千石の旗本の家に生まれた律女は、父がさる事情で浪人ろうにんとなり一家が京都に移住して落魄(らくはく=零落)しました。


やがて律は売られて、京都の島原の遊女となって、大橋と名乗りました。

※浪人とは、仕つかえる主君がなくなった武士 よって禄(ろく=サラリー)がない

心に煩悶の生じる日々

美貌であり、才芸もあったからたちまち売れっ子になったものの、心中うつうつとして楽しまない日々が続きました。


太夫(たゆう)となった今は、余裕も出てきていたのですが、親のためとは言え、遊女に身を落としてしまった自分の人生は一体何だのだったのだろうかと苦悶の日々を過ごすようになりました。

「人生は何なのか? 一体人は何のために生きているのか?」そのように思う日々でした。


※遊女が自分の稼いだお金で遊郭を出られないように、借金には高利子がついていた 抜け出せる方法は、唯一、富豪のお客に気に入られて、妾(めかけ)としてまたは稀に妻として身請けされることだった


不思議な訪問者

ところが、心に強い思いがあると人生には転機がやって来るものです。787b1aea9e866b1655db305d404abb46_s


ある時、不思議な人が訪問して来ました。

遊郭の客というより、お店に取引にやって来た商人のようでしたが、律を認めると、このように話をしてきました。

「あなたの心には解決しなければならない疑問があるようだが、実はその解決策が一つだけある。」


律「そのようなことがあるならば、是非とも聞かせていただきとうございます。」


客人「分かり申した。では、今から話することを誰にも話さず、必ず密かに実行するように。 

何をしていようが気を抜かず、本気で努め励むならば、必ずやある時、霧が晴れるがごとく、疑問が氷解し、小躍りして喜ぶ日が来るであろう。」

と言って、その客人は、目を開いてする坐禅の仕方、日常での工夫(功夫)の仕方を伝えました。


大橋、目を開いて坐禅を開始、そして遊女が大悟ー禅は頓悟

大橋は、それ以来、時間があれば、目は必ず開いて坐禅に励み、日常では、間断なくその工夫を念々相続しました。


坐禅功夫が純熟して来たある日、一日に20か所にも落ちるような激しい落雷がありました。

生来、雷の怖い大橋は、蚊帳を吊り夜具を被っていましたが、気を取り直して、坐禅工夫を続けました。


雷鳴で大悟

すると目の前の庭に落雷し、大悟しました。


自分の本当の姿を知った大橋は、それ以来、住むところが遊郭であっても以前とは全く違った心境で過ごすことができるようになりました。


大橋身請けされて、結婚

運命は不思議です。

大橋を身請けしたい旦那が現れ、そしてその人と結婚をすることになりました。

その頃から、律は、駿州・原(現在の静岡県沼津市)の白隠禅師はくいんぜんじの名声を聞き、悟りを確認してもらいに行きました。


白隠禅師、白隠慧鶴はくいんえかく は、臨済宗を復興させたとされる江戸時代の名僧。静岡県沼津の原の松蔭寺に住した。
法階を上げることを好まず、一生黒衣をまとって紫衣や赤い衣は着なかった。

そのため、本山の妙心寺で法話をする時も、法階が和尚としては最下位だったため一番下座にて説法をした。
現在は、臨済宗は白隠禅師に繋がる法系しか残っていないため、すべての和尚は白隠禅師の法孫である。

現代の師家(しけ)は白隠禅師に倣(なら)って、一番下座にて提唱を行う。そのため、上から下座に向かうのではなくて、本尊様の方向に向かって下座にて提唱をする

それ以来、禅師に参禅をするようになったそうです。

やがて、その夫が亡くなりました。
しかし、また律のことを気に入る男性が出現して、その人と再婚。

今度は夫は求道者であったので、ともに白隠禅師に参禅しました。


元・遊女は観世音菩薩の化身

幸せな夫婦生活と参禅の日々を過ごしたようです。のちに、律は夫の許可を得て、出家しました。
やがて、律が亡くなりました。

白隠禅師の上足(じょうそく=高弟)である、東嶺禅師(とうれいぜんじ)が、お参りにやって来ました。


仏壇を見ると、律の位牌はなく、ただ観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)の像が祀られているだけでした。

東嶺禅師が不思議に思って夫に尋ねると、
「妻は、観音菩薩の化身だったのです。なので、これが妻です」
と言ったそうです。

-------------

素晴らしい旦那様ですね。









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障害となっている業(カルマ)がすべて解消されてから、悟れるのではないでしょうか?


【回 答】  by 井上義衍老師

本当に
(パン=両手を叩く)

(パン=両手を叩く)

今の自分のこれが真相を示してるんですね。

そういうことでやっていただければいいんです。


一切の衆生[しゅじょう]、その仏法の上から行きますと、種々雑多な業によってお互いが出来てるんですから、その「その業道依正ひとつにあらす」みんな違うんです。


「その見[けん=見解・思い・考え方]まちまちなり」とあります。


確かに人間の見解の上から行きますというと、全部一人一人みな違ってるというていいんです。


それ程違っておるんですけれども、その内容を見ますというと、それなりに、それ又(また)、見(けん)を起こすから、どんな業報を備えていてもいいんですよ、

人間的な業報業報いうて、悪業だの善業だの問題にしとるから、その問題にしておるものをちゃんと整理しておいてからでなけりゃあいかんと思うから、その整理ができんのですわ、考え方じゃあ。


それを考え方を止めるといきなり(パン)整理がすぐつくんです。
整理のつく道がそういう所にある、鍵が。

踏み込むのにそういうところから踏み込むと、ああそうか、こういう方向かということが分かるんです。

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そういうつもりでやってもらいますというと、業報がどうあろうともこうあろうとも、頓着ないんです。



その業がどうあろうが、こうあろうがみなさん頓着なさらずに、今の自分にあるものでいきゃあいいんです、それを取り替えようなんて思うからです。

理想いうのは変なもので、何か今の自分をつまらん思うと、それを捨てて立派そうなものを持ってこようとする。みんなそういう修行の態度をとるから役にたたん。


そうじゃなくて、業報のまんまを自分の手をつけさえしなければいいんです。


自分の手をつけると、どんなに修行してみても、やっぱり業報の世界なんです。それがはっきりせんのです。
そこのところよーく見てもらえばいいです。


―井上義衍老師『正法眼蔵げんぞう 仏性ぶっしょう』から



「今まで誰一人として、生まれ変わって来ている人はいません」
―井上貫道老師


次の記事は、遊女が遊郭で悟りを開いたー悪い業があっても修行には関係ない例


坐禅は必ず目を開いて行ないます。 目を閉じていては、何十年坐禅やろうが徒労です。

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自分の娘が亡くなって、本気になって臘八ろうはつ摂心で只管打坐の坐禅に打ち込んだ結果

ある老師からお聞きした話です。

坐禅は必ず目を開いて行っています。

専門僧堂に行って真面目に修行して、お寺の住職にもなったある和尚さんがいました

お寺の住職ですから、葬式・法事もします。df1539bed25a52ebe9abaea22bc7f0eb_s

奥さんを持って、子供さんもいたそうですが、ある時、娘さんが若くして不治の病に倒れ、とうとう亡くなってしまいました。


父親である和尚が、お葬式をしたのですが、以来、亡くなった自分の娘のことが気になって仕方なくなりました。


住職として、今まで何人もの人にお葬式で引導を渡してきたのですが、いざ自分の最愛の娘が亡くなった場合は違いました。

「自分の娘は果たしてどうなったのだろうか。

成仏じょうぶつ というけれども一体、実際には、現実には、娘はどうなったのか。
どこへ行ったのか。

成仏できたのだろうか?

それが自分には、ハッキリとは分からない」


自分の娘はどうなったのか、それだけが気がかりとなった。

「修行をし直して、自分で解決するしかない」

和尚さんはお寺を捨てる覚悟が出来ていました。



「求めよ、さらば与えられん」 (新約聖書マタイ7:7-12)

幸いにも、井上義衍老師の本に出会い、初めて本当の修行方法、本当の坐禅のやり方を知りました。
(老師はすでに遷化せんげされていました)


そして、お寺を捨て、再行脚(さいあんぎゃ)の思いが湧いて来ました。


専門僧堂は、住職資格を取得するための道場ですが、やはり、修行に専念できます。

そう思って、和尚さんは、
再び、専門僧堂に掛搭 (かとう<済>・かた<洞>) し、自分の子供くらいの年齢の若い修行僧に混じって、修行を再開しました。

修行上の師は、本ではありますが、井上義衍老師です。


坐禅とは、何もしないこと そして臘八ろうはつ

お釈迦様が、坐禅に打ち込まれていた時に、明け方の明星(みょうじょう=金星)を見て、悟られたのが12月8日なので、それに因んで、禅宗では、8日の暁天が終わりになるように、12月1日から摂心をして、坐禅に専念します。

それに挑んだ和尚さんは?
詳しいお話は、こちらへ



アルバイト青年が、嫌な上司のお蔭で自宅で1日10時間の坐禅ができるようになった訳 も読む




摂心情報・長時間坐禅会情報を知る方法

摂心情報の希望者は、以下からご登録下さい。ハンドルネーム可。

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から登録が可能です 本名不要です 150名以上が登録中 最上部の青い申込みボタンと同じものです

登録された方にはすぐに詳しい摂心情報・集中坐禅会情報をお送りします。
登録された方には、それ以後も臨時の摂心情報・集中坐禅会情報をお送りします。hokkaijoin_FotoSketcherpencil5

ここに登録しても攝心に参加する義務は発生しませんのでご安心下さい


摂心の心得などは、
 こちらをご覧ください



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どこかで静かに坐りたい方へ―文京区の東大前の禅センター『暁禅堂』で坐禅ができます

坐禅は必ず目を開いて行っています。

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東京大学卒で大悟した禅者・僧侶たち―現代人の悟り

東大卒僧侶のことばー理Ⅲから僧侶になって悟る川上雪担老師


東京都文京区本郷の高層のマンションの中の和室を使った
暁禅堂は、悟りの体現者松本自證老師(1961-)の参禅者が主宰されている禅堂です。東大赤門

2018年10月に開単(オープン)されました。
文京禅会という名称です。

自由に坐れる日と、指導者ありの日とがあります。

日本語を解せない人には、英訳が付くようです。

参禅者には東京大学卒の方々が結構います。またお話してみて下さい。
(写真は禅堂付近にある東京大学赤門)

悟りの体現者・松本自證老師のことば

◯ 悟りは意識の状態ではないです。『事実』だからこそ、お釈迦様(ブッダ)から今まで伝わっているのです

◯ ハッキリする(悟る)と決してハッキリする前(悟る前)に戻りません、戻れません。

------------------

【問い】 自己を忘じると悟るとは同じことですか?

【答】 そうです。

一瞥(いちべつ)体験とか「自分がなかった」ことを自覚する体験とは違います。
それらは、ハッキリしません。認識が完全に止(や)んでいないからです。


◯ お釈迦様が明けの明星(金星)を見て悟られた時のことは、
自分がハッキリする(悟る)までは決して分かりません。

どんなに[理解しようと]頑張ってもそれは無理です。

―松本自證老師



東京大学前の 暁禅堂 AKATSUKI ZENDO はこちら⇒ https://akatsukizendo.weebly.com/
バイリンガル表示です。

坐禅は、予約制です。


[ 管理人 ]
僭越ながら、一言付け加えておかせていただきます。
このブログのタイトルは、「どこかで静かに坐りたい方へ」と付けていますが、
本当の坐禅では、
車の音、お皿を洗う音が坐禅そのものです。
それらが騒がしいとか気になるようでしたら、それは坐禅ではございません。





 ⇒ 関連記事1282946
   
自分の娘が亡くなって、本気になって坐禅に打ち込んだら、悟りが開けた和尚さん


なお、このサイトはブログで、「ヨガ」カテゴリーに登録しています。
お蔭様で、いつも上位(1位から3位)にランキングされています。

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あけましておめでとうございます 2019年元旦

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坐禅は必ず目を開いて行っています。

常済
じょうさい大師だいし が言われるのに
「まことに身心もし禅定ぜんじょうに入っておったとするならば、
どこに出入ということがあるだろうか。
もしこの身心に向かって、肉体なり精神なりを静めるというような修行をするとするならば、それは本当の坐禅ではない。

本当の坐禅というのは、そういうふうに人間の肉体と精神を置いておいて、それを出来るだけ静め、静かにしていくというような、そんなつまらない修行をさせるのとは違うのだよ。」と、こういうふうに言われたわけです。
―井上義衍老師『無相伝光録』p.253


魯山貫道(ろさんかんどう)老師も 松本自證(まつもとじしょう)師も 常々言われていることです。
「じゃ、坐禅て、どうするものなのですか?」という疑問が起きた方は、坐禅会に出かけてみてください。


常済大師じょうさいだいし瑩山紹瑾禅師 けいざんじょうきん・ぜんじ 道元禅師から四代目の法孫  鎌倉時代の僧侶
伝光録でんこうろく は、瑩山禅師 けいざんzenji の著作 釈尊から始まって道元禅師、孤雲懐奘(こうんえじょう)禅師(ぜんじ)までの53人の祖師方の生い立ち・行履(あんり)と開悟の機縁をまとめたもの 傳光録

松本自證師いわく
「自覚した人は必ず事実があります。
[明星を見た、
石が竹にカチーンと当たった、
川に写った自分の姿を見た、
生爪を剥がして「痛い!!」
太鼓の音を聴いた、
雷を聴いた、
隣単の人が老師の靴で叩かれた、
ホオジロの声、
セミの声、
下駄の音、
時計の音などなど]

一見よく似た教えとごっちゃにしないでくださいね。 せっかく正しい教えに出会ったのですから」



瑩山紹瑾禅師や伝光録についての詳細はこちらに

井上義衍老師『無相伝光録』の入手はこちらから 2冊組 全部で1,060ページの大作 明治版復刻本付き
 

⇒ 自分の娘が亡くなって、本気になって坐禅に打ち込んだら、悟りが開けた和尚さん を読む


⇒ アルバイト青年が、自宅で1日10時間の坐禅ができるようになった訳(平成の話)  を読む





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70歳の参禅者が臘八(ろうはつ)摂心中に突然、見性(けんしょう)体験をした例

管理人です:
Tさんの臘八大攝心中の見性体験です。臘八(ろうはつ)

 臘八の臘は臘月(ろうげつ12月)、八は八日のこと  お釈迦様(ゴータマ・シッダールタ)が臘八つまり12月8日に悟られたことにちなんで、禅宗寺院では12月8日まで摂心(せっしん)という宿泊型坐禅会で、早朝から夜まで一日中坐禅をするところが多くあります。



井上貫道老師・金曜坐禅会に参加されていた60代後半か70代くらいのTさんがいらっしゃいました。
その人に、話しかけることはありませんでしたが、Tさんのことは存じていました。


10年以上(約15年)にわたる相当長い間摂心にも参禅し続けられていた古参の方のようですが、
そのTさんがある冬の接心(臘八摂心)で体験された事が某ブログに詳細に記述されていますので、
見つけにくい方のためのここに引用をさせていただきます。 引用箇所は下部に記載しています。

元のブログで既にお読みの方もいらっしゃるかもしれません。



 
<ここから-->
 
今年 [数年前です]、一般のかた [ Tさん ] が見性されました。老師にも認められたようです。

[ Tさんが摂心をされていた道場は、掛川のお寺ではありませんでした。この「老師に認められた」の「老師」とは掛川の老師のことではないと思われます  この方は、掛川の老師以外に浜松の老師にも参禅されていました ]


禅堂から帰ってくるやいなや、
みんなの前で

「しゃべっておらずに坐らなければいかん! 坐れば分かる! 俺は分かった!」

と明言されましたので、
周囲も、えっ、と驚いて、質問攻めにされていました。





「もう自分には無理かな…」
と悩まれていたようなかたでもいらっしゃいましたので、
そのかたがひょっとしたきっかけで気づかれ、
一夜にして堂々と法を語り始められるということは、
実に興味深いことだと思います。


なお、いつ頃、どこのお寺で、誰が、ということについては、ご本人への興味や詮索等が高じてご迷惑をおかけすることが万が一にもあってはいけませんので、あえて伏せさせていただきます。
変に詮索することもお避けいただければと思います。あくまでも一般のかたですので。

見性というものが迷信ではなく、本当に誰でもできるということだけ信じていただければと思います。


Q・・・周囲の参禅者(複数)
A・・・ご本人


Q.
すごい明るくなっちゃった。ニコニコしてる。(笑)

A.
スパーンと分かっちゃった。



Q.
へえ、スパーンと分かる。

A.
変な言い方ですけどね、それしか言いようがないね。




Q.
何か事実が、ポーンとやってきたとか? 例えば鳥の鳴く声やセミの声を聞いてとか。

A.
それだとちょっと劇的でいいんですけどね。(笑)

なーんにもせずに坐ってて、「ああ!」だけです。

まあ、実はその前に伏線はあるんです。
(一昨日)ここで夜中まで話ししたということもありますし、みなさんでお風呂行ったでしょ、その時、風が強くて、笹がこう、動いてたんです。
それがねえ、なんとなく「んんん」という気にはしていたんです。

だから、まあ、それが、あとから考えりゃ伏線だと思えば伏線だし、関係ないと言やあ関係ない。

だから、あの、撃竹のようなね、ああいう、あの、絵になるような話はございません。(笑)



Q.
ああ、あの、風呂の窓の所の。

hata


A.
そうそう、あの笹すごかったよね、風が強いから。

あれがざーっとねえ、こう、あの、揺れてたんです。

それ見て「ああ…」というのはありました。





Q.
じゃあ、逆に、坐禅中に、なにか考え事をしていて、そのきっかけでふと気づいたとか。

そうではなく、本当に空白になっちゃったとか?





A.
あっ、私ね、最近、坐禅してもあんまりね、考えないようになった。

ただ本当に坐ってる感じが強くなってきました。


だから、あの、十何年こう坐っていて[坐禅していて]、もう毎回毎回「どうして、どういうふうに坐禅すればいいんだ、これでいいのか、どうのこうの」とだけが頭にありました。


それがねえ、ここちょっと[どのように坐禅していたら良いのかという]悩みがなくなっちゃって、こういうふうに坐っとけばいいんだというのが出て来た。

で、そういうふうにうち [家]でも坐ってるんです。

だから、そういうのもあるのかとも思うんですけどね。



よく分かりません。(笑)



Q.
じゃあ、本当にその時はほったらかしになってたら、いきなりバッと?

A.
あ、そう、そうですね。本当に、ただ、こう、時間に行って坐ってたら、「ええっ」という感じですね。

よく分かりませんね。説明のしようがない。




Q.
「ええっ」となって、「なんだこれか」って感じですか?


A.
「ええっ」→「えっ」→「あ、なんだそうかぁ」(笑)ってな感じですね。

だからよく考えれば本当にどうってことないことなんですねえ。


先ほども老師とお話しした時に、「そのものは本当に保育園の子供でも分かるんですねぇ」ということですよ。
* この方は同系列の他の老師にも参禅されています


私はすごく勉強が好きだったから、正法眼蔵 [しょうぼうげんぞう] をざーっと読んでいたんです。

このお寺へ来て、老師に本を読むなと言われて、でもなかなか読まずにはおれなくて、でも確かに読む必要はないなと思いましたね。



Q.
じゃあ、結果的には、読まなくてもよかった?

A.
いや、読まなかったとかいうんじゃなしにね、まあ、読んで、覚えたこともあるだろうし。



Q.
分からないね。

A.
うん。



Q.
笹の話をもう一度お願いできますか?

A.
ああ、風呂入っててねえ、風が強かったでしょ、昨日。
笹がありましたですよ。
それがこう、かなり動いてた。

それを見てね、なんとも「うーん」という感じがあったんです、その時にね。

「ああ風かあ、うん竹かあ」、
あの、まあ、幡がねえ、ありますでしょ。
風が動かしてんのか幡が動いてんのかっていう、そういう問答※が頭にあるので、
「ああなるほどなあ、風がってか、笹が動いてんなあ」ってのがやっぱり、思いをしてるんですね、その時。


それがその縁の中に入ってるのか、それは分からないですけど。
ただそれをなんとなく気になってたですね。



Q.
一昨日、あんだけバトルをしていたというのに。(笑)

A.
あれは、本当に、わあわあ言っててね、それでね、自分の中でね、知らぬ間に整理が出来てたかもしれませんね。



Q.
じゃあ、ぜひまた提唱を。(笑)

A.
そういう皮肉をおっしゃらないでください。(笑)



Q.
そういうのがまた、どんな縁になって他の方が見性されるかもしれませんよ。

A.
縁って、作ろうと思って作れるもんじゃないじゃないですか。



Q.
運命的なものですか? 自分の問題ですか? それとも、いわゆる他力っていうか、どこか他から? それともあくまで自分自身の力ですか?

A.
言葉で単純に言えば、本来の面目がバンと現前したということですわね。
本来の面目、まあ出ますけどね。
その、本当、それが、現状したということですかね、自分の中にね。
「ああ、そうか」っていうのはそういうことですね。



Q.
ああ、本来の面目ね…よく分からん。(笑)

A.
だから言葉はいけないんです。なるほどなあ、いかんなあと思いましたねえ。



Q.
一昨日と逆の事を言ってる。(笑)

Q.
「ハッ」と思うでしょ、その後は、もう、今までの疑問みたいなものがなくなる?

A.
うん、分かる。

さっき老師に言われたんですけどね、「(語録は)読みゃ分かるだろ」って言われたんですけどね、そうなんです。



Q.
古い言葉は分からなくても?

A.
ええ。別に翻訳することじゃないから。
言われていることが「ああ、そのままだなあ」と、そのままに。

要するに書いてあることが分かる。



Q.
何が起きても、今あるものとかは、もう絶対に揺るがないものなんですか?

A.
分かったことはね、もう、そのものだから、揺れやしないし倒れやしないし。
だって私が立てたんじゃなしに、昔から立ってるそれだけのことを、立ってるのが分かっただけのことだから、揺るぎもしなけりゃ無くなりもしないし。


Q.
「無」とか「空」とかそういうことも分かっちゃうの?

A.
ああ、あんなもんねえ、どうでもいいことなんです。(笑)

「無」「空」なんて、そんなあほくさいこと言ってる必要はないんです。

だから、「無」っていうのはこんなもんか、ということは分かります。

「空」って、じゃあ、こういうことかというのは分かります。

だけど、じゃあそれが分かっても、言葉じゃなんにもならないです。
 



Q.
一昨日までは分かんなかった?

A.
理屈でね、こういうもんじゃないのかなあというのは、誰でもやっぱり理屈で考えますよね。
それはあったんです。

だけど、「コン」、こっちが分かってみたら、「空はなんだ、無はなんだ」なんてことは、そんな面倒くさいことはする必要がないなあって思って。



Q.
じゃあ般若心経はどうなっちゃうんですか?

A.
だから、「色即是空」、本当そのとおりなんです。
だからね、「色に対して空がある」と思ってたから大間違いなのね。
文章だから、「色は空だ」と読むから間違うんです。

そうじゃない。

いやいやえらそうに言っちゃって恥ずかしい。(照)
<--ここまで>



以上は、『浜松で禅修行』からの引用です。

記事を見つけにくい人のために引用させていただきました。
 

お願い:読み違えないでくださいませ 長年参禅しないと悟れない例ではありません むしろこの方は、長年摂心や坐禅会に通っていたにも関わらず、坐禅の仕方が分からず、 坐禅のやり方が分かった途端に、数カ月後に摂心という縁を得て、見性されたのです
⇒ 


 自分の娘が亡くなって、本気になって坐禅に打ち込んだら、悟りが開けた和尚さん


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※非風非幡=五祖弘忍禅師のもとで、のちの六祖・大鑑慧能禅師が米搗きをして、まだ居士のまま、印可証明を受けて、五祖弘忍禅師の下を密かに抜け出した
そのあとかなり経ってから、ある寺院を慧能が通りかかった時に、
僧たちが「風が動いているのか、幡が動いているのか」と論争していた。
まだお坊さんになっていなかった六祖大師が、「風が動いているのでも、幡が動いているのでもなく、仁者(あなた方)の心が動いている」
と答えたという故事のことを指します。(無門関第29則)
この寺院の主は、この人こそ、噂の五祖の法を嗣いだ方だと直観し、慧能は、この寺院ではじめて出家得度することになります。
のちの六祖慧能大鑑禅師です。この方からたくさんの法嗣が出て、中国で禅宗が勢いつきます。
中国初祖達磨大師から六祖大師に至って、のち一華五葉を開くといわれたゆえんです。


六祖、因ミニ風、刹幡ヲ揚グ。二僧有リ対論ス。一(ヒト)リハ云ク幡動くクト、一(ヒト)リハ云ク風動クト、往復シテ未ダ曾テ理ニ契ハズ、祖云ク、是レ風ノ動クニ非ズ、是レ幡ノ動クニアラズ、仁者ガ心動クナリト。
二僧慄然タリ。




【投稿後記】
このお話には大変重要なポイントがあるとされています。 それは次の新記事であらためてお伝えします。


ここに記載した・これから掲載する参禅者体験は、1年を経過しているものを選んで投稿しています。
投稿者は、インタビュアーやレポーターではありませんので、その後、その人がどのようにされているかは存じていませんし、その後の修行をインタビューしていません。

上記Tさんのように、個人を知っている人であってもできるだけ個人を特定できないように余分な情報は書かないようにしています。使用した人名のアルファベットは、その人の本名とは全く関係がありません。ZからAまでを、日本人の姓にならないものは除外して使っていきますので、まずはYさん、次はWさん、次はUさん、Tさん、Sさんという順番になります。
 


井上貫道老師関連摂心情報

ネットで公表がない今後の摂心(せっしん)・連続坐禅会のお知らせがあります。

昨年2017年もネットでは発表されない攝心が2回ありました。

摂心には、初心とかベテランとかは何の関係もなく参禅ができます。
修行には、「初めて」とか「何年もしている」とかは無関係だからです。



摂心情報の希望者は、以下からご登録下さい。

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参禅歴15年で見性(けんしょう)した参禅者は、15年のうち、実は1年しか修行していなかった

[ 管理人 ] 大変失礼な言い方かもしれませんが、14年間、間違った坐禅をしていた=14年間、坐禅の仕方が分かっていなかった の意味です。

この記事では、正師に出会って、長年摂心や坐禅会に通っていたにも関わらず、坐禅の仕方が分からず*、 坐禅のやり方が分かった途端に、数カ月後に摂心という縁を得て、見性 (けんしょう) された方のご紹介です。

*坐禅の仕方が分からないのは、ひとごとではないと思います。
われわれ(出家も在家も関係ありません)は得てして、老師の話をちゃんと聞いていない・分からない点を質問しないとかで、「坐禅の仕方について」だけでなく、他のことでも、問題・疑問を放置しながら、年数がいつの間にか経ってしまうということがあります。ボヤボヤしていると2年、3年、5年、10年とあっという間に経ちます。
まして、坐禅中に眠くなるのを放っておくと、眠るのが癖になります。
「三十年坐禅しているという人は、皆眠っています」と老師が言われますが、本当に、
出家も、在家も「古参(こさん=古株)ほど、坐禅中に眠っている(坐禅の姿のまま、居眠りをしている)」
ということになります。

他の習い事と違って、運良く正師に巡り合って、その坐禅会や摂心に
欠かさず通えば、なんとかなるのでないのです、仏道修行だけは。
出家すれば、なんとかなるのでないのです。道場に安居(あんご)すれば、なんとかなるのでないのです。

十分注意しないといけない点だと思います。


「修行して解脱するんじゃないです。

すでに解脱してるんです。

そのことに気づき、ああ、なるほど、確かに解脱してるな、となるのが坐禅です。

こういう実証方法を伝えてきたのが仏教のすばらしいところですね。」ー 井上貫道老師



70歳の参禅者が摂心中に突然、見性体験をした例
 Tさんの参禅体験談の続編です


Tさんの体験談をインタビューして『浜松で…』のブログに載せたの管理人Sさんは、別の記事でこのように追記されています。



「20年間の修行期間のうち、19年は修行の方法、坐禅の方法がわかっていなかったのだ」と。

(事実関係としては、20年は、15年の、19年は、14年の間違いです)


「15年間の修行期間のうち、14年は修行の方法、坐禅の方法がわかっていなかったのだと。」




以下、当ブログ管理人の感想ですので、主観が入っています:
ところが、本ブログの管理人わたしが、ちょうど、初心で、Tさんに出会った時は、本当に修行底(しゅぎょうてい)の人だなあという印象でした。

と、言いますのは、初めて出会ったのが体験談 70歳の参禅者が摂心中に突然、見性体験をした例  と同じ年の半年前夏の摂心の時なのですが、その時に、
Tさんは、遠方からお寺に車でやって来られた様でした。

バッグを控室に置いて、やれやれ一休み、
として、同じ参加者に挨拶して、雑談しながら、
「坐禅が始まるまであと30分あるな」とか「摂心は明日からだから」
という感じの人が多い中、
そのTさんはバッグを控室に置くとすぐに、禅堂に向かわれたのです。
 
坐禅会が始まると、あるいは、摂心に突入すると、おはようございます こんにちは お久しぶりです などの挨拶は要らないとされています 非礼にはならないのです

摂心の途中でやむを得ず帰宅する場合も、参加者の方々には挨拶はせず、黙って他の人の邪魔にならないように帰るのが良いとされています 食事の関係があるので、寺院(主催者)には当然下山することを報告します 
]



くしくも『浜松で禅修行』の管理人Sさんも、当時は全く同じでした。

Sさんも、お寺に到着して、バッグを控室に置くと、すぐに禅堂に行く。

日常の工夫と坐禅工夫がシームレスなんです。
これは日常、これは坐禅 という風な修行ではない ということです。


TさんとSさん(40代)はそうでした。


そんなTさんでした。

zendonaibu

 
さて、禅堂でですが、
世の中の普通の講演会などでご高齢の方に居眠りをしている人が多いのと同じで、 
高齢の方が坐禅をするとどうしても居眠り坐禅やボーっと坐禅されていることが多いのですが、Tさんの坐禅はそうではありませんでした。



金曜坐禅会の始まるずっと前や摂心の抽解時(坐禅と坐禅の間のブレイク時間)にも広い禅堂に、
一人ポツンと坐禅されていることも多いTさんでしたが、その姿は、重心が低く大変安定のあるものでした。


もちろん身体は揺れていません。

目は開いて坐禅をされていることが遠方からも分かります。



まるで臨済宗のそれと同じように、2列の単が並ぶ大きな見通しの良い禅堂なので、遠くから坐禅姿が見られたのです。


「坐禅を楽しんでいる」
そんな姿でした。 
あくまでも個人的感想です。 



そして、その年の12月。
わたしは親の急な入院で、残念ながらその年の臘八摂心は参加できませんでしたが、のちに『…で禅修行』のTさんの体験記事を知った時は、すぐに、その見性体験記は、多分Tさんのことに違いないと確信できました。

以上のようなTさんの姿を知っていたからです。 




本人は、こう言っておられます、 70歳の参禅者が摂心中に突然、見性体験をした例 参照

「十何年こう坐っていて[坐禅していて]、もう毎回毎回
『どうして、どういうふうに坐禅すればいいんだ、これでいいのか、どうのこうの』とだけが頭にありました。


それがねえ、ここちょっと [どのように坐禅していたら良いのかという] 悩みがなくなっちゃって、
こういうふうに坐っとけばいいんだ
というのが出て来た。

で、そういうふうにうちでも坐ってるんです。」


これが参禅歴15年のうち、直近の1年だけが、坐禅ができるようになった ということです。

本当に坐禅ができるようになった(迷いなく坐禅ができるようになった)年にちょうど管理人は出会っていたのです。




修行上の先輩の方によると、

「世の中で自覚している人が少ないように思える理由は、2つあります。

まず、井上貫道老師のように本当の坐禅を教えている人になかなか出会えないこと。

次に、正師に出会えても、話を聞いた本人がどうしても自分の考えを入れたり概念で捉えて聞くので、坐禅がどういうものであるかが分かり実践できるまでに時間がかかるのです

正しい楽な坐禅ができるようになると、誰でも間違いなく自覚(悟り)は起こります。


自覚しても、『わたしは悟った』みたいにはなりませんよ。

私のいない体験です。

いや、そういう意味では体験とは言えないかもしれませんね。


 疑いは微塵もなくなります。」――松本自證
※松本自證師は、貫道老師のように幼少期から悟っている人の法話を聴いていて、すんなりと悟った方とは違い、坐禅をする前に、色々な瞑想法をし、正法に出会ってからも試行錯誤をされた方なので、やるべきこと、やらなくてもよい事をよく分かっておられる方です。松本自證師の坐禅会はそういう意味でおすすめです。




Tさんは、15年間のうち、ちゃんと坐禅が出来ていたのは、たった1年間だけだったということになります。
(実を言うと、Tさんの15年目のこの体験は悟りではありません そこで修行が終わったのではありません   さすがに実質1年の修行では、大事了畢とはなりません) 

この方は、長年摂心や坐禅会に通っていたにも関わらず、坐禅の仕方が分からず、 坐禅のやり方が分かった途端に、数カ月後に摂心という縁を得て、見性されたのです。

Tさんのことは、実はわれわれのことです。
本当に坐禅ができているのか自分自身に問わねばなりません。
師に確認をしてもらわないといけません。





以下は、貫道老師のことばです。


「本当は[坐禅に来ている]一人一人に、お尋ねをしてみたい。

長い人は何十年も坐ってるって言うんだけど、坐ってる時、どういうふうに過ごしてるのか。

さらにそれを推し進めれば、今度は、人に尋ねられた時、
「あなたは何十年も坐っておられるけど、
坐るってどういうことですか? 
坐禅ってどういうことなんですか?」
って言われた時に、
どういうふうに答えられるのか、
どういうふうに示されるのか、教えられるのか、
ということが必要だと思いますよ。


もし教えられないような坐禅ておかしいですよね、
人に、聞かれて。

そう思いませんか。


要はどうやってるか自分に分からないってことでしょ。

だから教えられないっていうことでしょ。



ていうことは、坐禅をしていても、
どうしているか自分でも坐禅のありようが分かっていないで、
ただ時を過ごしているっていうことになってくるんじゃないですか。

そう思いませんか。論理的に話をしても。(笑)」





「だから、坐禅があんまり本当に効果が上がらないのは、それが一番、元かと思うな。

分かったような顔して坐ってるだけ。

それらしい格好して坐ってるだけ。

本当はそこらへんが十分に理解が行かないまま坐ってる。


それ、長くやって苦労した人、話してごらん、聞いてごらん、きっとそうだよ。(笑)

そこが分からなくて時間がかかるんだよ。」 ーー井上貫道老師
以上は、どこかよその坐禅会の人たちのことを言われているわけではありません。

参禅者、我々のことです。
自分の修行の方向をハッキリさせるために、質疑応答や独参の時間を設けてくださっています。



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【投稿後記】
井上貫道老師は、
ある参禅者が、見性とか小悟とか大悟とか段階を経るものかという質問をされた時に、
「元に戻ってしまったら悟りではない」、
「見性とか小悟とか大悟とか、そういうことがあるのは、その参禅者の師が許すからだ」

「悟るまでは、よく似た体験をするものなんです」

と言われたことがあります。



井上貫道老師関連摂心情報

ネットで公表がない今後の摂心(せっしん)・連続坐禅会のお知らせがあります。

昨年2017年もネットでは発表されない攝心が2回ありました。

摂心には、初心とかベテランとかは何の関係もなく参禅ができます。
修行には、「初めて」とか「何年もしている」とかは無関係だからです。



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  自分の娘が亡くなって、本気になって坐禅に打ち込んだら、悟りが開けた和尚さん


ここに記載した・これから掲載する参禅者体験は、1年を経過しているものを選んで投稿しています。
投稿者は、インタビュアーやレポーターではありませんので、その後、その人がどのようにされているかは存じていませんし、その後の修行をインタビューしていません。

使用した人名のアルファベットは、その人の本名とは全く関係がありません。
ZからAまでを、日本人の姓にならないものは除外して使っていきますので、まずはYさん、Wさん、Uさん、Tさん、Sさん、、、、という順番になります。



坐禅をしていても、すぐに眠るようになってしまう人がいます。10年接心に通っても、眠いだけ

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