坐禅の仕方と悟り,見性,身心脱落:井上貫道老師の庵 まとめサイト

Dharma Talks of a perfectly enlightened Japanese Zen Master Roshi Kando Inoue 井上貫道老師が、悟りを体現された経験から坐禅の方法や仏道について語られたものを掲載しています web上に散見される魯山貫道老師のことばも引用掲載し、まとめブログとしました ( これは参禅者によるブログであり、公式サイトではありません ) このブログが正師への参禅のきっかけになりますように

正法眼蔵提唱


悟るまでは、似たような体験 (似て非なる体験) をすることがあります―井上貫道老師

本当に悟りを開けば、元に戻ることはない

井上貫道老師の『正法眼蔵現成公案』提唱 (『げんにーび』)から 
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悟り体験をすれば、もう元には戻らないです

以後は、諸仏の過ごされた境涯というものをこの身体で楽しむことが出来るのです
   
―井上貫道老師



大事了畢(だいじりょうひつ)とは

修行ということに関しては、一応悟ってしまえばもう関係はないと思っている人もおりますが、
とんでもない事だと思います。



悟るという事はですね、それで終わりというのではありませんで、二度と迷いの世界に戻れなくなるという事です。

例えば、分わかりやすくいうと、一度も来てもらったことのないこのお寺へ来てもらったら、もうその日からお寺に来なかった人にはならない。

どんなに騒いでみても、どんなにやってみても、もうお寺に来なかった前の人には戻らない。



それくらい悟りという事は人を迷わせない確かさがある、ということが悟りの大事な事ですね。



もし時間が経ったら忘れてしまうとか、元に戻ってしまうとかいうものだったら、尊ぶ所以(ゆえん)がないですね。


だから道元禅師が「一生の参学の大事おわりぬ」というような表現をしている。 参学の大事了畢(だいじりょうひつ)



その体験をした事によって一応の決着がつきましたって、いうことですね。


悟れば諸仏の境涯を楽しんで行ける

kandoroshiinzazen
それで
私たちは見たこともなかった、

行ったこともなかった悟りの世界に初めて足を踏み込んで、

諸仏方の過ごされた境涯というものをこの身体で楽しむことが出来るのです。



これで初めてそれが悟後の生活という事になるのかね。

ここら辺が楽しい処でしょう。

本当はこれをやってみたいわけですね。


そうじゃなければ、こういう祖師方の書かれたもの、残されたものを、
共に手を携(たずさ)え本当に参究して、
その味わいを味わうことはなかなかありませんね。

松本自證老師の指導を受けて3年で悟られたしみPという会社員(千葉県在住 1969年生)の方も、悟られて以後も多忙なサラリーマン生活の中、毎日1時間以上坐禅を楽しんで居られるようです。

悟っていない人が悟りの話をしても、無益であるし、外れている

そういう人を作っていかないと仏法とかいうようなものがつまらなくなるんですね。
そうでしょ。

 

向こうの岸へ行ってないのに、こつちの岸から向こうの岸の話を一生懸命しているんですから、
こっちにみんな居るんでしょ。

お互いこっちに居るものどうしが、その中の人が向こう岸の話をした。

「お前行った事があるか」と言った時、「ない」といったらどうなるんですか?


(井上貫道『げんにーび』 (正法眼蔵現成公案提唱)p.181) 
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松本自證師のことば


◯ 悟りは意識の状態ではないです。『事実』だからこそ、お釈迦様(ブッダ)から今まで伝わっているのです


◯ ハッキリする(悟る)と決してハッキリする前(悟る前)に戻りません、戻れません。


------------------

【問い】 自己を忘じると悟るとは同じことですか?

【答】 そうです。

一瞥(いちべつ)体験とか「自分がなかった」ことを自覚する体験とは違います。
それらは、ハッキリしません。認識が完全に止(や)んでいないからです。


◯ お釈迦様が明けの明星(金星)を見て悟られた時のことは、
自分がハッキリする(悟る)までは決して分かりません。

どんなに[理解しようと]頑張ってもそれは無理です。


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大原の孚上座が、宿泊僧のアドバイスで坐禅に励み、何日も経たないうちに太鼓の音で大悟

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説教師・孚上座が大悟するくだりのあらすじ

夾山[かっさん]の典座(てんぞ=台所係り)和尚が、雪に阻まれて予定外に或るお寺に宿泊をした。

その寺院では、孚上座(ふじょうざ)が大乗経典の一つ涅槃経(ねはんぎょう)の講釈をしていた。それに列席した典座和尚は、講義の途中、思わず失笑してしまった。

それを見逃さなかった孚上座は、その旦過の典座(てんぞ)和尚を部屋に呼び、どこがおかしかったのか、どこか間違っているのかを尋ねた。するともう一度そのくだりを講釈させた。
間違いではないけれどあなたは本当に意味が分かってそう説いているのかそれが問題だ。真意が知りたければしばらく講釈は止めて10日間ほど坐禅に専念したらどうですかとアドバイスをした。

そう言われた孚上座は正直に坐禅に励んだ。するとある夜、坐禅が思わず深夜まで続き五更(午前3-5時)の明け方になった。すると太鼓が鳴った。禅宗僧侶なら毎日聞いている太鼓である。。。

正法眼蔵梅華「夾山の典座に開発せられて大悟せり」

[夾山かっさん=寺のこと 中国では寺院は山にあったので◯山と言えば寺院の名称ということになります 転じてその山の住職の名前にもなります 日本では、山号としてそれを留めています 例:嵩山少林寺 禅宗僧侶の道号として◯山と言われることも多いです 例:魯山貫道、夾山善会(かっさんぜんね)]
[典座てんぞ=禅宗寺院の台所係]
[ 「上座」は僧侶の位(現在の曹洞宗や臨済宗の僧階とは位置づけが異なります) 
「孚」が僧侶の諱(いみな)2文字の下の文字  宗源そうげん なら 「源」さん と呼びます  ここでは僧侶は◯孚 という諱だったと思われます
曹洞宗には下の1文字だけで僧を呼ぶ習慣はなくフルの2文字で呼びますが、臨済宗に下の1文字で呼ぶ習慣が残っています 
江戸時代のある時期以降、元々面壁だったのを対座に変更するなど(これは明代に日本に来た黄檗宗の僧侶の影響)ことごとく古式を改変してしまった臨済宗に残っているのは不思議です]


井上貫道老師正法眼蔵梅花提唱

その孚上座の事が、所謂夾山[かっさん]の典座に開発せられて大悟したという因縁のものが、補注に出てます。475頁の補注です。
正法眼蔵梅華「夾山の典座に開発せられて大悟せり」

孚上座はもと、とあります。ざっと見てみると、「大原孚上座、揚州光孝寺にありて涅槃経[ねはんぎょう]を講ず。」「孚上座はもと講者なり。」とありますように、涅槃経の講釈、内容を講義をしてる人だったと言う事ですね。

旅をしていた夾山の典座(てんぞ)和尚が寺に一泊する

「游方の僧あり即ち夾山の典座なり」ですね。旅をしているお坊さん(夾山の典座)がおられて、たまたま、涅槃経を話している時に、そこに足を止められた。それは雪が深くてですね、雪にはばまるとあります。寺にありて、だから雪が深くなったもんだからしょうがない、そこに泊まる事になった。


その僧、涅槃経(ねはんぎょう)の席で講釈を聴く

そして泊まった時に丁度、この孚上座がですね、涅槃経の話をされていたので、ご自分もそこに連なって、お話を聞いたと言う事です。それで、話がどんどん進んで行く。「講すること三因仏性、三徳法身」そう言う所に、涅槃経のそう言う所になって、その講釈をしておられるのでしょうね。「広く法身の妙理を談ず」。

典座和尚、講釈を聴いて失笑

「典座忽然[こつねん]として失笑せり」孚上座が話をしているのを聞いて、思わずこの夾山の典座という方がですね、失笑だから、笑ってしまった。人が真面目に話してる時に、クスって笑うって言うのは、凄いまあ失礼な事かも知れない。或いは喋ってる方としては気になるね。もの凄い気になる。「孚、乃ち目顧して」目で顧みて、その笑った方ちょっと見たんでしょうね。

終了後典座和尚呼ばれる

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お話が終わって、その夾山をお呼びになった。「講罷りて禅者を請ぜしむ」まあ、何処からお見えになったとかって言う様な事で、お話になるのですね、向き合って。その中で問うて曰く、「某素智狭劣、文に依りて義を解す。適来講次、上人失笑せらる。某必ず短乏せらるる処あるべし。請ふ、上人説かんことを。」

私は話をしてるけども、本当は大した者じゃない。かろうじて、そこに言葉があるから、その言葉を解釈をして話している。そうしている中で、あなたが笑われたから、私の話を聞いて笑われたから、きっと何か私の話している中に、問題点があるんだろうと思うんで、どうぞ、そう言う間違った処があったら教えて貰いたい、指摘をして貰いたいって言って話してます。

偉い人ですね。普通、話をした人は、人がそんな事言ったら、黙って聞けって言う位、怒りとばすかも知れないけど、自分の事よく知っておられる。

典座和尚、なぜ笑ってしまったのかその理由を答える

 それで典座曰く、「座主問わずんば敢えて説かじ。座主既に問ふ、即ち言わずんばあるべからず。某実に是れ座主の法身を識らざるを笑ひしなり。」私は別に失礼な事をした訳じゃない。あなたが話した、法身の話を色々解釈されているのを聞いていて、全くこの方は法身というものを知らないなあって言う事があって、それでつい笑ってしまったって、こう言ってます。

あなたがその様に私を、私が笑ったのを見て、こうやってお招きして、それが私のどこに非があるかって聞かれるから、そこまで言われるんだったら言いますけど、って遠慮しながら言ってますね、夾山。

大原の孚上座、自分の説法が間違っている理由を問う

それに対して、「此の如く解説するに、何れの処か不是なる」私はあの様に話を、法身の内容を説いたんだけど、何処があなたが指摘するよう駄目な処、過ちがあるんでしょうかって、あくまで法に対して親切な勉強ぶりですね、大原の孚上座。

それに対して夾山と言われる典座職をしていた方、「請ふ、座主更に説くこと一遍せよ」もう一回話してください。孚曰く「法身の理は、猶ほ太虚のごとし。竪に三際を窮め、横に十方に亘る。八極に弥綸し、二儀を包括す。縁に従ひ感に赴く。周遍せずといふこと靡し。」って再び説いたんですね。

典座和尚の答え

典座曰、「座主の説不是なりとは道はず、只だ法身量辺の事を識得して、実にまだ法身を識らざること在り」言う事はですね、それらしい事はちゃんと言っておりますけども、まあ、もっと酷い表現をすればですね、本当にあなたはその事を見て来ないのに、見て来た様な嘘を言ってるじゃないかと、こう言う事です。

 本当に見なくたって、書いてあるものを勉強すれば、私達だってそうでしょ。大体の事は今だって言えるでしょ、勉強して。そう言う指摘です。頭からバチャッと否定したい処なのに、やんわりと痛いところを刺されたのが、この夾山と言う人の、何だろうね、懐の深さですかね。さすがあなたはよく勉強しておられて、法身の事をこうやって説いて、上手にお説きになる。それは間違いだとは言わないけれど、あなた本当に法身の真相そのものを、自分で見届けた事があるのでしょうか。誰か人の言ってる話を鵜呑みにして話してるだけじゃないのかって、こう言ってる訳ですね。きついとこですね。

それでも通るんですよ。通りますよ、それで一般には。だけど仏道を修行するって言う事では、そんな事では許されない。自分の中にも疑義が残るでしょう、人から突かれなくても。

孚上座、本当の様子とは何かと尋ねる

 えー、それを聞いてですね、孚上座が言われるのに、「既に然も是の如くならば、禅者当に我が為に説くべし。」だったら、本当の様子をぜひ伺いたい。この時、それだけ指摘した方の夾山が自分にその体験が無かったら、こりゃわやですね。話にもならないんだけど、ちゃんとしてるから、それに対して対応するんでしょう。

真相を知るには坐禅しかない

一度説法を中止して10日ほど[旬日]坐禅をせよ

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典座曰「若し是の如くならば、座主暫く講を輟むること旬日、静室中に於て端然として静慮すべし。心を収め、念を摂し、善悪の諸縁一時に放却し、自ら窮究看すべし」要するに本当に坐禅をしておらん、とおっしゃっております。考え方じゃない。事実を、本当に坐禅をして事実がどうなってるか、事実に学んで見なさい、とこう言っておりますね。

ここにも出て来る、「善悪の諸縁一時に放却し」とある。要するに自分の考え方で評価しない、ものに対して良いとか悪いとか。花で言えば、美しいとか汚いとかって評価をせずに、本当にそこに花があるんだから、その花の在り様そのものに、自分の評価を一切入れずにふれてごらん、と言う。そうすると、花の様子がよくわかる、とこう言う事でしょう。

坐禅のやり方

坐禅の時もそうです。色んな事が坐禅している時に、自分の活動があるけど、それに対して人間と言うのはすぐ自分で評価をする。例えば、何か思いが出てくると、思いに手をつけるなって言われてるから、手をつけない様にしなきゃいけないって、そう言う風な事やったりするのでしょう。ほっとけって、ほっとけば出て来ても、そのままほっとけ、あるいはそのまま流しとけば良いって言うと、そのままほって置く様な、流して置く様な、そう言うに扱うんでしょ。人間がやってるのは。人間がやってる善悪諸法を一時に放却してる状況ではありません。皆手をつけてる様子ですよね。知らずに手をつけちゃうんですよね、そうやって。教えられてる事を基準にして。何もしない様にって言えば、何もしない様に守る。そう言う事じゃない。何もしないって言う事は、そう言う事さえもしないのでしょう。手をつけないって事は、手をつけない様にする事じゃないのでしょう。ここら辺が本当によく話してみないと違うんですよ。真面目に一生懸命そうやってやってるから、ずれてくるんです。自分では言われた通りの事でキチッとやってると思ってるんです。それは諸縁を放捨してない。自分の考え方が、あくまで聞いたものに対して、自分の考えで受け取った受け取り方で、修行してるって言う事が、この辺のとっても大事な事でしょう。「極めつくしみるべし」本当に事実がどうなってるか、徹底自分の見解を入れずに触れてごらん、とこう言うのでしょうね。


孚上座、坐禅で徹宵して明け方に太鼓の音で大悟する


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 そして言われる通り「孚、一に所言に依り」夾山がおっしゃった事に拠って、「初夜より五更に至り」「鼓角の鳴るを聞きて忽然契悟せり。」一晩朝になるまで坐ったのでしょうね。そして明け方に太鼓がドーン!と鳴った。それによってアッって気がついたんですね。

「便ち去って禅者の門を叩く」だから昨日教えてくれた夾山の所に行って、自分の心境を告げたんでしょう。叩くだから、先ず行ったんですね。行ったら、典座「誰だ」って言う事です。戸を叩くやつは誰だって言う事です。孚云「私です」。で典座咄して曰く「汝をして大教を伝持し、仏に代わって説法せしむ。夜半什麼としてか酒に酔うて街に臥する」この夜中に、まだ夜が明けない頃に、丁度お酒に酔って町の中で寝てしまう様な事挙げてますね。ちょっとたしなめたんですね。普通だったら、夜が明けて、ちゃんと衣服を整えて、そして香をたいてお拝をして、そして参禅をする。これがまあ当時の在り方です。それだのに、まだ夜中寝ている頃に叩き起こしてって言う事ですね。非礼なんでしょう。そう言うの丁度酔っ払った奴が所かまわず喚いてる、夜中に入ってきたって言う様な表現をしております。

だけどそれにはそれなりの意味がある。そんなに急を要するって言う事は意味があるのですね。そこら辺が次の様子なんでしょう。孚云、「自来の講経は生身の父母の鼻孔を将って扭捏せり。今日より已後は、更に敢て是の如くならじ。」今迄は本当にいい加減な事を自分でさも本当らしく話して来たけど、もう二度とそう言う間違った事は、これから先しません、とこう言ってる。まあそう言うのが、一段の、碧巌の方にも出て来るのでしょう。

それがここの「孚上座はもと講者なり。夾山の典座に開発せられて大悟せり。」今そう言う風な因縁話があって、その話がそこに展開した事ですが。

 「これ梅花の春風を大少吹せしむるなり。」まあここでは、夾山の典座和尚さんに教えを乞うて、一晩坐って、朝の太鼓がドーン!と響いた。その事に拠って本当の在り様が手に入ったって言う事ですね。

これが梅花の春風、春風が吹いてきて、梅の花が咲いたと言う事でしょう。そう言う風に普通は読むのでしょう。春風が吹いてきて、梅の花が自ずからって。そこで、何輪か知りません、大少ですから、花がさいた。

太鼓の音に触れただけでそう言う事が、どうして悟ったか、理由は無い。ダーン!(大きな声で)それだけですよね。それまでは、太鼓の音をまさしく聞いてた人なんですね。ああ、太鼓が鳴ったって、その位にしかやってない。そう言うのを、お父さんお母さんの身体を借りて、この世に出て来た生身の体と言うのでしょう。そう言う上で、でっちあげた教えられた話。人から聞いて教えられた話であって、自分で本当に触れた自分の内容ではない。皆さんがドーン!とやった時に、どうですか。誰の力も借りなくても、その太鼓が一声鳴った時に、どうあるか。そう言う体験をしているに違いない。だけども従来の自分を見る癖がありますから、何だ、今、太鼓が鳴ってる、あれは何の合図の太鼓だとか、そう言うな事だけで生活してる。


 まあ修行寺に行くと、鳴り物が基本ですから、まずそうやって教えられるから、幾つ鳴ったらどうだとか、何時になったらどうだとか言う事を覚えて、そう言うものの上から太鼓の音を聞く癖がついてる。それはここで言う様に、人に教えられた聞き方でしょう。そうじゃなくて自分でなければ絶対聞く事の出来ない真相があるでしょう、一人一人。だって生涯他人の耳を借りて聞かないのですよ。言っときますが、音を聞くのに、片時も人の耳を借りて聞いた音はないのですよ、生涯。だったら、騙される事ないでしょ、聞いて。何で自分が聞いているだけなのに、腹が立ったり騙されたりするんですか、自分自身がやってる事で、自分自身が騙される様な愚かな事がありますか。眼だってそうでしょ。自分自身の持ってる眼以外のもので、見た物は私達は無いでしょう、生涯。一切他の人の眼を借りて、物は見ない。借りなくてもちゃんと見えるのだからいいじゃないですか。他人の見てるものと、自分の見てるものとで、何で争わなきゃならない。まあそう言うな事も出てきますね。時間もうちょっとあるんですが、どうしましょうか、一応梅花の巻き、終わったので、今日はこれで終りにします。

   ―井上貫道、正法眼蔵梅花提唱録より

その後の大原の孚上座

孚上座はその後、いつも1500人の雲水が修行していたとされる巨匠・雪峰義存禅師(822年-908年 せっぽうぎぞんぜんじ)に見(まみ)え、その法を嗣いでおられます。
伝燈の祖師の一人です。

井上貫道老師の大悟の因縁

井上貫道老師は、發心寺僧堂で畑に野菜を採りに行く時に、自分の下駄の音で大悟、決着をされています。

臘八接心の最中でしたが、野菜係の菜頭の役目があってずっと坐禅堂で坐っておられた訳ではありません。(一年で最大行事の臘八接心(ろうはつせっしん)中といえども、食事の準備をする裏方が必要です)

また大悟の瞬間は坐禅中ではありませんでした。僧堂安居2回目の臘八攝心中のことでした。


井上貫道老師の著作(書籍)

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 井上貫道老師の著作(本・書籍)ーあなたの取扱説明書


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正法眼蔵を正しく理解している人は皆無

正法眼蔵の解説書はたくさんあり、正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)を読む人は無数に居ますがみんな道元禅師の思想だと思っている
そして今、誰も本当の仏道修行をしていないのですwaterfallandmonk
上はブログなどへの転載のために作成されたフリー画像です

正法眼蔵はまったく誤解されている 1,000人中1人も理解できていないという現実

[この事は]ありきたりの話ですよ。もの凄く当たり前の話です。パン!(机を打つ)だけども、当たり前なんだけども、噛みしめてみるとですね、噛みしめれば噛みしめる程、この事が如何に大事な事かって言う事がよく分ります。
これなくして、ものは成り立たないのです。本当に。
でもこんな事が仏法だって思ってる人、千人の中に一人も居ませんよ、悪いけど。千人よっても。
現代の社会で。だからこの道元禅師がこうやって残してくれている物があっても、これ読んでる人が沢山居るんだけども、そう言う風に伝わってないんですよ。これは大問題ですね。大問題。


悲しいことに大多数の人は無闇に修行している

そんな修行はお釈迦様以来本当の仏教では教えていない

 だから私達が、本当にこの受け継ぎをきちっと出来る人を育てないと困る、と思います。でも話してみれば、当たり前の事です。誰でもが当たり前の事だから、誰にでも勧めるのです。誰にでも勧めて、そうなってる事を誰でも分れば、必ず救われていくんです。他人の力借りずに。

これは自分の事だけど、自分の事がそうやって分らないから、問題が起きてるんです。殆どの場合。どうして良いか、何処に手をつけていいか分らない儘に、無暗に修行してるんですよ。

どっか行けばその内、犬も歩けば棒に当たると思ってるんです。無理です、そう言う修行の仕方は。そんな事はお釈迦様以来正伝の仏教の中には無いんです。そんないい加減な導き方はない。そう言う事が、正法眼蔵だと思います。正法眼蔵と言われる所以だと思うんです。
                    ―井上貫道、正法眼蔵梅花提唱録より


井上貫道老師のこの語録をもっと読みたい方は、
 井上貫道老師の著作(本・書籍)ーあなたの取扱説明書




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現代人だって悟りを開くことができる、今の人も大悟ができる根拠がある

今日、昔の人のように本当に大悟などできるものかという人が多いけど、これはうそです。

 
絶対にそういうことはない。
今日の人だって、必ずできるということです。
 

現代人だって悟れることを信じず、本当に修行しないから悟れないだけである

ただ、そういうことのあることを信じない。
 

それですから、せつかく坐禅儀などに方法も手段も説いてあっても、
それをただ理解するだけであって、
本当にやらんから分からん。


それだから、その体験がないから多数決でもって、
そんなことが今日の人にできるもんか、
と片付けたくなる。

 

もし、現代人が悟れないなら、お釈迦様の教えが嘘をついていることになる

もし本当に今日の人にできなんだら、経論みな焼き捨てにやならんです。

教えんでもいいんです。


こんなことが本当にあります、というたって、
今日説明として残っているだけで、
事実がないようならうそをついている。
そういうことになるでしょ。

そういう面で大いに考えなければならんところです。

―井上義衍老師 (井上貫道老師の師)『無相伝光録』p.41-42)
『無相伝光録』購入はこちら 

井上義衍老師とは→
こちら  

以下に、井上義衍老師の法嗣の井上貫道老師のことばがあります。
galaxies


以下は井上貫道老師『正法眼蔵』提唱から

悟りを体験せずに批評したり、否定したりすることは根拠なき発言となる


気付かない限り[悟らない限り]、人間は本当にはケリがつかない。
毛筋ほどの疑いであっても必ず残る。


そういうものが残ると表現しきれない。


そのために生ずる
「悟りなどどうでもいい・必要ない・ないのが本当だ.あったら嘘だ」
というようなご意見は、もう一度考えて欲しいのですね。


悟りの正体を見届けた上でのお話として扱ってもらいたい。



一度も食べたことのない人が
「どうでもいい」とか「必要がない」とか「そんな味がするわけがない」とか、
もしそういう評価をしたらおかしいじゃないですか。


少なくともそのものをお食べになって味わった人なら
「これは商品として大したことない」とか酷評をしても構わないじゃないですか、
その場合言われていることに何か真意がありますからね。



ちゃんと食べたなら、
なんで「悟りなどどうでもいい」というのか、
なんで「必要ない」というのか、
「悟りなんていうのはあったら嘘だ」となぜ言うのか、
ちゃんとした理由がある筈(はず)です。


だけど食べない前に、食べた事のあるような話をしたらおかしいです。


だからここの処は私たちも気をつけたいところですね。


ー井上貫道老師 『げんにーび』 (正法眼蔵現成公案提唱) p.89
井上貫道老師『げんにーび』購入詳細はこちら 


悟りの様子は誰にでも有るが、自覚がないとそう思えない


悟りの様子もみんなに具わっているんだけれども、
自覚がない限りは誰も自分にそれがあると思っていないのです。

そんな素晴らしいことがあるとは思っていない。

ー井上貫道老師








 他の井上貫道老師『正法眼蔵』提唱は、こちらのブログにあります
 ⇒ 『正法眼蔵を学ぶ』

 
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Transmission of True Buddhism

English translations of Dharma Talks of Zen Master Roshi Kando Inoue

Buddhism is not Buddha's thought like philosophy.
It comes from Buddha's Enlightenment and from nothing else.


Real Buddhism based on direct realization has been transmitted from age to age,though by not verbally nor literally.

In Japan some peole,albeit only a few,have got enlightened as Shakyamuni Budda dit 2500 years ago.


kandoroshiinzazen

Master Kando Inoue preaches Dharma for years

Among them a 76-year-old Japanese Zen Master Kando Inoue(1944-) teaches Buddhism and its training for years after his enlightenment in his teens.

Being a most prominent Zen Master of Soto School,he is one of the successors of a Zen Master Roshi Gien Genro(1894-1981), who is said among Zen Buddhists to be such a great Master as one who should appear only once in 500 years.


He teaches,living in Shizuoka Prefecture,widely in Japan from Tokyo down to Shikoku district,responding to Buddhism seekers' ardent demands.

His Dharma talks are recently published in several books and are open to public in Youtube videos.


Fortunately for those who do not speak Japanese Ms.Shizuka Tatsuta,one of his pupils, has started to translate those into English.

Many have already been translated and you can see here for her English traslations not only of those of Master Kando Inoue,but of Master Gien Genro,and of Master Dogen,who after his enlightenmen in 1225 under the guidance of Nyojo Zennji,one of the greatest Chinese Zen Masters, for the first time transmitted Real Buddhism from China to Japan in 1227 during the Kamakura Period.

written  by the author of this website

悟りの体現者・井上貫道老師が北米オリンピア禅会でZOOM提唱

高知坐禅会主催のShikkaさんによって井上貫道老師の語録の英訳がされています

また、ハンドブック『井上義衍老師語録』も彼女の手で英訳されています
上の英文は、禅に興味のある方にお知らせしていただくためのものです
女史の英文サイトにリンクされています


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井上貫道老師提唱 『正法眼蔵・三十七品菩提分法提唱』の本の購入はAmazonにて

※「しょうぼうげんぞう」と読みます 道元禅師の『正法眼蔵』のうちの1巻に『三十七品菩提分法』があります。
この本を読まれた方は、レビューをアマゾンに書いてくださいませ。
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Amazonにて井上貫道老師『正法眼藏三十七品菩提分法提唱』販売開始

このページの下部に,書籍からの抜書きがあります
井上貫道老師が提唱されている 『正法眼蔵・三十七品菩提分法』を、参禅者のお一人が文字に起こされ、それがブログ http://syobogenzo.blog.fc2.com/ に記載されていますが、昨年、その方のご尽力で、紙の書籍として(電子書籍ではないです)刊行されました。 (岡山円通寺での毎月の井上貫道老師坐禅会で提唱されていたものです)
当初は予約者のみへの頒布でしたが、現在は、Amazonにて、どなたでもご購入が可能になっていますので、お知らせいたします。

 1 『 正法眼蔵 三十七品菩提分法 井上貫道老師提唱 』
 
 1 B5版 250頁 程度  電子書籍ではなくて、紙の書籍です

 1 井上貫道老師校正
 
    井上貫道老師正法眼蔵三十七品菩提分法購入方法
青いボタンをクリックしても、購入方法のページに至らない場合は、※の下線部をクリックして下さい 同じものです。
※  https://amzn.to/38VHFME

しづか出版からも直販されています。 
 https://ssl.form-mailer.jp/fms/daeb0842685782

[ 出版世話人様註 ]  本はとても良く仕上がっています。貫道老師のお話が良く伝わる、読みやすい本になっています。表紙は、円通寺講話会の案内のデザインを使わせていただいたそうで、正法眼蔵の文字は、道元禅師のご真蹟を取り入れたものだそうです。迫力があります。



[ 管理人 ] 以上の文章は、http://syobogenzo.blog.fc2.com/ に掲載されていることですが、できるだけ大勢の目に触れていただきたく本ブログ http://zazen.blog.jp/ にも掲載いたしました。


【正法眼藏三十七品菩提分法からの抜き書き】

パン!って、説明じゃないですよ―説明だと思っていると第一歩がずれているからその後全部の事がずれる

[ ここから本文 太字は管理人判断です ]
くしくも、この前お話したかも知れませんが、道元禅師の残された普勧坐禅儀ふかんざぜんぎという坐禅の手引書に、最初にこういうことがキチンと書いてある。ものの道理として、一番最初が。誰のことか、どうなっているかということが最初に書いてあります。それから、坐禅するのにどうしたら良いかということが書いてある。

ある方が、自分のお父さんが病気をなさって、病院に入って手術をして、まあそれから退院をしてこられた間の話ですが、病院に行った時、お父さんの様子を見ると、痛々しい苦しんでいるような感じが見受けられたのでしようね。だから家に帰って仏壇の前に行って手を合わせて、「私はお父さんに何もして上げられないけれど、せめて痛くないように、苦しまないように何とかしてあげて」つて、ずつと家でご本尊様の仏壇に手を合わせて、そうやって過ごしてたと言うんです。

やがて退院して帰って来たから、そういう話の中で、「お父さん病院にいる時に、痛そうだし苦しそうだったから、こんな風にしてたんだよ」って話をしたら、お父さん曰く、「痛くも苦しくも何ともなかった」って。「私はどこも痛くなくて何も苦しんでなんかなかったよ」つて言う話。これだけなんですよ。

これ、凄く面白い話ですよ。考えさせられるつていうか。何を私達はしてるんだろう。人の動きを見てですよ、人の様子を見てですよ、ありもしないことを自分の中で想像してですよ、苦しんでいる。本人のほうはケロツとしている。
それは一番最初がズレてたからじやないですか。

ご本人が病院行って、お父さんに触れた時に、ふっと、苦しんでる、痛がっているつて、そういう風に思つて見たんでしょう。思いを入れて。
そこから自分の行動が著しく変わった行動になってますよ。それを一生懸命やっていることが、お父さんに対する何か親孝行の一端のように思って、ひたすらそういうことをやつたんでしょう。同じ手を合わすんでも、そういうつまらない見方をせずに手を合わしてたら、自分も楽なのにね。不思議でしょ。(途中略)


これ、修行の基本の処で、人はそういうような一番大事なことを忘れていないかということ。
[老師側が] どんな正しいこと伝えても無理です。
[ 話を聴く方は] 真逆の方向にいるわけだから、それを実践しても絶対に言われた様にはならない。

だから、今話した道元禅師の在り様とか私達の在り様とか、幾つもあるんじやないんですよ。
お釈迦さまの在り様とか幾つもある訳じゃない。
基本的に、 一番最初はみんな同じなの。パン! (机を打つ)

パン!これ以外の聞こえ方する人、 一人もいないね。


パン!こういうところから勉強して行くんですよね。
と、言う事を、最近つくづくいろんな人と話していて、何でこうなっちやうんだろうつて、考えてるんですよ。


有る所へ行って話をして、アンケートに、井上さんはいつも、パン!こうやつてやると、パン!聞こえるでしょって、説明してくれる、と書いてある。

私、説明なんかした覚え一回もない。事実をこうやって、
パン! (一扇で机を打つ)見せているんだけど、聞いている人は説明をしてると思つているんだね。

説明をされてると思っている。パン!叩くと音がして、音が出ると、そのように聞こえるつて、それ説明だと思ってるね。

びっくりしますね、[アンケートに]書いてあるの[わたし]読んで。
こんな勉強しかしてないんだって。

これじや、何遍話しても無理だなって思って。


(途中略)

それで、なかなか話をしてもわからない。だけどちやんとした人がそこに来て、お前、色メガネかけてるからそうなってる。はずしてみろって、はずしてくれると、あ、本当だ、あなたの言ってる通りだって、こうなる。

それ修行する第一歩です。

何で師について学ぶか、何故、指導者が必要なのか。

何故、達磨が中国に来る必要があったか、ということです。


こんなことが日常の中にいっぱい形を変えていますね。


問題が起こる時は必ず第一歩がズレてる。 そこからものが勉強されるために、難しいなあ、わからないなあってきっと言うんですね。

[ ここまで本文 ]
井上貫道『正法眼藏三十七品菩提分法』pp.115-120




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中野の成願寺では、井上貫道老師が正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)『三十七品菩提分法』を提唱中です
浜松では、井上貫道老師が正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)を井上義衍老師『正法眼蔵行仏威儀』を使用して提唱中です

2020年11月以降の東京・浜松・静岡での坐禅会ー座禅初心者・無経験者歓迎

毎日ではありませんが、どこかで参禅ができるようになっています。
熱心な方々には、どうぞ実参実究のほど、お願い申し上げます。
経験のない初心者の方も、修行にはとても向いています。


特に、このブログの読者で、一度も貫道老師などの坐禅会に参加されたことのない方は、ぜひ一度ご参加ください。
案ずるより産むが易しです。


文章で読んでいて理解していただいていることと、実際に師家(しけ)の提唱を聞くこととは全く異なります。


提唱では、実物を示されるからです。お話、講義・講話、講釈・説明ではありません。事実を示されるのです。
悟っている人はこのようだということではなくて、あなたの事実・実物を直に示されるのです。


当然、今までの坐禅と違う坐禅の仕方も分かります。変わります。

百聞は一見に如かずです。

坐禅は心を静めることではないからです。


坐禅会は、ネット上からの申込みが必要なものと、
電話確認だけで現地参加のものとがありますのでご注意ください。

 坐禅で眠くなる人へ:坐禅で眠くならない方法ー仮眠のすすめ など



[ 坐禅会の日程 ]

井上貫道老師の坐禅会

井上貫道老師 浜松の座禅会

静岡県浜松市・龍泉寺金曜禅会 浜松市東区半田山4-18-5 電話053-434-0935
金曜禅会

日にち 毎月最終金曜日
時間 午後7時~9時30分
内容 坐禅、提唱(正法眼蔵行佛威儀)、茶話
予定 2020年 11月27日、12月18日     

詳細はこちらでご確認ください 龍泉寺での坐禅会の講師は、哲玄老師、哲秀老師ではなくて、井上貫道老師です
スケジュール上は、午後7時坐禅開始ですが、午後5時半、6時くらいから自主的に坐禅することもできます 出家の方も多い禅会です 本格的な禅堂があります 半地下です
浜松市内には龍泉寺という寺院が複数ありますので、所在地にご注意下さい


参加費は無料ですが、継続して出席の方は、講本:井上義衍老師『正法眼蔵行仏威儀』を購入してくださいとのことです
※坐禅会終了時間が遅いので、宿泊希望者はあらかじめ龍泉寺のご住職(井上哲秀老師)とご相談ください

ここ龍泉寺は、井上貫道老師の師・井上義衍老師が仏道指導を長年された寺院で、曹洞宗公認参禅道場です   貫道老師にとってはご実家(実寺?)になります

ryusenji

【アクセス】 
① JR浜松駅北側の遠鉄バス13番乗り場で「浜松医科大学」行きに乗り(1時間に5本くらい)、「半田山」(浜松駅から約40分~50分、420円)下車 徒歩5分 バス停は「半田」ではありません 「やぶきた入口」より近いです
浜松駅医科大学方面行き時刻表はこちら

② JR浜松駅から、徒歩5分の遠州鉄道新浜松駅に行き、そこから乗車、「積志せきし」で下車、そこからタクシー(2,000円くらい) または徒歩25分(道は一本)
遠州鉄道新浜松駅の時刻表はこちら


龍泉寺の場所 静岡県浜松市東区半田山4-18-5
地図は http://goo.gl/maps/WL2ST

火曜日の夜の浜松・弘誓寺での井上貫道老師坐禅会
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【場 所】 〒430-0824 静岡県浜松市南区富屋町6 弘誓寺(ぐぜいじ) 写真は弘誓寺門前
053-425-5099   浜松駅からバスがあります
遠鉄バス8番のりばから「掛塚」行きに乗り、立野で下車
【日 時】基本月最後の火曜日(変更のある場合がありますので、必ず主催者にお問合せください)
【内 容】 坐禅と法話・質疑応答
【問い合わせ先】 ☎053-425-5099 弘誓寺(ぐぜいじ) 
【地 図】 https://goo.gl/maps/yvHx6

2020年10月から磐田市の慈慶庵でも井上貫道老師の坐禅会が始まりました
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東京の座禅会

◆ 中野町長者の寺・成願寺坐禅会
詳細は、こちらと下の表で

成願寺坐禅会では、井上貫道老師が正法眼蔵しょうぼうげんぞう『三十七品菩提分法』を提唱中です。

【内 容】 午前9時半から坐禅3炷、昼食、坐禅1炷、提唱と質疑、後片付けと掃除終わって午後5時前散会
独参は坐禅中に希望者のみ受けられます


【会 費】 1,500円  テキストは会場にコピーあり(初参加の人用) 続けて参加される方は、自分用に下記の講本をご用意下さい  2018年5月現在で、(一)~(四)のうち、(三)まで進んでいます。

2019年6月現在で、(三)の『三十七品菩提分法』です。

【講 本】
連続参加される方は、岩波文庫『正法眼蔵(三)』水野弥穂子註 をご用意下さい。
はじめての方には、プリントが用意されています。
購入される方へ:正法眼蔵しょうぼうげんぞうには、水野弥穂子博士以外の人のもありますが、ページ数が異なりますので、この水野弥穂子註のを入手して下さい (講師が、「今日は◯ページからです」と言われたときに探しやすいです)。

細かい文字の苦手な方には、
『正法眼蔵しょうぼうげんぞう』水野弥穂子校注、岩波文庫(一~四巻まで有ります 古書になりますが文字の大きい大判ワイド版岩波文庫『正法眼蔵』のもあります 正法眼蔵は漢字も多いので、このワイド版がおすすめです) ワイド版岩波文庫『正法眼蔵(三)』水野弥穂子 はこちら 



おすすめの書籍―井上貫道老師『正法眼蔵しょうぼうげんぞう 三十七品菩提分法提唱』

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井上貫道老師の『正法眼蔵 三十七品菩提分法提唱』という書籍がありますので、必須ではありませんが、お手元にご用意くださると良いと思います。

書籍のお申込みは⇒ https://amzn.to/38VHFME

坐禅会世話人の方にも一括購入をおすすめいたします。


<<井上貫道老師・中野成願寺坐禅会情報の続き>>
2020年7月再開ですが、変更点があります
【参加人数】20名限定の予約制 坐禅会当日にその場で予約または電話予約
【食 事】持参して下さい
【問合せ先】 主催者の豊島徹禅師 ☎090-7288-4191

日程の確認は必ず主催者にしてください

【会 費】1,500円
【その他】初めての方は少し早い目に来られると、坐禅作法などを教えて下さいます
午後4時終了

昼食は持参してください

2020joganji

表の右側は、豊島徹禅師の座禅会です
8月の貫道老師の東京坐禅会はすべて中止
7、8月の豊島徹禪師の成願寺坐禅会はすべて中止となりました

井上貫道老師成願寺坐禅会の会場地図詳細がこちらにあります



◆ 四谷の健康寺子屋主催 笹寺坐禅会
井上貫道老師笹寺坐禅会はこちら 定員あり 申込みは先着順




松本自證師の坐禅会

「連続禅会」が毎月のようにあります。松本自證師の代々木連続禅会の詳細はこちらのページから

松本自證師は、井上貫道老師に見性けんしょうを認められた方です。見性後、貫道老師に在家得度して、「本貫自證」の法名を授与されています。

自営業で生計を立てながら、坐禅指導をされています。

坐禅会予定は、こちらで 松本自證師のプロフィールはこちらの下半分で(英文付き) やこちらで  
参禅者には英語に堪能な方々がいるので、文京・東大前禅会では、英語を話す人への、提唱・質疑の応対が可能です。


松本自證師の坐禅会はネット上からの申込みが必要です 代々木禅会、文京東大前坐禅会、関西禅会
ほぼ毎月土日祝日を利用して、連続坐禅会(夕方5時または5時50分終了で宿泊なし)があります。
連続禅会は、途中参加、途中退出可能です。ご自身の都合に合わせてご参禅ください。


上記以外に
松本自證師のネット坐禅会がありますがあります
ネット禅会とはパソコンやスマホを使って、skypeスカイプより簡単なZOOMという最も簡単な方法でつなぎます(スカイプやGoogleハングアウトやappear inなどを試してみて1番優れていたのがZOOMズーム) メールアドレスに送られてくるURLをクリックするだけで参加が可能 
自分の顔や部屋を写したくない方は、写さなくても大丈夫です
自宅などから一緒に坐禅し、代々木に居る指導者に独参できるシステムです 
海外や北海道などの遠隔地からも参加されています 
3炷の坐禅・提唱・独参が行われます 

ネット坐禅会の詳細はこちら



井上義寛老師・貫道老師に参じ在家で悟られた豊島師

豊島徹禪師の坐禅会


不識庵・豊島徹禅師の坐禅会ホームページへ 


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表の左側が井上貫道老師の、右側が豊島徹禅師の座禅会です 
ss-toyoshimastetsuzen豊島徹禅師は、在家の時に中野の成願寺坐禅会で井上貫道老師に初めて出会われました。また、井上義寛老師にも参じ始められました。
後に、事情により、成願寺坐禅会の主催者を引き継がれ、坐禅を開始。

在家であった50歳の夏の摂心時に、完全に自己を忘じて得悟されています。

それを期に義寛老師のお弟子として出家されました。その時に、井上義寛老師より、『萬像の中獨露身』の語を賜る。
(イラストはイメージです もう少しお若いですが)

その間もずっと貫道老師の法を聴き続けておられ、今も成願寺坐禅会を継続して主催をされ、かつ、井上貫道老師の助化(じょけ)をされています。

師匠の義寛老師に、「禅僧は坐禅、托鉢、作務を務めてればそれだけで良い」と言われ、70歳代の現在もそれらを実践されている道人どうにんです。曹洞宗にて立職し、素光徹禪座元ぞげん。室号は、不識庵ふしきあん。


托鉢されている時に、時々質問・相談をしてくる人があるようです。
ある男性は、徹禅師の托鉢姿をしばしば見ていて、憧れて出家してしまった。

在家の時は料理人(板前さん)だったようです。  板前1


初めて公開された豊島徹禪師のプロフィール⇒ https://ken1amaneku.wixsite.com/fushiki (このURL最下部に豊島徹禅師のプロフィールがあります)徹禪師指導の坐禅会は、
東新宿・火曜日(午後1時ー5時) と中野・成願寺土曜日夕方


お問い合わせは、
豊島徹禪師 090-7288-4191 
東新宿の主催:金子閑道師 080-4466-6934


 坐禅で眠くなる人へ:坐禅で眠くならない方法ー仮眠のすすめ など



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井上貫道老師提唱による『正法眼蔵「現成公案」提唱録 げんにーび』(2001年出版)が2018年1月に電子書籍化されました。


 

内容紹介:曹洞宗開祖・道元禅師の主著『正法眼蔵』において最重要とされる「現成公案」の巻。『正法眼蔵』の総論であり、核心が網羅されている本巻を、十代で悟りを開いた井上貫道老師が、7日間をかけて縦横無尽に提唱。道元禅師の真髄、真実・悟り・修行とは何かを余すところなく示している。

松本自證師が絶賛
「修行している人が本を読むとしたら、貫道老師の『げんにーび』だけでいいと思います」

でも、
「げんにーびに線を引きながら読んだり、欄外に自分のコメントを書き込んだりしていましたが、『ハッキリ』してみると、想像していた事とは全然違いましたね」
※ハッキリする=決着がつく=大悟徹底する=身心脱落する

「本を読む時間があったら、坐ってくださいね」

ーー松本自證師 (昔この方の尽力で新宿の紀伊國屋書店に『げんにーび』が置いてあったそうです)


■アマゾンkindle電子書籍は【こちら】から購入できます。 

■製本版(A5版223ページ、第二版、税込1,000円、送料400円)
井上貫道老師『げんにーび』(提唱録)は、
しづか出版から直販されています。売価1,000円
 https://ssl.form-mailer.jp/fms/daeb0842685782


gennibi











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道元禅師正法眼蔵提唱録―悟りの体現者・井上貫道老師


悟りの体現者・井上貫道老師「正法眼蔵提唱録」のサイトのご紹介


井上貫道老師が岡山県玉島の円通寺坐禅会で、道元禅師の『正法眼蔵』の提唱をしておられます。
それを文字に起こしてあるブログがありましたので、ご紹介させていただきます。
こちらになります⇒ http://syobogenzo.blog.fc2.com/

外部リンクを貼る許可も、ブログ作成者よりいただきました。


自分の今の様子に参じるのに役立つブログです。皆様もご訪問下さい。


ご参考までに、
提唱の講本には、岩波文庫の水野弥穂子註の『正法眼蔵』(一巻~四巻)を使われています。
文字の大きい 岩波文庫ワイド版 水野弥穂子註『正法眼蔵』(一巻~四巻) もあります。
坐禅会参加するためには、必ず購入の必要があるという意味ではありません。


◇    ◆    ◇    ◆    ◇    ◆    ◇    ◆    ◇

玉島の円通寺と良寛さん

岡山倉敷市玉島の円通寺は、良寛さんと親しまれているかの大愚良寛禅師が修行し、悟りを開かれた道場です。良寛さんは、大忍国仙禅師から印可証明を受けられました。

今も曹洞宗の専門僧堂です。


井上貫道老師の円通寺坐禅会

その円通寺で月一回土曜日夕方から日曜日早朝にかけて、井上貫道老師の提唱、坐禅、独参があります。
提唱が、『正法眼蔵』です。


坐禅は、禅堂で行なわれます。
暁天坐禅はとても気持ち良いです。一度体験なさってみて下さい。お粥も召し上がれます。

※道場では、修行者は朝のbreakfast はお粥(かゆ)をいただきます。


坐禅会が行われない月(8月/12月)もあります。
井上貫道老師円通寺での坐禅会情報の詳細は、
 http://zazen.blog.jp/archives/cat_958259.html
の <<中国地区>> でご確認下さい。
井上貫道老師円通寺坐禅会は、2020年9月をもって閉会しました


道元禅師の『正法眼蔵 三十七品菩提分法』の井上貫道老師提唱録

今回、通販の形で購入することができるようになったようです。

『井上貫道老師提唱「正法眼蔵 三十七品菩提分法」』頒布中



題名 「正法眼蔵 三十七品菩提分法」 井上貫道老師提唱


    紙の本です 表紙 レザック  B5版 232ページ
 
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 詳細とお申し込みはこちら ← クリックして下さい 電子書籍ではなくて、紙の書籍です




Amazon新刊:正法眼蔵梅花提唱録ー井上貫道老師

正法眼蔵梅花提唱録

↑クリックすると、アマゾンの 『正法眼蔵梅花提唱録』 に移行します

この本はしづか出版からも直販されています。 

『正法眼蔵梅花提唱録』井上貫道著・龍田しづか編
  • 178ページのアマゾンkindle版です
  • スマホ・タブレット(アンドロイド、iOS)やパソコンで読めます
  • 文字だけでなく、提唱の音声も聞けます
読み放題でも読めます

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道元禅師の『正法眼蔵 三十七品菩提分法』の井上貫道老師提唱録

過去に予約出版の受付をされていましたが、今回、20年2月20日、amazonから購入することができるようになったようです。

『井上貫道老師提唱「正法眼蔵 三十七品菩提分法」』頒布中



題名 「正法眼蔵 三十七品菩提分法」 井上貫道老師提唱


    表紙 レザック  B5版 232ページ
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 お申し込みはこちら ← クリックして下さい




Amazon新刊:正法眼蔵梅花提唱録ー井上貫道老師

正法眼蔵梅花提唱録

↑クリックすると、アマゾンの 『正法眼蔵梅花提唱録』 に移行します

『正法眼蔵梅花提唱録』井上貫道著・龍田しづか編
  • 178ページのアマゾンkindle版です
  • スマホ・タブレット(アンドロイド、iOS)やパソコンで読めます
  • 文字だけでなく、提唱の音声も聞けます
読み放題でも読めます

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