坐禅の仕方と悟り,見性,身心脱落:井上貫道老師の庵 まとめサイト

Dharma Talks of a perfectly enlightened Japanese Zen Master Roshi Kando Inoue 井上貫道老師が、悟りを体現された経験から坐禅の方法や仏道について語られたものを掲載しています web上に散見される魯山貫道老師のことばも引用掲載し、まとめブログとしました ( これは参禅者によるブログであり、公式サイトではありません ) このブログが正師への参禅のきっかけになりますように

坐禅の形・身体の整え方

坐禅は形を作っても坐禅にはならない 中身がないと

zensuwarikatahair_FotoSketcher座らないと分からないじゃなくて、坐るってことはこういうことやってるんです。 要するに考え方でない世界なんです。 考え方で過ごしている時間じゃないんです。 坐るっていうことは。



「形だけの座禅」

外から見た時に形だけを作って、あれで座ってると思ってるから。
そうじゃない、坐るってことの内容は本当にこうやって考え方でない今事実にこうやって生きてるってことが、座ってる時になかったら坐禅にはならない。

仰るように、坐るとあんなにいろんなことが次々出てきてっていうぐらい、本当に自分とまともに向き合ってないんだよ。ほとんど考え方を相手にして生きてるわけだから。

それは一応こうやって座って、あからさまに言わなきゃ外から見たら真面目に座ってるなって言うかもしれない。
中見たら、なあんだ こんな状況か  っていうぐらい坐禅でないような時間を過ごしてる。



「本当の坐禅」

これを本当に座ってほしいんです、だから。そういうことが、こうやって座ってるわけです。
こうやって座ってるわけ。
考え方でない。そういうことがあります。

充実感がないなんてことはないでしょう、だから。なんだろう、充実感がないと言わないんだったら、何かじゃあ、物足りないものがあるかって言ったら、そういう気が起きないでしょう。
そういうことでいいでしょう。

寒風の吹き荒ぶ中に立ってて、はあはあって、それだけでも楽しめるもんでしょう。
楽しめない人もいるかもしれないけど。
(笑)寒いなあ、やだなあって。
でも思うこととは違うんだよね、だから。

―井上貫道老師 12/21/2017大阪坐禅会の提唱DVDから
DVD制作をされている参禅者による文字起こしになります
 











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動画:座禅の仕方=結跏趺坐と半跏趺坐,目は必ず開く,法界定印, 左右揺身,経行(きんひん)

井上貫道老師坐禅姿
【動画からのメモ】
禅堂に入堂したら、足を揃えて、合掌低頭 聖僧様(しょうそうさま 文殊菩薩etc.仏像)に対してする
そこから、指定された経路で単に向かう
単 たん 自分の坐禅の場所

隣位問訊 りんいもんじん 自分の単に向かって合掌低頭(がっしょうていず) 意味は、両隣の人に対する挨拶 うるさいことを言えば両隣の人はそれを受けて合掌する
右回りに回って、次に自分の単を背にして合掌低頭(対座問訊)

対座問訊 たいざもんじん 隣位問訊のあと、右回りをして、自分の単を背にした状態で、問訊 これは自分の真後ろの人に対する挨拶 された人は(かなり離れているし、背中側なので見えないが、背中で気を感じたら)それを受けて合掌する

結跏趺坐 けっかふざ 
半跏趺坐 はんかふざ

法界定印 ほっかいじょういん 卵型に作る 一度両手を持ち上げて卵型になっているか目視で確認してから、ゆっくりとその法界定印を降ろす

左右揺身 さゆうようしん 坐禅をする前にし、坐禅を終えて立ち上がる前にもする

経行 きんひん 歩行禅 動いている時の坐禅 一息半歩 歩くことのスローモーションではなくて、動いている時と止まっている時とがある

坐禅(止静しじょう)の始まり 鐘が3回鳴る 三声(さんせい) 

坐禅の終わり 経行がある場合は鐘は二声(にせい) しかし、その後食事になる時、すべて終了など経行がない場合は鐘は一声
[ 禅堂生活はすべて鳴らし物で合図される
食事時には、小食(粥座)、中食(斎座)、薬石には鳴らし物が鳴るが、使われるものが異なる
終わりには終わりの鳴らし物がある 食事の時の、着座の鳴らし物、起立の鳴らし物がある
作務の開始、終わりも鳴らし物で合図される ]


坐を解く時は、急に立ち上がらず、左右揺身をする 坐禅始まりの時と違って、この場合の左右揺身は始め小さく、だんだん大きく左右揺身をする [ 急にたちあがると起立性低血圧やひどいめまい(頭位性眩暈)を起こして危険なので、(他の人に合わせようとして)慌てずに、まずは、5,6回ゆっくり左右揺身してから、ゆっくりと立ち上がって(再度ひざまずき、さらに坐蒲をふくらませます そして立ち上がります)ください ]

経行(きんひん) は、叉手当胸(しゃしゅとうきょう)(叉手した両手を胸の高さに置き、胸から握りこぶし1個くらい離す 両肘は張る(脇があく))して、一息半歩 息を吐いた時に足を半歩分前に進める その時両足に体重が均等にかかるようにすると安定する(この時は停まる この間に息を吸う) 次に息を吐きながら反対の足を半歩進める 以上を交互に繰り返す
右足を半歩進める→両足に均等に体重をかけて止まる→左足を半歩進める→両足に均等に体重をかけて止まる→右足を半歩進める→両足に均等に体重をかけて止まる→左足を半歩進める→……
となるので、経行は歩行のスローモーションではありません


経行終了の合図は、鐘が一声なるので、鐘がなったら、叉手の手のまま(合掌はしない)、低頭
合掌はしないで、頭を下げるこの動作を揖(いつ)と言う(中国特有の挨拶)

その後、普通のスピードに変えて、右回りのまま自分の単に戻る
自分の単に戻ったら、自分の単に向かって合掌低頭(=隣位問訊)、右回りに回って自分の単を背にして合掌低頭(=対座問訊) 東司(とうす=便所)に行く人は退出、行かない人はそのまま後ろ向けに単に坐して、坐禅をする


坐禅 今までどこかで聞いた坐禅に対するイメージや概念は持ち込まないこと 「今日は気持ちよく座れた」「今日はうまく行った」と言うような方は、すでに坐禅に対するイメージがあるので、そういう評価をするのであって、これでは、坐禅になりません

教えが守りにくいのは、目を開くこと

頭の考えを追っていて、目を開いていても、目の前が見えない人がいる これは全く坐禅とは言えない

動画はパスワード保護されています


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「坐禅は習禅にはあらず」・坐禅はトレーニングではない  坐禅は本当に何もする必要が無かった 呼吸にも集中しない 



「修行は「思い」ではないんです。

『こうやればいいんだ』
って方程式を立てておいて、それに沿ってやることではないです。」
― 井上貫道老師

坐禅の形・組み方(目・手・脚・口)―井上貫道老師 はこちら


以下は、Sさんのブログからの引用です  
3日間ぶっ続けに坐禅できた体験談です
本当に坐禅できるようになるとはこういう事だということが述べられています:


[ 事実に触れる体験前ページ参照 のあとです ]


帰宅後、近所のファミレスで禅の本を読んでいると、「坐禅は習禅にあらず」という道元禅師の言葉が目に入りました。

「うわぁ、そういうことか・・・本当にそうだった」


さっそく家に帰って坐禅すると、本当に何もする必要がありません。


kodomozazen_Foto
壁に向かって坐禅の足を組む前から、もう壁が壁そのままです。


「なんだ、坐禅はトレーニングじゃないんだ。」

「禅の初心者が最初の日に足を組んだその時から、もうちゃんとこうなってるじゃないか。」

「なーんにも練習も努力もする必要がなかったじゃないか。」


新人が先輩に仕事を習うとき、「まず俺のやることをただ見てろ」と言われたら、わけなどわからず、ただ横に立って見ているだけでいいんです。

下手に手出しをすると怒られます。そんな感じでしょうか。


   *   *   *

幸福感に包まれて、3日間ぶっ続けに坐禅した

そんなこんなで、とにかく気持ちがいい。

「リアル極楽浄土とはこのことか・・・」

鳥肌が立つような快感と幸福感に包まれながら、3日間ほど続けて坐禅ばっかりしていました。


そうこうしているうちに買い置きの食材もなくなったので、買い物に出かけました。




帰ってきて車から外を見ると、雑草が風にゆれています。


ジョギングをしているおじさんが目の前を走り過ぎていきます。

「草も木も、みんな、昔から、ずっと一緒に、このとおりいてくれたじゃないか・・・」

涙が少し出ました。


「もしかして、悟ったか!」

そう思ってしまうほどのものでした。


[自身が、ブログに「以上は坐禅の誤りに気づいたということであり、悟ったということではありません。」とブログの冒頭にコメントを付加されています]


ということで、1月の坐禅会にて老師に確認してもらうことにしました。[下に一部分 引用しています]
   
   引用元:http://ameblo.jp/hamamatsu-zen/entry-11254771638.html




老師の点検

私 [ Sさん ] :
先月のクリスマス坐禅会以降、また気づいたことがいくつかありますので、だらだら長くなりますが…。


掛川の老師:
どうぞ、どうぞ。(笑)

私:
老師から「坐禅をやめたらどうですか」と言われたんで、坐禅をやめて街をブラブラしてました。
で、地下道から地上に出た時、ふと見上げるとビルがあるんです。

その時に「あれっ、これじゃないか」と気づいたんです。


どういうことかというと、坐禅や仏法に出会う前から、いつでもこのビルを見たらこういうふうに見えてたじゃないか、昔からの平凡な自分の感覚のまんまでいいんじゃないかと気づいたということです。


本当か?と思ってしばらく確認しながら歩いてたんですが、交差点に来ると赤信号がある。
待ってると青信号に変わる。

渡り終えると向こう側に渡っている。

なんだ、やっぱりこれじゃないか、と。


「坐禅を始めて2年半、俺はいったい何を見当違いのことをやっていたんだろう」とがっくりきて、
笑いがこみあげてきました。


嬉しくなってさらにブラブラしてたら、
10分ぐらいして「なんだ~これらは全て出てきちゃったものじゃないか。
出来上がってるんじゃないか。

結果として表れてきたものであって、
自分はそれに手の付けようがなく、
ただ立ち会っているしかないんだな」と気づきました。

で、家に帰って普勧坐禅義を読み返していたら、
「坐禅は習禅に非ず」という言葉が目に入って、
「ああ、そういうことか!」と本当に意味が分かりました。

坐禅の形に足を組んで、あとはもうすでに表れている昔からの平凡な自分に立ち会うというか、確認するというか、一緒にいるというか、それだけでいいんだ、と。


坐禅の初心者が最初に座ったその瞬間からちゃんと坐禅できてるじゃないか、と。

あまりに気持ち良くて、
そのまま3日間ほど坐禅やってたんですが、
買い物に出ようとして外に出ると風に草がなびいている。
おじさんがジョギングしている。

「な~んだ~、昔から今までみんなずっと一緒にいてくれたんじゃないか」と気づいてウルウルしました。

というところまで気づきました。


引き続きこんな感じで坐禅を続けていきますが、続ける上でさらにご指導ありましたらお願いします。



掛川の老師:
そのまま坐禅を続けてよいです。

ただ…今話を聞いている様子では、やっぱり、そういう様子っていうものをこっちで見ている。
どうしても「教え」と「自分」というものがあるね。

それ、それだけ。


観察しないこと、眺めないこと、事実にいるだけ。
見る人がいなくなって事実だけになります。

そうやって座ってください。

まあ、今おっしゃったとおり、どうするこうするということがなくなってるからいいじゃないですか。

    全文を読む




「今のありように本当にこう、いてごらん。他で見つかることはないんですよ。

「他の時間帯で」「どっか他所で」「何か」。そんなことはないです。今の様子の中にあるんだから、いつでも。

一番厄介な問題なんですよ、これ。坐禅して。
一番厄介な問題でしょ。

一応、形を作らせて止静を入れて、坐禅始めますよってって、一応そこに坐ってるけど、
鐘が鳴って、経行ですよとか、抽解があって止まって、
また坐るんです。

だけど坐ってる時のありようはどうあったらいいかっていうことが、一番問題なんでしょ。」― 井上貫道老師





坐禅の形・組み方(目・手・脚・口)―井上貫道老師 はこちら

大切なのは、どのように坐禅するかということです

井上貫道老師は、今の自分自身の様子(「事実」)を本当に見届ける(悟る・見性する)ための坐禅を教えておられます

体験談をすべて読む



上のボタンをクリックすると井上貫道老師参禅者の体験談がすべて最初から読めます。



【投稿後記】
Sさんは、井上貫道老師に参禅されている修行者の一人です。
(浜松の老師にも参禅されています)

すでにSさん自身が自分のブログに詳細に体験談を書かれていますが、すでに過去の記事となってしまっており、それを見つけにくいのでここに引用をさせていただきました。

3日間ぶっ続けに坐禅したときは、ご飯一回炊いたままでそれを食べていたと確か言われていました。

大変真摯な姿勢で修行に取り組んでおられることが分かります。
分からないことはそのままにせずに、老師に質問をし、体験があれば、老師に確認を求めておられます。

そこでお願いです。
Sさんのブログにコメントをして質問されることはご遠慮ください。Sさんに要らぬ負担をかけることになります。
Sさんはまだ修行者の一人です。法の上の質問は、師つまり仏道を体得し終わった人にするのが修行者としてのただしい尋ね方です。ですので、くれぐれもよろしくお願いをします。



ここに記載した・これから掲載する参禅者体験は、1年を経過しているものを選んで投稿しています。
投稿者は、インタビュアーやレポーターではありませんので、その後、その人がどのようにされているかは存じていませんし、その後の修行をインタビューしていません。

上記Sさんのように、個人を知っている人であってもできるだけ個人を特定できないように余分な情報は書かないようにしています。使用した人名のアルファベットは、その人の本名とは全く関係がありません。ZからAまでを逆順に使っていきますので、まずはYさん、Wさん、Uさん、Tさん、Sさんという順番になります。



ちょっと待ってください。このままブログを閉じずに、↓↓

瞑想中・座禅中に眠くなる原因ー僧侶やベテラン一般人はなぜ坐禅中に眠るのか

坐禅中・瞑想中に眠くならない方法

現代の日本に夜中も眠らず坐禅できる人たちがいる

座禅・瞑想中の眠気の原因【続き】―室温や服装に注意


座禅や瞑想・スポーツでの眠気対策に仮眠が良い
もご覧ください。



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座禅の組み方・坐禅の方法・坐禅の仕方ー悟りの体現者・井上貫道老師



坐禅中は、かならず目を開けます

道元禅師は、「目は常にすべからく開くべし」

「常に」 と 「すべからく」ですから、
「坐禅中は目を開けなさい亅とかなり強く言われているわけです―井上貫道老師


(正しくは坐禅であって、座禅ではありません 坐は動詞、座は名詞です)
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『普勧坐禅義提唱』ふかんざぜんぎていしょう に基づいて


まずは身体の整えかたから。by 少林寺・井上貫道(いのうえかんどう)老師


[ 禅堂には、時計やスマホはもちろん自分の荷物は持って入れません。
また坐禅をする禅堂とトイレでは会話をしてはいけません

禅堂と東司(とうす=トイレ)と浴司(よくす=風呂場)とは三黙道場と言って、会話をしてはならない場所です

dabb8682ba0bf83bab636ca47ddeaf77_s禅堂に入る前に、夏冬かかわらず、靴下は脱いでおきます



禅堂に入ったら、一歩進んだところで一礼してから叉手(しゃしゅ)で、坐禅の場所である「単(たん)」までゆっくりと進みます  この時、聖僧(しょうそう)様と堂頭老師(どうちょうろうし、壁に向かわずこちらを向いて坐禅されている)の前は横切ってはいけません]





●「袈裟けさを掛かくべし」と書かれてありますが、ビジネスで喩(たと)えれば背広を着てネクタイを締めるってことです。正装ということです。だらだら坐らないこと。それが心に影響するからです。在家得度(とくど)されている方なら絡子(らくす)を掛けます。

お坊さんが袈裟をつけて坐禅をするということは最高の服装で坐禅をしているということです。
在家の人も、たとえばデートをするという時には最高の服装をなさるでしょう。
ですから、坐禅をする時は、身体も清めて、清潔な服装をする必要があります。


[投稿者:ここでは触れておられませんが、一般の人がお寺や道場で他の人と坐禅する時は、黒や紺などの地味な、目に障りにくい色が良いとされています 黄色や赤、しま模様は目にチカチカすることがあり、おすすめではありません]



●坐蒲(ざふ、ざぶ)
zensuwarikatahairichibu_FotoSketcher坐蒲は前半分を使います。真上からどっかと座るのではありません。 尾てい骨が坐蒲の中心に来るぐらいに坐ります。












●結跏趺坐と半跏趺坐(けっかふざ、はんかふざ) 

冬でも靴下・ストッキングは脱いでおきます

hokkaijoin_FotoSketcherpencil5どちらも正式な形です。半跏趺坐が略式だと思われがちですが、そうではありません。どちらも正式です。

両ひざと尾てい骨、頭で三角錐になります。120°ぐらいの一番安定する角度で足を組みます。


結跏趺坐で両方の足を組めばそういう形になりますが、半跏趺坐だと片方の膝が浮く場合もあります。
身体が硬いとそうなります。膝が上がりすぎるようなら何かそこにかませれば安定するでしょう。

あぐらは坐禅にはなりません。第一長時間組めないですよ、あぐらでは。
何千年の歴史を経て、結跏趺坐とか半跏趺坐が坐禅に最適だと立証されて来ているんです。


[怪我などで]足が組めない人は他の形でもかまいません。西洋の人などは椅子でやっているような場合もあります。
足が無い人だって、それなりの形で坐ってもらえればけっこうです。

足は腿の上まで上げて、足の裏が見えるようにします。ふくらはぎの上ですませている人がいますが、腿(もも)の上まで上げます。

外国から来た人は、真剣だから、脚が痛くても結跏趺坐や半跏趺坐を組んでいますよ
[あぐらで済ませてはいけません 膝を傷めてしまいます 一番膝に良いのは結跏趺坐です]



●服
ぴったりしたズボン等は体を締め付けますから、なるべく避けます。逆に和服の場合はゆったりしますが、衣服が広がり過ぎて隣の人に迷惑をかけないようにまとめてください。
[在家修行者の正式な服装は、和服に袴(はかま)ですが、貫道老師の坐禅会ではほとんどいません]


●法界定印(ほっかいじょういん)

lotusposition_FotoSketcher2よく、指の組み方がいかにも坐禅の本質にせまるようなことを言われていたりしますが、そんなことは全くありません。

指の組み方が気になっているような状況ではまともに坐禅ができません。

自然に手を組めば自然に落ち着く場所があるでしょう。


法界定印がちゃんとたまご型になっているか、一度そのまま手を目の高さに持って来て、確認して下さい。


組んだ手は体に沿って静かに下ろした位置に置きます。あまり身体から離して前の方に置くと、筋肉が緊張しがちです。

結跏趺坐宙ぶらりん時々、腕が宙吊りになっている人がいますが、それは肩に力が入っているからです。

肩から力を抜いて、法界定印を組んだ脚の上においてください。

それでも、まだ腕が宙吊りになる人がいますが、それは腕が短いからです。
その場合は、組んだ脚の上にタオルなどを置いてその上に法界定印を載せるようにすると安定します。



●口
tongueinzazen普通に口を閉じてください。そうすると舌が上あごに付きます。少し舌には力が入っていますかね。
力が完全に抜けていると上あごに付かないですね。

気力がなくなっているかどうかというときに大事なことです。また、気の抜けたように口を開かないこと。







●目
坐禅中は開けています。

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目を閉じていると、目の前のことが見えなくなり、代わりにいろんなことがいっぱい想起されてきます。真実を見極めようとしているのに、想像の世界で見極めようとすると、あやまちが多くなります。




目を開いていると、必然的に頭の中に思い起こされることが休まるようにできています。「妄想」というものが起こりにくくなります。また眠気も起りにくいです。

そして前方45度、1mぐらいの所に視線を落とすと、自然に半眼になります。


「目を開けると言っても、一点を見つめるのではないですよ。
どこかに焦点を合わせるのではありません。」




●法界定印が崩(くず)れていないか、舌が上あごについているか、目が開いているかの3点セットが、気が抜けていないかのポイントになります。

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【閑話休題】
自然な坐禅をしたら、3日間ぶっ続けで坐禅できた人の体験談はこちら




●欠気(かんき)
形が整ったら、口をわずかに開いて、息を全部吐(は)き切ります。吐き切ることが大事です。吐き切れば自然に空気が入ってきます。これを2~3度やると、形を崩さずに身体の緊張が取れ、坐りやすくなります。

坐禅中は、あとは呼吸は意識しません。
息を整えたり、数息観も不要です。

呼吸を意識しないのが、呼吸が整っているということです。




●左右揺身(さゆうようしん)
sayuyoshintoright_FotoSketcher両手を両ひざの上に仰向けて起き、身体を左右に、最初は大きく、徐々に小さく揺らしていき、身体を緩めます。最後に真ん中で静かに坐ります。

このとき大事なのは、肛門の括約筋をきちっと締めることです。足を開くと肛門も開くため、そのまま坐ると痔になりやすいですから、きちっと締めます。「痔じ」って、やまいだれに「寺」ですね。お坊さんが痔になりやすかったってことでしょう。




坐禅を解く時は、両手を両ひざの上に仰向けて起き、身体を左右に、
今度は、最初は小さく、徐々に大きく揺らしていき、身体を緩めます。

sayuyoshintoleft_FotoSketcherこういった左右揺身も、本当の修行者はないがしろにはしません。ちょうど、一流のプロ選手が基本を大事にするのと同じです。ベテランになったからと言って、やらなくて良いというものじゃありません。










●兀兀(ゴツゴツ)と坐る
山がドシンと坐ってるように、どっしりと坐ります。







舌を上顎つまり硬口蓋につけるようにすると、呼吸も口呼吸ではなくて、鼻呼吸となります。 
免疫力も向上するという臨床例が上がっているようです   <--ここまで管理人
>







 座禅作法を教える曹洞宗の図解入りホームページ


以上が、座禅の組み方(外見)の基本ですが、
大切なのは、どのように坐禅中を過ごしているか、その内容です
道元禅師によれば、内容によって、

「毫氂も差あれば、天地懸かに隔たる」 (普勧坐禅儀)
髪の毛一本も差があると、天と地とくらいに隔たりが出てくる

と言われています。


貫道老師
「(坐禅中、どのように時間を過ごしているかに話題を戻される。)

ものすごく嫌がる話題ですね、これね。(笑) 
参禅会に来てて、一番、たぶん、触れられたくないところ、誰も。


だから、坐禅があんまり本当に効果が上がらないのは、それが一番、元かと思うな。


分かったような顔して坐ってるだけ。

それらしい格好して坐ってるだけ。


本当はそこらへんが十分に理解が行かないまま坐ってる。
それ、長くやって苦労した人、話してごらん、聞いてごらん、きっとそうだよ。(笑) 


そこが分からなくて時間がかかるんだよ。


で、そういう話題を提供してくれないもん、なかなか。坐禅をするったって。


だからそういう意味では、井上義衍老師の流れを汲んでる人たちのところは、
まことにありがたいと思いますよ。

得難いですよ。

うん。



【閑話休題】
自然な坐禅をしたら、3日間ぶっ続けで坐禅できた人の体験談はこちら




坐禅の内容、坐禅中にどうしたら良いのかについては、下記をご覧ください。気に入ったタイトルだけ読まずにすべてお読み下さい。

次は、「坐禅の仕方・方法 の注意点」です。

または、
上の方にあるメニューの「座禅の仕方・坐禅の方法」をクリックすると、すべての記事が古い記事から順に読めます。

zenkokuzazenkaimenu

関連記事の坐禅中の想念について を読む


井上貫道坐禅の仕方ダウンロードする
無料です↑ 編集者からのご厚意で提供されている 『井上貫道老師提唱:真実・悟り・禅修行とは』から作成された抄本です

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急に立ち上がらず、左右揺身を7,8回してから―道元禅師『普勧坐禅儀』から



急に立ち上がると、ひどい眩暈(めまい)になることもある

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以下は、道元禅師『普勧坐禅儀ふかんざぜんぎ』の井上義衍老師提唱録からの抜粋です。
「」内は、普勧坐禅儀原文です。


「若し座より立たば」、坐禅をしておられて、坐禅から立つ時分には、静かに立つということです。

それはどうしてかいいますと、皆さんによく経験がおありになるでしょ。

心が静まり、身体が静まって、静かになっておるときに、眠っておるときに、突然に。ゆさぶり起こされた。びっくりして起きた一日というものは、一日頭が痛いんです。

そういう風なことがありますから、結滞をしておる、血液が静かにおさまっておるのを突然にやりますというと、そこから突如として大きな動きをする、そういうことがありますので、都合によると倒れるということもある。
めまいがする。

sayuyoshintoright_FotoSketcher種々雑多なことがおきますから、そこで立つ時分には、徐々として静かに、坐禅をやめる時分には、「細より粗に至る」とあるように、細かく体をゆさぶって、左右にゆさぶって、そうして[段々と]大きくゆさぶること七、八回して、結滞の様子を解いて、そして立つと。

それを「徐々として身を動かし、安詳あんしょうとして起つべし」、静かに気をつけて起つということです。
「卒暴なるべからず」、「倒れますよ」、こうあります。


―井上義衍老師『普勧坐禅儀提唱』p.33sayuyoshintoleft_FotoSketcher

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[ 管理人 ]
以前、川上雪担老師のサイトを拝読していましたら、雪担老師が、坐禅を終えてやおら立ち上がったところ、体調を崩し、しばらく不調だったと書いてある箇所がありました。

わたしは、「ふーん、そんなことがあるのか」と思っていましたら、
井上貫道老師が左右揺身をせよと仰っていたにも拘わらず、ある時、自宅で坐禅していた時に、左右揺身をせずに、急に立ち上がったところ、気分が悪くなりました。

気分が悪いと云っても、なんというんでしょうか、胃腸系とかの気分の悪さではなくて、頭的な気分の悪さでした。特に動くとそれがひどくなるのです。

治す方法はジッとしていること。坐禅をしていると調子が良くなります。

そんなことがありました。



それから、また別のときですが、坐禅会で禅堂に坐っていて、主催者側なので用事があったので、坐禅が終わってすぐに動こうとしたら、ひどい 眩暈(めまい)になりました。
あまりにひどいので、控室で横になろうとしたら、さらに悪化してグラグラと来て、吐いてしまいました。

頭位性(とういせい)眩暈と云って、横になったらいけないめまいだったのです。
それまで人生でめまいになったことは、上の自宅のやつを除いてありません。

原因は、坐禅が終わって急に動いたことしかありません。


坐禅が終わったら、すぐに立たず(慌てて)に左右揺身(さゆうようしん)必ずやらないといけないんですね。
左右揺身のあと、ペッタンコになった坐蒲(坐禅用の丸いクッション)を分厚くする時間もありますから、その動作も怠らなければ、急に立ち上がることにはなりませんから、大丈夫です。


皆さん、ぐれぐれもご用心してください。





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坐禅には分厚い布団を坐布の下に敷きます

「尋常[よのつね] 坐所には、厚く坐物と(を)敷き、上に蒲団を用う」―道元禅師『普勧坐禅儀』
[ 坐禅をするところには、厚い坐物(ざもつ)を敷いて、上に座蒲(ざふ=丸いクッション)を使用する ]
「ざもつをしき」と「ざもっとしき」と読むのは経典読みで、いわば、リエゾンです。
zazenzabuton
88cm×80cm この上に丸い坐蒲zafu と呼ばれるクッションを置いて坐禅をします 

↓↓ 座物(ざもつ=四角い大きめの座布団) と 蒲団(坐布=丸いクッション)
350zafuonzabuton_FotoSketcher


坐禅は苦行ではありません。
坐禅には、厚い四角い座布団(坐物ざもつ)88cm×80cm を敷き、上に丸いクッションである座蒲(蒲団ふとん)を用いて、快適に坐禅せよと道元禅師がお示しです。

夏は涼しくして、冬は暖かくして坐禅をせよともお示しです 吹きっさらしのところで坐禅するな etc.とお示しです。
臨済宗の僧堂では、真冬でも、10枚以上ある障子窓を全開し、前門、後門も全開して、吹きっさらしで坐禅する道場が幾つもあります。気温は戸外と同じになります。
達成感を感じたい誰か先輩が始めたんでしょうね。雲水は若いから何ともありませんが。
※臨済宗では、前門は、独参の出入りと朝課・晩課の出入りだけに使い、雲衲(うんのう=雲水=修行僧)は後門を通常の出入り口に使います。師家は前門から出入りします。師家も雲衲も前門を出入り口に使う曹洞宗と随分違いますね。

「厳しい修行」が大好きなテレビでは分かっていても報道してくれませんが、寒い地方の曹洞宗の専門僧堂には禅堂に暖房があります  近くで坐禅している人は、逆に暖かすぎて眠くなり坐禅にならないようですが^^;


自宅坐禅用の座布団の販売がされています

座布団申込みページへ行く
座布(ざふ)という丸いクッションは簡単に入手できますが、その下に敷く四角い布団が中々ありません。
丸い座布を直に畳の上に置くと、膝がすべり、身体がずれて来ます。当然長時間の坐禅に耐えられません。
丸い座布をフローリングの上に置いて坐禅すると、床に当たった膝が痛みます。

従いまして、座布の下に何か必要なのですが、普通の四角い座布団は何もないよりましですが、大きさが足りません。80cmほどが必要になるのです。

よって、坐禅専用の座布団をふとん屋さんに作ってもらうしかなかったのです。


このたび、神戸の坐る会/神戸坐禅会で、坐禅用として十分な大きさとクッション性を持った座布団の試作を重ねて、メーカーに特注した坐禅用座布団の頒布が開始されました。88cm×80cmのサイズです。


ネット通販で神戸「坐る会」から購入することができます。
坐禅にふさわしい分厚い座布団となっています。
自宅坐禅用や坐禅会場にどうぞ。
複数枚の時は、送料が変わります。(一時、業者さん側の理由で送料が枚数に比例していたことがありましたが、今はそうではなくなっていますので、大量注文も送料は以前ほどかかりません)


サイズや値段、注文方法など
坐禅用座布団の頒布についてはこちらをご覧ください  
座布団申込みページへ行く


【特注の坐禅用座布団の特徴】

・大きな体格の人が使用しても、結跏趺坐(けっかふざ)や半跏趺坐(はんかふざ)を組んだ脚がはみ出ないようなサイズになっています 88cm×80cm

・厚さも検討を重ねて作成されています

・中に入れる綿の材質や割合など試作を重ねてできた座布団です(長年の坐禅に耐えられるように考えてあります) 
綿だけだとヘタってしまい、固くなります。固くなると長時間の坐禅をすると身体がこわばります。
化繊だけを使うとふわふわ過ぎます。ふわふわ過ぎると身体が安定しなくなります。
その綿と化繊(ポリエステル)の配合割合を色々とテストして最適な柔らかさと厚さを実現しました

・近所のふとん屋さんに頼むよりも割安な価格になっています

・柄は基本無地ですが、時として無地でない場合があります(メーカーの在庫状況によって生地の柄は変わりますのでご了承ください) それが気になる方がいらっしゃるかもしれませんが、さすがに坐禅中に視界には入ってきませんので邪魔にはなりません。コストダウンを図るために、柄が変わることをご了承ください。


特製・座禅用座布団の詳細についてはこちらをご覧ください

管理人はそれまで、こんなの(右図)を座布団代わりに使い、
このマットの上に丸い座布を置いて坐禅していました。
厚さと弾力があって中々良くて、4年後でも使っています。もったいないですから。
しかし、高価ですし、長すぎます。
い草敷きマット



座布団とセットで用いる丸い「座蒲」「坐布」ざふ の入手・おすすめ

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坐禅用の座蒲(丸いクッション)については、大きさは、1尺または1.1尺くらいのをおすすめします 33cm くらいが一尺ですが、測り方によって誤差が生まれるので、同じ1尺、1.1尺と言っても販売店によって大きさが異なります。

また、体格と座蒲の関係ですが、お尻の大きさと座蒲の大きさが比例するとは限りません。体格の良い方が小さい座蒲が合う場合もあり、管理人のように大きくなくても座蒲は大きくないと、腰がだるくなりやすい場合がありますので、サイズに関しては最初は試行錯誤になるかもしれません。
  
 http://tinyurl.com/zazenzafu ←色々なのを比較検討したい方はこちらを 


 https://store.shopping.yahoo.co.jp/enchudo-zafu/nf9t2nh3id.html?sc_i=shp_pc_search_itemlist_shsrg_title(円中堂) ※ 
 
 ※ 円中堂のを代引きで購入したい場合はこちら


 他のも色々使ってみた結果、円中堂の座布(ざふ=丸いクッション)をおすすめする理由
・値段が安い
・中にパンヤが大量に詰めてあるので、そのパンヤを(ファスナーを開いて)ある程度(かなり)取り出して適当な厚さにして使える
・使い続けるとへたって来るが、取り出しておいたパンヤを補充して、厚さを取り戻せる
・他店でパンヤが少ないものを購入してしまうと、すぐにペチャンコになり、使えなくなる (パンヤだけの入手は困難)
・ただし、円中堂には直径が大きいサイズはありませんので、上記の理由で管理人には少し小さいです
・ただし、円中堂にビロードのものは扱われていません(2020年1月現在)


 円中堂では色は黒のみです(道場では黒のが標準defaultです)。ビロード生地のは販売されていません(2018年3月現在)
 (ビロードや別珍のは身体の滑り止めにもなりますし、質感が良く、高級感があります 但しビロードでないものは坐禅を組んだ身体が滑るわけではありません ビロードでない方が、座布に乗ってクルッと身体を右回りに回転させる時に回りやすいです 曹洞宗では、座蒲に腰を下ろしてから180度回転します)


【注 意】座布団と座布はセットで使いますので、この同一記事でご紹介していますが、ご注文に当たっては、取扱責任者/配送元が個々別々ですので、それぞれ別々にご注文下さいませ。

当サイトでお知らせしています、書籍やDVDにつきましても、何人かのご協力者様が、日常の仕事や参禅修行の合間にそれぞれの活動(ボランティア)として、別々に書籍の発行、DVDの発行をされています。
それらを取りまとめて一緒にご注文ということはできかねます。

お手数ですが、それぞれよろしくお願いいたします。



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