思いが起こらなくなったらハッキリする(=悟る)のではない
坐禅中に思いが起こったらいけないなんてわたしは一言も言ったことはないですよー井上貫道老師(成願寺にて2025年)坐禅中に思いが気になる人が多いですね。こんなことが思えましたとかあんなことが思いとして出て来ましたと困るようなことを言いますが、いろんな音が聞こえてきて困るという人は居ないんですね。
思いが止んだら悟るのではなくて、認識が止んだら悟るのです。ー松本自證師
悟っている人の本を読んだり、動画で確認したりすることは必要ですか?
(この部分20日午後に加筆)義衍老師の本に出会った時にわたしは、「これ修行が終わる」と確信しました。
それから、[貫道老師に出会って指導を受けるようになっても] 井上義衍老師の本を丹念に読んで、線を引いたり、欄外にコメントを書いたりしていました。ー松本自證師
貫道老師に独参も行っていましたが、自宅で坐禅していて、疑問が起こったりすると、義衍老師の本を開いて「これで良かったんだ」などと納得させていました。
どこに何が書いてあるか分かっているのに、坐禅を中断してわざわざそんなことをしていました。
そのようにして、修行を遅らせていました。ー松本自證師
ハッキリしてみると、義衍老師の本の欄外に自分が書いたコメントは全然違っていたんです。ー松本自證師
YouTubeの動画を見たりして、わざわざ自分で悟りの邪魔をするのは止めたほうでいいですね。
信じられないかもしれませんが、わたしの修行時代はスマホがなかったのは良かったです。ー松本自證師
修行の方法、坐禅の方法が分からない方は遠慮なく独参してください。ー松本自證師
(ハッキリするとは悟る の意味です。 井上貫道老師がよく使われる言葉 松本自證師は修行時代になぜ老師は「ハッキリする」と言われるのか不思議だったそうですが、自分が悟ってみて「ハッキリした」ので納得できたそうです。)
認識が止んで大悟した実例その1ー香厳智閑禅師

「[中国唐代の]香厳智閑(きょうげんちかん)禅師(ぜんじ)という方は、お寺の掃除をしていて、箒で掃いた時に舞い上がった小石が竹に当たってカーンという音で悟られたと言われています。
その時に、認識が止んでいたので、その音で、音じゃないんですが、そのカーンでハッキリされたのです。
認識が止んでいても傍から見ていても分かりません。
香厳さんは、その時、空中を掃いていたりはしていませんよ(と言って松本師、宙を掃き掃除するジェスチャーをされる)。
ちゃんと地面を掃き掃除をしていたのです。
なので外から見たら普通にお掃除をしています。でも認識がやんでいたのです。
ですから、認識が止んでも、ボーッと突っ立っているようにはならないですよ。」ー松本自證師
(管理人:この逸話は「香厳撃竹きょうげんげきちく」として有名です
潙山霊祐(いさんれいゆう)禅師のところで長年修行したけれど悟れず、もうあきらめて南陽の慧忠国師の墓守をしていた時のことです)
(続・管理人:この松本自證師の話で、運転中に分離帯の雑草を見てハッキリした人の謎が解けました 運転中に認識がやんだら事故るから危険だ、道路上でずっと止まっているわけにはいかないし、本当に運転していたのかなと思っていたのですが、ちゃんと運転できていたのですね)
認識が止んで大悟した実例その2ー井上貫道老師
「臘八摂心で食事の準備をしていたんです。それで、畑に野菜を採りに行ったんだけど、行こうとするところまでは覚えているんだけど、[自分の]下駄の音でハッキリしたんだね。
でもちゃんと手には[目的の]野菜を採って帰って来ているんだけど、その間、全然記憶がない。
40人分の建長(けんちん)汁の刻みをしていたから、凄い量なんだよね。
もうクタクタで頭が働いていなかった」
ー井上貫道老師 發心寺僧堂に掛搭(かた)して2回目の臘八(ろうはつ)摂心の最中に台所で自分の下駄の音で大悟されて修行を終えられた
「ハッキリするのは坐禅中でない場合が多いですね」ー井上貫道老師
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
以上は管理人が直接聴いたことを記憶から呼び起こして書いています。
感ずる所があった方は、貫道老師、松本自證師に直参されることをおすすめします。
管理人注:井上貫道老師も香厳智閑(きょうげんちかん)禅師と同じく、認識が止んでいてもちゃんと畑に目的の野菜を採りに行って建物の中に戻って来ている ということですね。
この時は臘八(ろうはつ)摂心も老師には2回目で、禅堂で坐禅に専念できる番ではなくて摂心を支える裏方に回っておられたのです。
坐禅中に大悟された例として有名なのは道元禅師ですね
禅堂で大衆(だいしゅ:修行者達のこと)が坐禅していた時、道元禅師の隣の僧が居眠りをしていた
そこへ堂頭老師である如浄禅師が回って来られて履いていた草履で僧の身体を叩かれた (そこでは今の禅堂のように警策が使われていなかった) その瞬間、隣単の道元禅師が大悟された そしてすぐに独参に行かれてその事を告げられる…
香厳智閑禅師はきわめて頭のよい博識な人とされていたが、当時の大家であり1,000人を越える修行者が居た大潙山の潙山霊祐(いさんれいゆう)禅師に参じても悟れず、師の下を辞して、六祖慧能大師の直弟子の南陽慧忠国師の墓守をするため庵を結んで閑居されていた。

東京会場は残席わずか
