井上義衍老師が最も尊敬された北野元峰禅師の臘八大接心

北野元峰禅師の生い立ちと修行

以下は、https://zazenjp.com/soshi/kitanogenpou.html からの抜粋です

上の姉二人が尼僧だった。 上の姉が男の子が生れて出家することを祈願していた。 そうしたら、1842年10人兄弟の一番下に男の子が生れたという。それがのちの元峰禅師である。母その時47歳。
福井県の同郷出身の和尚を頼りに、姉二人に、9歳にて上州(群馬県)最興寺の哲量和尚の下に連れて行かれる。

しかし、元峰は、哲量和尚が年寄りだったので、「こんな先の短い和尚は嫌だ」と言って姉を驚かす。

そこで、和尚の弟子の西方院碩童(せきどう)和尚を紹介せらる。

碩童和尚の下、10歳で得度(とくど=正式に僧侶となること)。諱(いみな)大夤(だいえん)。※諱とは戒名

いたずらが激しく師の手に負えず、16歳にて赤塚松月院の魯衷(ろちゅう)和尚に預けらる。
当時松月院には常時25人の雲衲(うんのう・雲水=修行僧のこと)が逗留(とうりゅう)

18歳、魯衷和尚、江戸の青松寺の昇住に従い、江戸に伴う。
22歳青松寺魯衷和尚冬安居(=雪安居:冬の90日間禁足の修行期間)、首座(しゅそ)に就く。

魯衷和尚の懇書に従いて、碩童和尚から魯衷和尚に転師。(転師とは師僧を変えること 師僧転換)
魯衷和尚の懇書によれば、面山下(めんざんか)の法系も頗る人物が払底して秋風寂寞の観があるから、何とかして之を復興せねばならぬが、それについては元峰ならば必ず之を成すであろうから、どうか面山下復興の為に、元峰を下さらぬかということであった。
(面山下とは、曹洞宗・面山瑞方[めんざんずいほう1683-1769年]和尚の法系)

次の僧堂安居そして同年の臘八接心で悟るー北野元峰禅師

1868年27歳、江州(滋賀県)彦根の清凉寺の清拙和尚の下で安居(あんご)。
1868年明治元年の冬、臘八大接心の第二日12月2日の夜、豁然(かつねん)として大事を了畢(りょうひつ)し、即時に清拙和尚の室に入って証明を受ける。
以下は省略。世寿92歳、圓證明修禪師(えんしょうみょうしゅぜんじ)

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臘八開始たった2日なんですね。それまでちゃんと修行をされていたということだと思います。

なお、井上義衍老師は東京港区の青松寺僧堂での修行時代に、隠居におられた北野元峰禅師に会われ、独参をしておられます。老師が最も尊敬されたのが北野元峰禅師だと言われています。

北野元峰老師の逸話

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「修行中の元峰のもとに、母の危篤の知らせが届きました。
急いで福井県の実家に帰省して、母の看病に専念。幸いに病気は快癒に向かいます。

再び修行に戻る前に元峰は母親に告げました。

「私はこれから再び修行に励んで参ります。もしも間違ってヤクザ坊主(堕落した僧侶)にでもなれば、もう帰ってくることはないでしょう」

「何を言ってるんだい。……」続きはこちら そちらには禅師のお写真も掲載されています


正信の坐禅「禅道法話集 北野元峰老師」ー長井自然老師の提唱




臘八大接心ー井上貫道老師山梨接心2021という記事を読む

参師聞法と坐禅は車の両輪

接心中は、提唱と質疑(Q&A)・独参と坐禅があります。

以下は管理人の意見です:
している人を否定するのではありませんが、世で説かれている坐禅の仕方は,
どんなに権威のある人や管長とか老師とか師家とかの肩書のある人、有名な人が述べようが仏教的には99.9%間違っているものばかりなので、お釈迦様から法を受け継ぐ正師(しょうし)から坐禅の仕方を尋ねる必要があります。

(世間でよく説かれている坐禅の方法が仏教的に間違っているとしてもそれなりの効用はあります 心が落ち着くとか健康になるとか、感覚が鋭くなるとか、人の心が分かるようになるとか、自分自身をみつめることができるとか  よってそのような坐禅をされている方を否定しているのではありません でも仏道を本当に極める坐禅にはならないということです)


正しい坐禅は道元禅師が辧道話で言われている通り、最上の修行なのです。


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