あけましておめでとうございます 2019年元旦

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坐禅は必ず目を開いて行っています。

常済
じょうさい大師だいし が言われるのに
「まことに身心もし禅定ぜんじょうに入っておったとするならば、
どこに出入ということがあるだろうか。
もしこの身心に向かって、肉体なり精神なりを静めるというような修行をするとするならば、それは本当の坐禅ではない。

本当の坐禅というのは、そういうふうに人間の肉体と精神を置いておいて、それを出来るだけ静め、静かにしていくというような、そんなつまらない修行をさせるのとは違うのだよ。」と、こういうふうに言われたわけです。
―井上義衍老師『無相伝光録』p.253


魯山貫道(ろさんかんどう)老師も 松本自證(まつもとじしょう)師も 常々言われていることです。
「じゃ、坐禅て、どうするものなのですか?」という疑問が起きた方は、坐禅会に出かけてみてください。


常済大師じょうさいだいし瑩山紹瑾禅師 けいざんじょうきん・ぜんじ 道元禅師から四代目の法孫  鎌倉時代の僧侶
伝光録でんこうろく は、瑩山禅師 けいざんzenji の著作 釈尊から始まって道元禅師、孤雲懐奘(こうんえじょう)禅師(ぜんじ)までの53人の祖師方の生い立ち・行履(あんり)と開悟の機縁をまとめたもの 傳光録

松本自證師いわく
「自覚した人は必ず事実があります。
[明星を見た、
石が竹にカチーンと当たった、
川に写った自分の姿を見た、
生爪を剥がして「痛い!!」
太鼓の音を聴いた、
雷を聴いた、
隣単の人が老師の靴で叩かれた、
ホオジロの声、
セミの声、
下駄の音、
時計の音などなど]

一見よく似た教えとごっちゃにしないでくださいね。 せっかく正しい教えに出会ったのですから」



瑩山紹瑾禅師や伝光録についての詳細はこちらに

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