坐禅の注意点―自分の坐禅を評価してはいけない
坐禅はどこかで聞いてきた坐禅に対する先入観を捨てること今日は気持ちよく坐れた 今日はよく坐れた、坐れなかった
という、こういう人はすでにそういう先入観を持って坐禅をしているということ
目を開いていても頭の中の考えを追っていて目の前が見えないのは坐禅になっていないということ
坐禅中は目は必ず開く
目を閉じるのは坐禅ではないし、
目を開いていても頭の中の考えを追っていて目の前が見えないのは坐禅になっていないということ
[ 五感を開放して ] 自分自身の真相 [ 心の中ではありません ] に親しくいることが坐禅である
坐禅中は「求めない」こと
―井上貫道老師
Q.
坐禅中、畳の目が見えているのですが、外で鳥が鳴くといきなり畳の目がなくなって鳥の声に感覚が動きます。
鳥の声が消えればまた畳の目が戻ってきます。
そういうものでしょうか?
それとも目と耳が同時に働かなければ間違いでしょうか?
(井上貫道老師)A.
そういうことはあります。
もっと言えば、考え事をすればもう何も見えず何も聞こえなくなりますよね。
そういうものです。
目を開いているからといって必ずしも見ているわけではなく、
耳があるからといって必ずしも聞いているわけではないんですよね。
ただ、五官[眼耳鼻舌身]の働きはそんなに単純じゃなく、もっと複雑で、変幻自在に変わります。
目と耳だけじゃなく、これ(身体)全てです。そういった五官の自在な機能に学んでください。
たとえば耳の機能はすごいですよ。
3人でしゃべればどうなりますか。
ちゃんと3人でしゃべっている様子になりますよね。
●『自分が物を見る』とやると、物を見てる自分が立っちゃいますね。
自分を立たせるのではなく、自分と物と、実際は一つなんです。
●何かをつかもうとしないことです。
実際はなーんにもつかむものなんてないのに。何かつかむものがあるんでしょうかね?
―井上貫道老師
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