「理想」は立派そうに見えて、実は「理想」が迷いの根源
理想は考えにすぎないー井上義衍老師
●人間が理想を画(えが)いていると、いかにも立派そうなんですけれども、それが迷いの根源なんです。それを人類ことごとく知らんのです。
●人間の考え方が、どんなに立派な考えでも、それは、その人間、その人の考え方なんです。
――井上義衍老師 井上義衍老師とは
悟りのイメージが危険 ―井上貫道老師
Q.悟りに向けて進歩しているのかどうか不安なのですが・・・。
A.井上貫道老師:「悟り」って、どこかで聞いてきただけでしょ。悟りって、きっとあんな感じだ、こんな感じだというイメージがあるだけでしょ。だから危険なんです。
進歩っていうと、その勝手なイメージまでの距離を測り、どこまで進んだかな、なんてやってるんじゃないですか。
そのような行為を「念想観を測量する」と言います。測量はやめましょう。
註:「念・想・観を測量しきりょう する」は、道元禅師『普勧坐禅儀ふかんざぜんぎ』中の一句
念や想や観、それらをあることを基準に測量すること
念や想や観、それらをあることを基準に測量すること
悟りに用がないということにすればいいんです。
悟りたい、分かりたいという気持ちに用がある人は何してるかというと、
いつも追っかけっこしてるんです。
実際は手を叩くと「パン」だけで終わってるでしょ。
それで満足いかないのは「考え方」があるからです。