坐禅の仕方と悟り,見性,身心脱落:井上貫道老師の庵 まとめブログ

Dharma Talks of an Enlightened Japanese Zen Master Kando Inoue Roshi 井上貫道老師が、悟りを体現された経験から坐禅の方法や仏道について語られたものを掲載しています web上に散見される井上貫道老師のことばも引用掲載し、まとめブログとしました ( これは参禅者によるブログであり、公式サイトではありません ) このブログが正師への参禅のきっかけになりますように

タグ:坐禅のやり方

老師に言われて坐禅を中止した結果: ビルがそのままビルに見えた


師のアドバイスに従って坐禅を中止したら、思わず「事実」の体験が起こった




2008年5月参禅開始した熱心な修行者Sさんの、3年目の2010年12月に起こった体験です。
以下、原文のママです。「私」=Sさん です。


私:
先日の臘八接心の後、坐禅をしていてもやたら考えばかり出てきて、頭の中がいっぱいになってしまいます。

とても事実に参じるなんて感じではありません。

何か変なことをしてしまったのでしょうか。
どうすればいいでしょうか?



掛川の老師:
(この間、私との質疑応答。内容をほぼ忘れました。1時間以上にわたってびっしりと指導してくださいました。他の参禅者はそのやりとりを黙って聞いておられました。)



私:
もう、老師の言葉を聞いているだけでも、頭がずきずきしてくるんです。これは何なんでしょうか・・・。

他のどなたでも、何かアドバイスありませんでしょうか・・・。


修行中の雲水:
それは私にも経験があるんですが、きっと、事実を自分なりの枠にはめて捉えようとしているんじゃないですか。無意識のうちに。

私:
枠にはめて捉える・・・。


雲水:
事実なんて、そのままでいいはずなのに、それを「ありのままに見よう」とか「正しく見よう」とか、そういった自分の枠というか、あるべき姿に変換して捉えようとしているんです。

だから頭痛がする。


私:
(しばし沈黙)

なるほど・・・。


(またまたいろいろと質疑応答)


掛川の老師:
あなたは苦労するね。


私:
そうかもしれません。(苦笑)
でもやっぱり、頭で考えるのが好きなんですよね・・・。


掛川の老師:
うーん、坐禅をやめたほうがいいかもしれないね。

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がっくりきて、でも言われたとおり、坐禅をやめてみました。


まず翌日の土曜日は一日中ゴロゴロ。


「あなたは苦労するだろうね」
と[老師に]言われたのを思い出しつつ、
あと何年かかるんだろうか、
一生わからないんじゃないだろうかと泣きそうになりながら、
でもどうすることもできず、仏教も坐禅もやめて寝ていました。


そしてその翌日、日曜日には知人のライブがあったので街まで出かけました。


元城町の駐車場に車をとめて、交差点の地下道をくぐって、薄暗い階段を一歩一歩、足の裏の感覚だけで上がり、地上に出ました。

building


ふと顔を上げると、目の前にビルがあります。(たぶん鴻池ビルだか谷島屋だったか。)



その時に「あれっ」と感じました。




ビルがそのまま、ビルに見える。

いつだって、ビルを見ればこのように見えていたじゃないか。

幼稚園の頃からずっと、ビルを見ればこの感覚だったじゃないか。

仏教とかを知る前から、いつでもこうだったじゃないか。


えっ、えっ、えっ、という感じで、
目を下に向けてみると、
こんどは歩道がちゃんと歩道に見える。


「ええっ、本当か!?」


半信半疑で、しばらく歩いてみました。


信号があります。
赤です。
しばらく待っていると青に変わります。

さらに待っていると、点滅してまた赤に変わります。



「やっぱりそのまんまじゃないか!」


きっとこれだ

と思いつつ、嬉しくて街をうきうき散歩していると、だんだん分かってきました。


事実は全てできあがっている。

事実は全て結果でしかない。

こちらはその出来上がったものを、ただ、いただいておくことしかできない。

こちらが手出しする余地なんてない。

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という体験をされました。


Sさんについては、まだ続きます
続きは、こちら⇒ http://zazen.blog.jp/archives/1063114362.html


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【投稿後記】
Sさんは、井上貫道老師に参禅されている修行者の一人です。
(浜松の老師にも参禅されています)

すでにSさん自身が自分のブログに詳細に体験談を書かれていますが、すでに過去の記事となってしまっており、それを見つけにくいのでここに引用をさせていただきました。

大変真摯な姿勢で修行に取り組んでおられることが分かります。
分からないことはそのままにせずに、老師に質問をし、体験があれば、老師に確認を求めておられます。


そこでお願いです。
Sさんのブログにコメントをして質問されることはご遠慮ください。Sさんに要らぬ負担をかけることになります。
Sさんはまだ修行者の一人です。法の上の質問は、師つまり仏道を体得し終わった人にするのが修行者としてのただしい尋ね方です。ですので、くれぐれもよろしくお願いをします。



ここに記載した・これから掲載する参禅者体験は、1年を経過しているものを選んで投稿しています。
投稿者は、インタビュアーやレポーターではありませんので、その後、その人がどのようにされているかは存じていませんし、その後の修行をインタビューしていません。

上記Sさんのように、個人を知っている人であってもできるだけ個人を特定できないように余分な情報は書かないようにしています。使用した人名のアルファベットは、その人の本名とは全く関係がありません。ZからAまでを逆順に使っていきますので、まずはYさん、Wさん、Uさん、Tさん、Sさんという順番になります。

参禅歴15年で見性した参禅者は、15年のうち、実は1年しか修行していなかった

 14年間、間違った坐禅をしていた=14年間、坐禅の仕方が分かっていなかった の意味です


「修行して解脱するんじゃないです。

すでに解脱してるんです。

そのことに気づき、ああ、なるほど、確かに解脱してるな、となるのが坐禅です。

こういう実証方法を伝えてきたのが仏教のすばらしいところですね。」ー 井上貫道老師



70歳の参禅者が摂心中に突然、見性体験をした例
 Tさんの参禅体験談続編です


Tさんの体験談をインタビューして『浜松で…』のブログに載せたの管理人Sさんは、別の記事でこのように追記されています。



「20年間の修行期間のうち、19年は修行の方法、坐禅の方法がわかっていなかったのだ」と。

(事実関係としては、20年は、15年の、19年は、14年の間違いです)


「15年間の修行期間のうち、14年は修行の方法、坐禅の方法がわかっていなかったのだと。」




以下、当ブログ管理人の感想ですので、主観が入っています:
ところが、本ブログの管理人わたしが、ちょうど、初心で、Tさんに出会った時は、本当に修行底(しゅぎょうてい)の人だなあという印象でした。

と、言いますのは、初めて出会ったのが体験談http://zazen.blog.jp/archives/1062539620.htmlと同じ年の半年前夏の摂心の時なのですが、その時に、
Tさんは、遠方からお寺に車でやって来られた様でした。

バッグを控室に置いて、やれやれ一休み、
として、同じ参加者に挨拶して、雑談しながら、
「坐禅が始まるまであと30分あるな」とか「摂心は明日からだから」
という感じの人が多い中、
そのTさんはバッグを控室に置くとすぐに、禅堂に向かわれたのです。
 
坐禅会が始まると、あるいは、摂心に突入すると、おはようございます こんにちは お久しぶりです などの挨拶は要らないとされています 非礼にはならないのです

摂心の途中でやむを得ず帰宅する場合も、参加者の方々には挨拶はせず、黙って他の人の邪魔にならないように帰るのが良いとされています 食事の関係があるので、寺院(主催者)には当然下山することを報告します 
]



くしくも『浜松で禅修行』の管理人Sさんも、当時は全く同じでした。

Sさんも、お寺に到着して、バッグを控室に置くと、すぐに禅堂に行く。

日常の工夫と坐禅工夫がシームレスなんです。
これは日常、これは坐禅 という風な修行ではない ということです。


TさんとSさん(40代)はそうでした。


そんなTさんでした。

zendonaibu

 
さて、禅堂でですが、
世の中の普通の講演会などでご高齢の方に居眠りをしている人が多いのと同じで、 
高齢の方が坐禅をするとどうしても居眠り坐禅やボーっと坐禅されていることが多いのですが、Tさんの坐禅はそうではありませんでした。



金曜坐禅会の始まるずっと前や摂心の抽解時(坐禅と坐禅の間のブレイク時間)にも広い禅堂に、
一人ポツンと坐禅されていることも多いTさんでしたが、その姿は、重心が低く大変安定のあるものでした。


もちろん身体は揺れていません。

目は開いて坐禅をされていることが遠方からも分かります。



2列の単が並ぶ大きな見通しの良い禅堂なので、遠くから坐禅姿が見られたのです。


「坐禅を楽しんでいる」
そんな姿でした。 
あくまでも個人的感想です。 



そして、その年の12月。
わたしは親の急な入院で、残念ながらその年の臘八摂心は参加できませんでしたが、のちに『禅修行』のTさんの体験記事を知った時は、すぐに、その見性体験記は、多分Tさんのことに違いないと確信できました。

以上のようなTさんの姿を知っていたからです。 




本人は、こう言っておられます、 70歳の参禅者が摂心中に突然、見性体験をした例 参照

「十何年こう坐っていて[坐禅していて]、もう毎回毎回
『どうして、どういうふうに坐禅すればいいんだ、これでいいのか、どうのこうの』とだけが頭にありました。


それがねえ、ここちょっと [どのように坐禅していたら良いのかという] 悩みがなくなっちゃって、
こういうふうに坐っとけばいいんだ
というのが出て来た。

で、そういうふうにうちでも坐ってるんです。」


これが参禅歴15年のうち、直近の1年だけが、坐禅ができるようになった ということです。

本当に坐禅ができるようになった(迷いなく坐禅ができるようになった)年に私は出会っていたのです。




修行上の先輩のZさんによると、

「世の中で自覚している人が少ないように思える理由は、2つあります。

まず、井上貫道老師のように本当の坐禅を教えている人になかなか出会えないこと。

次に、正師に出会えても、話を聞いた本人がどうしても自分の考えを入れたり概念で捉えて聞くので、坐禅がどういうものであるかが分かり実践できるまでに時間がかかるのです

正しい楽な坐禅ができるようになると、誰でも間違いなく自覚(悟り)は起こります。


自覚しても、『わたしは悟った』みたいにはなりませんよ。

私のいない体験です。

いや、そういう意味では体験とは言えないかもしれませんね。


 疑いは微塵もなくなります。」





Tさんは、15年間のうち、ちゃんと坐禅が出来ていたのは、たった1年間だけだったということになります。
(実を言うと、Tさんの15年目のこの体験は悟りではありません そこで修行が終わったのではありません   さすがに実質1年の修行では、大事了畢とはなりません) 

Tさんのことは、実はわれわれのことです。
本当に坐禅ができているのか自分自身に問わねばなりません。
師に確認をしてもらわないといけません。





以下は、貫道老師のことばです。


「本当は[坐禅に来ている]一人一人に、お尋ねをしてみたい。

長い人は何十年も坐ってるって言うんだけど、坐ってる時、どういうふうに過ごしてるのか。

さらにそれを推し進めれば、今度は、人に尋ねられた時、
「あなたは何十年も坐っておられるけど、
坐るってどういうことですか? 
坐禅ってどういうことなんですか?」
って言われた時に、
どういうふうに答えられるのか、
どういうふうに示されるのか、教えられるのか、
ということが必要だと思いますよ。


もし教えられないような坐禅ておかしいですよね、
人に、聞かれて。

そう思いませんか。


要はどうやってるか自分に分からないってことでしょ。

だから教えられないっていうことでしょ。



ていうことは、坐禅をしていても、
どうしているか自分でも坐禅のありようが分かっていないで、
ただ時を過ごしているっていうことになってくるんじゃないですか。

そう思いませんか。論理的に話をしても。(笑)」





「だから、坐禅があんまり本当に効果が上がらないのは、それが一番、元かと思うな。

分かったような顔して坐ってるだけ。

それらしい格好して坐ってるだけ。

本当はそこらへんが十分に理解が行かないまま坐ってる。


それ、長くやって苦労した人、話してごらん、聞いてごらん、きっとそうだよ。(笑)

そこが分からなくて時間がかかるんだよ。」 ーー井上貫道老師
以上は、どこかよその坐禅会の人たちのことを言われているわけではありません。

参禅者、我々のことです。
自分の修行の方向をハッキリさせるために、質疑応答や独参の時間を設けてくださっています。



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【投稿後記】
井上貫道老師は、
ある参禅者が、見性とか小悟とか大悟とか段階を経るものかという質問をされた時に、
「元に戻ってしまったら悟りではない」、
「見性とか小悟とか大悟とか、そういうことがあるのは、その参禅者の師が許すからだ」

「悟るまでは、よく似た体験をするものなんです」

と言われたことがあります。


ここに記載した・これから掲載する参禅者体験は、1年を経過しているものを選んで投稿しています。
投稿者は、インタビュアーやレポーターではありませんので、その後、その人がどのようにされているかは存じていませんし、その後の修行をインタビューしていません。

使用した人名のアルファベットは、その人の本名とは全く関係がありません。
ZからAまでを、日本人の姓にならないものは除外して使っていきますので、まずはYさん、Wさん、Uさん、Tさん、Sさん、、、、という順番になります。


 

坐禅の組み方 http://zazen.blog.jp/archives/1029047318.html   ※
に図を挿入しました

hokkaijoin 








法界定印(ほっかいじょういん) 



坐禅の組み方 つまり坐禅の時にどのように身体を整えるかについては、上記※にありますが、

坐禅する間、どのようにして過ごすのか、坐禅の仕方については、

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坐禅は、道元禅師の普勧坐禅儀による只管打坐をすべきであると井上貫道老師は常々言われています。

数息観、公案工夫(公案禅)を用いません。

 

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