坐禅の仕方と悟り,見性,身心脱落:魯山貫道老師の庵 まとめサイト

Dharma Talks of a perfectly enlightened Japanese Zen Master Roshi Kando Inoue 魯山貫道老師が、悟りを体現された経験から坐禅の方法や仏道について語られたものを掲載しています web上に散見される魯山貫道老師のことばも引用掲載し、まとめブログとしました ( これは参禅者によるブログであり、公式サイトではありません ) このブログが正師への参禅のきっかけになりますように

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井上老師

現代人だって悟りを開くことができる、今の人も大悟ができる根拠がある今日、昔の人のように本当に大悟などできるものかという人が多いけど、これはうそです。 絶対にそういうことはない。今日の人だって、必ずできるということです。 現代人だって悟れることを信じず、本
『今の人に大悟は無理? 現代人も悟りを開くことができるのか?』の画像

井上貫道老師が坐禅会で話されたことばから坐禅は必ず目を開いて行っています。不思量底を思量するとは●(手にした扇子の角度をいろいろ変えながら)こうやればこう見えるでしょ。こう変えればこう変わるでしょ。これが不思量底を思量するということです。坐禅はいくら姿勢
『坐禅の極意:不思量底を思量するー井上貫道老師の教え』の画像

考え[思い・感情も]が出てきてもそれを取り扱わないのが坐禅です何もしないのが坐禅です自分のほうから探ったりたずねたりすることをやめれば、「事実」(真実)がそこにあるんですどうしたらそうなるかじゃないすでに出来ているそれを見極めるのが修行です今の自分が本当にど
『般若心経と坐禅修行の要点ー井上貫道老師』の画像

(指一本立てて)こうやるだけで「自分」というものが死にますね                       ー 井上貫道老師「坐禅は修禅にはあらず」   ―道元禅師●漫然と坐っている人は寝ちゃうね。「何もしないのが坐禅」って言いながら・・・。三十年も坐ってる
『坐禅は年月を重ねて上達するものではない (坐禅は修禅にはあらず)』の画像

井上貫道老師が坐禅会で話されたことばから自分を中心にして物事を見てしまっているから自分が消えないんです。 もともと自分はないんです。 実は、考え方や見解も自分が作っているのではないんです。自分を中心に据えて物事を見るのではなく、物事の方からやってくるんで
『すべては自己なりー井上貫道老師』の画像

井上貫道老師のことばです。●眼は色を認識しないんです。これは世間の常識では理解されないんですけど、眼が色を認識しているのではありません。どこで色を認識しているかわかりますか?●耳は言葉を認識しませんね。耳は音を聞くだけです。言葉にしているのは、どこか別の
『修行とは何もしないこと、何かに向かうと修行じゃなくなるー井上貫道老師』の画像

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