坐禅の仕方と悟り,見性,身心脱落:魯山貫道老師の庵 まとめサイト

Dharma Talks of a perfectly enlightened Japanese Zen Master Roshi Kando Inoue 魯山貫道老師が、悟りを体現された経験から坐禅の方法や仏道について語られたものを掲載しています web上に散見される魯山貫道老師のことばも引用掲載し、まとめブログとしました ( これは参禅者によるブログであり、公式サイトではありません ) このブログが正師への参禅のきっかけになりますように

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魯山貫道老師のことば

禅 座禅の心構え ~2012年9月井上貫道老師・東京都青梅禅会より① 以下井上貫道老師より御挨拶、座禅の心構え、座禅指導  坐禅のやり方、坐禅の実践方法 ← ここにも井上貫道老師が詳しく話されていますご丁寧な紹介並びにご挨拶頂きましてありがとうございます。それほ
『只管打坐の基本―坐禅入門1,2 東京都禅会by井上貫道老師』の画像

坐禅 只管打坐はシンプルー座禅中に目を開くことの意義禅 座禅後の指導 目を開けること ~2012年9月井上貫道老師・東京都青梅禅会より③ 今回の③は約17分です。椅子座禅30分終わって、そのあとの井上貫道老師のお話です。  やってる事はそんなに難しい事は何もな

仏道修行・坐禅修行の根本 自分を見極める時は思考を使わない  ~2012年9月井上貫道老師・東京都青梅禅会より④ 人は如何に自分の思いの中にいて、事実(=真理)を知らないかここから法話: 皆さんどんな勉強普段しているんですか? 自分の事みんな放っぽっていません
『只管打坐の基本―坐禅入門4 東京都禅会by井上貫道老師』の画像

禅 本物ちゃんとわかるようにできている~2012年9月井上貫道老師・東京都青梅禅会より⑤ ④の続きです。本物ちゃんとわかるようにできている 本物を見るのに、自分の余分な考え方を入れたらわからなくなりますよ。本物は人に苦労かけずにちゃんとわかるようにできているこ

禅 事実は人を騙さない、苦しめない~2012年9月井上貫道老師・東京都青梅禅会より⑥ うち[井上貫道老師の寺院・少林寺]の座禅会でもこの前、こんな事があった、おじいちゃん、人は生まれたら必ず死ぬのになんで働くの?って、小学校一年生の子がおじいちゃんに夏休み聞いた

◇井上貫道老師のことば◇● 修行に時間がかかる人は、結局、何も実践していなんだね。(月1回の座禅会に2つ、3つ来て、坐禅して法話聞いて、1か月後にまた坐禅会に来て、坐禅して法話聞いて、それをまじめに長年繰り返すなど)● Q.坐禅はどうやればいいのですか?A.この身

只管打坐の基本―坐禅入門8  東京都禅会by井上貫道老師井上貫道老師の師・井上義衍老師のことば  井上義衍老師とは→こちら ▷ 「我見をこれから離れるのではない。我見の起る前があって、その前が自分の真実です。それが本来の私共の心の在り方です。空にする前に空で
『只管打坐の基本―坐禅入門8 東京都禅会by井上貫道老師』の画像

禅 茶話会また続き~2012年9月井上貫道老師東京都青梅禅会⑨2013年04月17日(水) 掛川 少林寺の井上貫道老師のお話です。うちに来る人なんかでもそう。「もう頭いっぱいで何もできなくて、どこにも行く気がしない」って。うちに来てるじゃない。「もう、食べるのも飲むのも
『只管打坐の基本―坐禅入門9 東京都禅会by井上貫道老師』の画像

「佛道をならふといふは、自己をならふなり」 ―道元禅師▶仏道とは、本来の自己を自分で本当に見届けて、それに動かされることです。  ―井上貫道老師▶修行とは、どっか他所(よそ)でやるんじゃないんですよ。 ここでやるんです。いつもここでしか生きていないんだから
『修行とは、いまここ自分ー自分の考え方・人間らしい見解なんてものは全く要らない』の画像

▶私達は毎日朝から晩まで真実の中に生きていながら「おそらく一度も真実に直接触れた事はない」って言っていいでしょう。▶ 「お寺に座禅をしたいから」と言って座禅に来る。「何かわからない事ありませんか?」と聞く。誰も何も言わない。 「では、座りましょう。」と言っ

▶自分の見解を起こさずに、本当に相手がしゃべってる時そのまま聞いているっていう事が穏やかな生活ができている証拠じゃないですか?ー井上貫道老師 2013年4月の井上貫道老師の静岡禅会でのお話です。② 道元禅師・正法眼蔵春秋の提唱から ①の続きこの前も紹介したんだ

▶思考回路は真実からいつも乗りおくれているから、自分のなかで葛藤が起きるのです。―井上貫道老師『意根を断つ今一度坐禅について』前編静岡県少林寺住職 井上貫道 悟りの体現者・井上貫道老師のプロフィールはこちら真実に目を向ける  ようこそ一泊坐禅会にご参加く
『意根を断つ―死に切る(大死一番),自己を忘じる』の画像

真実というのは、自分の思慮、分別、考えかたをやめてみたときの自分のすがたです。事実を人は思考で汚しています「思い」というものが人をたぶらかして、真実からかけ離れさせてしまうのです。―井上貫道老師*************************************************************
『意根を断つ―死に切る(大死一番),自己を忘じる 続き』の画像

悟りの体現者・井上貫道老師の大阪坐禅会での提唱DVD一般頒布しています【内 容】井上貫道老師大阪坐禅会(年4回開催中)の提唱と質疑のすべて提唱講本は、道元禅師『普勧坐禅儀』貫道老師神戸坐禅会での動画は、こちらでは取扱がありません。【頒布状況】3ヶ月に1枚ずつの発行
『井上貫道老師の提唱DVD一般頒布しています』の画像

箇の不思量底を思量せよ 「不思量底」とは何を指すのか。 (カチン)これは人間の思い量りで聞いてるわけではない。 大きな音だとか、いい音だとか、一切そういうようなことなしに行われてる、 その辺を不思量底と言うんですね。 いちいち皆さんが今触れているところで

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