坐禅の仕方と悟り,見性,身心脱落:井上貫道老師の庵 まとめブログ

Dharma Talks of an enlightened Japanese Zen Master Kando Inoue Roshi 井上貫道老師が、悟りを体現された経験から坐禅の方法や仏道について語られたものを掲載しています web上に散見される井上貫道老師のことばも引用掲載し、まとめブログとしました ( これは参禅者によるブログであり、公式サイトではありません ) このブログが正師への参禅のきっかけになりますように

カテゴリ: 坐禅の形・身体の整え方

座禅の組み方・坐禅の方法・坐禅の仕方ー井上貫道老師




坐禅中は、かならず目を開けます

道元禅師は、「目は常にすべからく開くべし」

「常に」と「すべからく」ですから、
「坐禅中は目を開けなさい亅とかなり強く言われているわけです―井上貫道老師


(正しくは坐禅であって、座禅ではありません 坐は動詞、座は名詞です)



『普勧坐禅義提唱』ふかんざぜんぎていしょう に基づいて


まずは身体の整えかたから。by 少林寺・井上貫道(いのうえかんどう)老師


[ 禅堂には、時計やスマホはもちろん自分の荷物は持って入れません。
また坐禅をする禅堂とトイレでは会話をしてはいけません

禅堂と東司(とうす=トイレ)と浴司(よくす=風呂場)とは三黙道場と言って、会話をしてはならない場所です

禅堂に入る前に、夏冬かかわらず、靴下は脱いでおきます

禅堂に入ったら、一歩進んだところで一礼してから叉手(しゃしゅ)で、坐禅の場所である「単(たん)」までゆっくりと進みます  この時、聖僧(しょうそう)様と堂頭老師(どうちょうろうし、壁に向かわずこちらを向いて坐禅されている)の前は横切ってはいけません]



●「袈裟けさを掛かくべし」と書かれてありますが、ビジネスで喩(たと)えれば背広を着てネクタイを締めるってことです。正装ということです。だらだら坐らないこと。それが心に影響するからです。在家得度(とくど)されている方なら絡子(らくす)を掛けます。

お坊さんが袈裟をつけて坐禅をするということは最高の服装で坐禅をしているということです。
在家の人も、たとえばデートをするという時には最高の服装をなさるでしょう。
ですから、坐禅をする時は、身体も清めて、清潔な服装をする必要があります。

[投稿者:ここでは触れておられませんが、一般の人がお寺や道場で他の人と坐禅する時は、黒や紺などの地味な、目に障りにくい色が良いとされています 黄色や赤、しま模様は目にチカチカすることがあり、おすすめではありません]



●坐蒲(ざふ、ざぶ)
坐蒲は前半分を使います。真上からどっかと座るのではありません。 尾てい骨が坐蒲の中心に来るぐらいに坐ります。



●結跏趺坐と半跏趺坐(けっかふざ、はんかふざ) 

冬でも靴下・ストッキングは脱いでおきます

hokkaijoin_FotoSketcherpencil5どちらも正式な形です。半跏趺坐が略式だと思われがちですが、そうではありません。どちらも正式です。

両ひざと尾てい骨、頭で三角錐になります。120°ぐらいの一番安定する角度で足を組みます。


結跏趺坐で両方の足を組めばそういう形になりますが、半跏趺坐だと片方の膝が浮く場合もあります。
身体が硬いとそうなります。膝が上がりすぎるようなら何かそこにかませれば安定するでしょう。

あぐらは坐禅にはなりません。第一長時間組めないですよ、あぐらでは。
何千年の歴史を経て、結跏趺坐とか半跏趺坐が坐禅に最適だと立証されて来ているんです。


[怪我などで]足が組めない人は他の形でもかまいません。西洋の人などは椅子でやっているような場合もあります。
足が無い人だって、それなりの形で坐ってもらえればけっこうです。

足は腿の上まで上げて、足の裏が見えるようにします。ふくらはぎの上ですませている人がいますが、腿(もも)の上まで上げます。




●服
ぴったりしたズボン等は体を締め付けますから、なるべく避けます。逆に和服の場合はゆったりしますが、衣服が広がり過ぎて隣の人に迷惑をかけないようにまとめてください。
[在家修行者の正式な服装は、和服に袴(はかま)です]


●法界定印(ほっかいじょういん)

lotusposition_FotoSketcher2よく、指の組み方がいかにも坐禅の本質にせまるようなことを言われていたりしますが、そんなことは全くありません。

指の組み方が気になっているような状況ではまともに坐禅ができません。

自然に手を組めば自然に落ち着く場所があるでしょう。


法界定印がちゃんとたまご型になっているか、一度そのまま手を目の高さに持って来て、確認して下さい。


組んだ手は体に沿って静かに下ろした位置に置きます。あまり身体から離して前の方に置くと、筋肉が緊張しがちです。

時々、腕が宙吊りになっている人がいますが、それは肩に力が入っているからです。

肩から力を抜いて、法界定印を組んだ脚の上においてください。

それでも、まだ腕が宙吊りになる人がいますが、それは腕が短いからです。
その場合は、組んだ脚の上にタオルなどを置いてその上に法界定印を載せるようにすると安定します。



●口
普通に口を閉じてください。そうすると舌が上あごに付きます。少し舌には力が入っていますかね。
力が完全に抜けていると上あごに付かないですね。

気力がなくなっているかどうかというときに大事なことです。また、気の抜けたように口を開かないこと。



●目
坐禅中は開けています。

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目を閉じていると、目の前のことが見えなくなり、代わりにいろんなことがいっぱい想起されてきます。真実を見極めようとしているのに、想像の世界で見極めようとすると、あやまちが多くなります。




目を開いていると、必然的に頭の中に思い起こされることが休まるようにできています。「妄想」というものが起こりにくくなります。また眠気も起りにくいです。

そして前方45度、1mぐらいの所に視線を落とすと、自然に半眼になります。


「目を開けると言っても、一点を見つめるのではないですよ。
どこかに焦点を合わせるのではありません。」




●法界定印が崩(くず)れていないか、舌が上あごについているか、目が開いているかの3点セットが、気が抜けていないかのポイントになります。

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【閑話休題】
自然な坐禅をしたら、3日間ぶっ続けで坐禅できた人の体験談はこちら




●欠気(かんき)
形が整ったら、口をわずかに開いて、息を全部吐(は)き切ります。吐き切ることが大事です。吐き切れば自然に空気が入ってきます。これを2~3度やると、形を崩さずに身体の緊張が取れ、坐りやすくなります。

坐禅中は、あとは呼吸は意識しません。
息を整えたり、数息観も不要です。

呼吸を意識しないのが、呼吸が整っているということです。




●左右揺身(さゆうようしん)
sayuyoshintoright_FotoSketcher両手を両ひざの上に仰向けて起き、身体を左右に、最初は大きく、徐々に小さく揺らしていき、身体を緩めます。最後に真ん中で静かに坐ります。

このとき大事なのは、肛門の括約筋をきちっと締めることです。足を開くと肛門も開くため、そのまま坐ると痔になりやすいですから、きちっと締めます。「痔じ」って、やまいだれに「寺」ですね。お坊さんが痔になりやすかったってことでしょう。




坐禅を解く時は、両手を両ひざの上に仰向けて起き、身体を左右に、
今度は、最初は小さく、徐々に大きく揺らしていき、身体を緩めます。

sayuyoshintoleft_FotoSketcherこういった左右揺身も、本当の修行者はないがしろにはしません。ちょうど、一流のプロ選手が基本を大事にするのと同じです。ベテランになったからと言って、やらなくて良いというものじゃありません。










●兀兀(ゴツゴツ)と坐る
山がドシンと坐ってるように、どっしりと坐ります。





Q.
坐禅をする時に、視線の位置はどのあたりを見ていればいいですか?

A.
大体教えられてるのは、大体1mぐらい前に視線を落とすと言う。

その視線を落とすまえに、下から順番に姿勢が整ってるうえでの話です。
 

坐蒲の上に腰をまず下ろす時に、坐蒲は大体前半分を使用するということ。

それから左右に揺れがないように、尾てい骨は大体坐蒲の中央ぐらいに位置するっていうことでしょう。
 

結跏趺坐か半跏趺坐か、いずれにしても両膝とお尻の三点が床に着いて、
床て言うか、蒲団と言うか、に着いて、均等に力が掛かってる。

まあ、図形で言えば、二等辺三角錘か、ね、百二十度ぐらいの角度でこうなってるのが一番崩れにくい形になってます。



その上に腰を載せて、腰椎、腰骨の尾てい骨から上へ二つ三つぐらいのへんをしっかりこう伸ばす。「腰を入れる」て言います。

下腹、おへそが前に出るようにぐっと伸ばすと、それでその上に身体をこう置いて、
で、しかも顎をそれで引きます。

顎を引いて、大体1mぐらいですかね、にそうやって置きます。

 

こうやって(のけぞって)やる人もいれば、こういうふうに(前かがみに)なったままやってる人がいます。


顎を出したまま1m前へ目を落とすのはものすごい大変でしょ。(笑)
顎を引いたら、そしたら当たり前なんですよ、顎を引いたら、普通にこうやって。
 

で、一番楽な眼になる半眼ぐらいになる。
で下向いてるっていうのが一番人間、力あります。

眼、疲れない。で、死ぬるようになると、
 

白目がハーッって、これもう全然駄目ですね。


目の玉が上に行くような坐り方してる時は、寝てる時。(笑)
それは、形は坐っていても、坐禅にはならないね。

 

あらゆる面から、大体そのへんが、何百年何千年か知りませんが、やってきて、残された形でしょう。
だから、まあ、それが当たってると思いますよ、やってみて。

うん。この姿勢が良くなって顎を引いて1mぐらい。
そうでないと無理。


これだと肩の力が入らなくて、肩凝ってる人が坐禅をすると大概治る。
坐禅して肩が凝るのは絶対どっかおかしい


基本的に。ヨガのポーズですから。ヨガのポーズってのは身体がリラックスするように出来てるんですね。うん。



Q.
ありがとうございました。

A.
形の上からこんなに楽な姿勢ってないでしょ、坐って。

たぶん。坐禅ほど楽に坐れる形って他にない。
長時間。
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坐布団[四角い方]が下に敷いてあって、厚い坐蒲[丸い方]があって。

あれだけでも、うちに来て「坐禅が出来るかしらん」ってって初めて来た人でも、「えっ、坐禅てこんなに気持ちいいの」ってって帰るよ。


坐蒲(ざふ)だけで坐るとそうはいかないね。

だからいかにこの単布団ていうか坐布団が大事かってのがよく分かります。



「ボーッとするのではないですよ。
意識はいつもクリアです。

そのために、坐禅中は、
目を開いている
舌を上顎につけている
法界定印の親指がくっついている
この3点セットを守ります」


[ 管理人より ]舌の位置:最近内科医や歯科医から、正しい舌の位置ということが盛んに言われるようになりました。

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<ここから管理人-->
上の口腔内の図は、歯科医の方々からの指摘です。
道元禅師は、800年前から『普勧坐禅儀』に言われていました。
坐禅中に限らず、健康な舌の位置は、舌が上顎骨にピッタリついていることです。
最初からこういう位置に舌が来ている人がいますが、そうでない場合は、意識的にこのような位置に持ってきます。あいうべ体操などが、内科医などによって提唱されています。
昔から、親が「口をぽかんと開けるな」と子供に注意したのは、医学的理由もあったのです。







舌を上顎つまり硬口蓋につけるようにすると、呼吸も口呼吸ではなくて、鼻呼吸となります。 
免疫力も向上するという臨床例が上がっているようです   <--ここまで管理人
>







 座禅作法を教える曹洞宗の図解入りホームページ


以上が、座禅の組み方(外見)の基本ですが、
大切なのは、どのように坐禅中を過ごしているか、その内容です
道元禅師によれば、内容によって、

「毫氂も差あれば、天地懸かに隔たる」 (普勧坐禅儀)
髪の毛一本も差があると、天と地とくらいに隔たりが出てくる

と言われています。


貫道老師
「(坐禅中、どのように時間を過ごしているかに話題を戻される。)
ものすごく嫌がる話題ですね、これね。(笑) 
参禅会に来てて、一番、たぶん、触れられたくないところ、誰も。


だから、坐禅があんまり本当に効果が上がらないのは、それが一番、元かと思うな。


分かったような顔して坐ってるだけ。

それらしい格好して坐ってるだけ。


本当はそこらへんが十分に理解が行かないまま坐ってる。
それ、長くやって苦労した人、話してごらん、聞いてごらん、きっとそうだよ。(笑) 


そこが分からなくて時間がかかるんだよ。


で、そういう話題を提供してくれないもん、なかなか。坐禅をするったって。


だからそういう意味では、井上義衍老師の流れを汲んでる人たちのところは、
まことにありがたいと思いますよ。

得難いですよ。

うん。



【閑話休題】
自然な坐禅をしたら、3日間ぶっ続けで坐禅できた人の体験談はこちら




坐禅の内容、坐禅中にどうしたら良いのかについては、下記をご覧ください。気に入ったタイトルだけ読まずにすべてお読み下さい。

次は、「坐禅の仕方・方法 の注意点」です。

または、
上の方にあるメニューの「座禅の仕方・坐禅の方法」をクリックすると、すべての記事が古い記事から順に読めます。
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「坐禅は習禅にはあらず」・坐禅はトレーニングではない  坐禅は本当に何もする必要が無かった



「修行は「思い」ではないんです。

『こうやればいいんだ』
って方程式を立てておいて、それに沿ってやることではないです。」
― 井上貫道老師

坐禅の形・組み方(目・手・脚・口)―井上貫道老師 はこちら


以下は、Sさんのブログからの引用です  
3日間ぶっ続けに坐禅できた体験談です
本当に坐禅できるようになるとはこういう事だということが述べられています:


[ 事実に触れる体験前ページ参照 のあとです ]


帰宅後、近所のファミレスで禅の本を読んでいると、「坐禅は習禅にあらず」という道元禅師の言葉が目に入りました。

「うわぁ、そういうことか・・・本当にそうだった」


さっそく家に帰って坐禅すると、本当に何もする必要がありません。


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壁に向かって坐禅の足を組む前から、もう壁が壁そのままです。


「なんだ、坐禅はトレーニングじゃないんだ。」

「禅の初心者が最初の日に足を組んだその時から、もうちゃんとこうなってるじゃないか。」

「なーんにも練習も努力もする必要がなかったじゃないか。」


新人が先輩に仕事を習うとき、「まず俺のやることをただ見てろ」と言われたら、わけなどわからず、ただ横に立って見ているだけでいいんです。

下手に手出しをすると怒られます。そんな感じでしょうか。


   *   *   *

幸福感に包まれて、3日間ぶっ続けに坐禅した

そんなこんなで、とにかく気持ちがいい。

「リアル極楽浄土とはこのことか・・・」

鳥肌が立つような快感と幸福感に包まれながら、3日間ほど続けて坐禅ばっかりしていました。


そうこうしているうちに買い置きの食材もなくなったので、買い物に出かけました。




帰ってきて車から外を見ると、雑草が風にゆれています。


ジョギングをしているおじさんが目の前を走り過ぎていきます。

「草も木も、みんな、昔から、ずっと一緒に、このとおりいてくれたじゃないか・・・」

涙が少し出ました。


「もしかして、悟ったか!」

そう思ってしまうほどのものでした。


[自身が、ブログに「以上は坐禅の誤りに気づいたということであり、悟ったということではありません。」とブログの冒頭にコメントを付加されています]


ということで、1月の坐禅会にて老師に確認してもらうことにしました。[下に一部分 引用しています]
   
   引用元:http://ameblo.jp/hamamatsu-zen/entry-11254771638.html




老師の点検

私 [ Sさん ] :
先月のクリスマス坐禅会以降、また気づいたことがいくつかありますので、だらだら長くなりますが…。


掛川の老師:
どうぞ、どうぞ。(笑)

私:
老師から「坐禅をやめたらどうですか」と言われたんで、坐禅をやめて街をブラブラしてました。
で、地下道から地上に出た時、ふと見上げるとビルがあるんです。

その時に「あれっ、これじゃないか」と気づいたんです。


どういうことかというと、坐禅や仏法に出会う前から、いつでもこのビルを見たらこういうふうに見えてたじゃないか、昔からの平凡な自分の感覚のまんまでいいんじゃないかと気づいたということです。


本当か?と思ってしばらく確認しながら歩いてたんですが、交差点に来ると赤信号がある。
待ってると青信号に変わる。

渡り終えると向こう側に渡っている。

なんだ、やっぱりこれじゃないか、と。


「坐禅を始めて2年半、俺はいったい何を見当違いのことをやっていたんだろう」とがっくりきて、
笑いがこみあげてきました。


嬉しくなってさらにブラブラしてたら、
10分ぐらいして「なんだ~これらは全て出てきちゃったものじゃないか。
出来上がってるんじゃないか。

結果として表れてきたものであって、
自分はそれに手の付けようがなく、
ただ立ち会っているしかないんだな」と気づきました。

で、家に帰って普勧坐禅義を読み返していたら、
「坐禅は習禅に非ず」という言葉が目に入って、
「ああ、そういうことか!」と本当に意味が分かりました。

坐禅の形に足を組んで、あとはもうすでに表れている昔からの平凡な自分に立ち会うというか、確認するというか、一緒にいるというか、それだけでいいんだ、と。


坐禅の初心者が最初に座ったその瞬間からちゃんと坐禅できてるじゃないか、と。

あまりに気持ち良くて、
そのまま3日間ほど坐禅やってたんですが、
買い物に出ようとして外に出ると風に草がなびいている。
おじさんがジョギングしている。

「な~んだ~、昔から今までみんなずっと一緒にいてくれたんじゃないか」と気づいてウルウルしました。

というところまで気づきました。


引き続きこんな感じで坐禅を続けていきますが、続ける上でさらにご指導ありましたらお願いします。



掛川の老師:
そのまま坐禅を続けてよいです。

ただ…今話を聞いている様子では、やっぱり、そういう様子っていうものをこっちで見ている。
どうしても「教え」と「自分」というものがあるね。

それ、それだけ。


観察しないこと、眺めないこと、事実にいるだけ。
見る人がいなくなって事実だけになります。

そうやって座ってください。

まあ、今おっしゃったとおり、どうするこうするということがなくなってるからいいじゃないですか。

    全文を読む




「今のありように本当にこう、いてごらん。他で見つかることはないんですよ。

「他の時間帯で」「どっか他所で」「何か」。そんなことはないです。今の様子の中にあるんだから、いつでも。

一番厄介な問題なんですよ、これ。坐禅して。
一番厄介な問題でしょ。

一応、形を作らせて止静を入れて、坐禅始めますよってって、一応そこに坐ってるけど、
鐘が鳴って、経行ですよとか、抽解があって止まって、
また坐るんです。

だけど坐ってる時のありようはどうあったらいいかっていうことが、一番問題なんでしょ。」― 井上貫道老師





坐禅の形・組み方(目・手・脚・口)―井上貫道老師 はこちら

大切なのは、どのように坐禅するかということです

井上貫道老師は、今の自分自身の様子(「事実」)を本当に見届ける(悟る・見性する)ための坐禅を教えておられます

体験談をすべて読む



上のボタンをクリックすると井上貫道老師参禅者の体験談がすべて最初から読めます。



【投稿後記】
Sさんは、井上貫道老師に参禅されている修行者の一人です。
(浜松の老師にも参禅されています)

すでにSさん自身が自分のブログに詳細に体験談を書かれていますが、すでに過去の記事となってしまっており、それを見つけにくいのでここに引用をさせていただきました。

3日間ぶっ続けに坐禅したときは、ご飯一回炊いたままでそれを食べていたと確か言われていました。

大変真摯な姿勢で修行に取り組んでおられることが分かります。
分からないことはそのままにせずに、老師に質問をし、体験があれば、老師に確認を求めておられます。

そこでお願いです。
Sさんのブログにコメントをして質問されることはご遠慮ください。Sさんに要らぬ負担をかけることになります。
Sさんはまだ修行者の一人です。法の上の質問は、師つまり仏道を体得し終わった人にするのが修行者としてのただしい尋ね方です。ですので、くれぐれもよろしくお願いをします。



ここに記載した・これから掲載する参禅者体験は、1年を経過しているものを選んで投稿しています。
投稿者は、インタビュアーやレポーターではありませんので、その後、その人がどのようにされているかは存じていませんし、その後の修行をインタビューしていません。

上記Sさんのように、個人を知っている人であってもできるだけ個人を特定できないように余分な情報は書かないようにしています。使用した人名のアルファベットは、その人の本名とは全く関係がありません。ZからAまでを逆順に使っていきますので、まずはYさん、Wさん、Uさん、Tさん、Sさんという順番になります。

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