遊女が悟りを開く―悟りに、善業・悪業は関係なくて、頓悟


坐禅は必ず目を開いて行ないます


律女は、旗本の家に生まれるが、事情にて京都島原の遊女となる


1278681江戸時代のことです。

1千石の旗本の家に生まれた律女は、父がさる事情で浪人ろうにんとなり一家が京都に移住して落魄(らくはく=零落)しました。


やがて律は売られて、京都の島原の遊女となって、大橋と名乗りました。

※浪人とは、仕つかえる主君がなくなった武士 よって禄(ろく=サラリー)がない

心に煩悶の生じる日々

美貌であり、才芸もあったからたちまち売れっ子になったものの、心中うつうつとして楽しまない日々が続きました。


太夫(たゆう)となった今は、余裕も出てきていたのですが、親のためとは言え、遊女に身を落としてしまった自分の人生は一体何だのだったのだろうかと苦悶の日々を過ごすようになりました。

「人生は何なのか? 一体人は何のために生きているのか?」そのように思う日々でした。


※遊女が自分の稼いだお金で遊郭を出られないように、借金には高利子がついていた 抜け出せる方法は、唯一、富豪のお客に気に入られて、妾(めかけ)としてまたは稀に妻として身請けされることだった


不思議な訪問者

ところが、心に強い思いがあると人生には転機がやって来るものです。787b1aea9e866b1655db305d404abb46_s


ある時、不思議な人が訪問して来ました。

遊郭の客というより、お店に取引にやって来た商人のようでしたが、律を認めると、このように話をしてきました。

「あなたの心には解決しなければならない疑問があるようだが、実はその解決策が一つだけある。」


律「そのようなことがあるならば、是非とも聞かせていただきとうございます。」


客人「分かり申した。では、今から話することを誰にも話さず、必ず密かに実行するように。 

何をしていようが気を抜かず、本気で努め励むならば、必ずやある時、霧が晴れるがごとく、疑問が氷解し、小躍りして喜ぶ日が来るであろう。」

と言って、その客人は、目を開いてする坐禅の仕方、日常での工夫(功夫)の仕方を伝えました。


大橋、目を開いて坐禅を開始、そして遊女が大悟ー禅は頓悟

大橋は、それ以来、時間があれば、目は必ず開いて坐禅に励み、日常では、間断なくその工夫を念々相続しました。


坐禅功夫が純熟して来たある日、一日に20か所にも落ちるような激しい落雷がありました。

生来、雷の怖い大橋は、蚊帳を吊り夜具を被っていましたが、気を取り直して、坐禅工夫を続けました。


雷鳴で大悟

すると目の前の庭に落雷し、大悟しました。


自分の本当の姿を知った大橋は、それ以来、住むところが遊郭であっても以前とは全く違った心境で過ごすことができるようになりました。


大橋身請けされて、結婚

運命は不思議です。

大橋を身請けしたい旦那が現れ、そしてその人と結婚をすることになりました。

その頃から、律は、駿州・原(現在の静岡県沼津市)の白隠禅師はくいんぜんじの名声を聞き、悟りを確認してもらいに行きました。


白隠禅師、白隠慧鶴はくいんえかく は、臨済宗を復興させたとされる江戸時代の名僧。静岡県沼津の原の松蔭寺に住した。
法階を上げることを好まず、一生黒衣をまとって紫衣や赤い衣は着なかった。

そのため、本山の妙心寺で法話をする時も、法階が和尚としては最下位だったため一番下座にて説法をした。
現在は、臨済宗は白隠禅師に繋がる法系しか残っていないため、すべての和尚は白隠禅師の法孫である。

現代の師家(しけ)は白隠禅師に倣(なら)って、一番下座にて提唱を行う。そのため、上から下座に向かうのではなくて、本尊様の方向に向かって下座にて提唱をする

それ以来、禅師に参禅をするようになったそうです。

やがて、その夫が亡くなりました。
しかし、また律のことを気に入る男性が出現して、その人と再婚。

今度は夫は求道者であったので、ともに白隠禅師に参禅しました。


元・遊女は観世音菩薩の化身

幸せな夫婦生活と参禅の日々を過ごしたようです。のちに、律は夫の許可を得て、出家しました。
やがて、律が亡くなりました。

白隠禅師の上足(じょうそく=高弟)である、東嶺禅師(とうれいぜんじ)が、お参りにやって来ました。


仏壇を見ると、律の位牌はなく、ただ観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)の像が祀られているだけでした。

東嶺禅師が不思議に思って夫に尋ねると、
「妻は、観音菩薩の化身だったのです。なので、これが妻です」
と言ったそうです。

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素晴らしい旦那様ですね。