坐禅の仕方と悟り,見性,身心脱落:井上貫道老師の庵 まとめサイト

Dharma Talks of an enlightened Japanese Zen Master Kando Inoue Roshi 井上貫道老師が、悟りを体現された経験から坐禅の方法や仏道について語られたものを掲載しています web上に散見される井上貫道老師のことばも引用掲載し、まとめブログとしました ( これは参禅者によるブログであり、公式サイトではありません ) このブログが正師への参禅のきっかけになりますように

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井上義衍老師語録

「理想」は立派そうに見えて、実は「理想」が迷いの根源

理想は考えにすぎないー井上義衍老師



●人間が理想を画(えが)いていると、いかにも立派そうなんですけれども、それが迷いの根源なんです。それを人類ことごとく知らんのです。

●人間の考え方が、どんなに立派な考えでも、それは、その人間、その人の考え方なんです。

――井上義衍老師    井上義衍老師とは 

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悟りのイメージが危険 ―井上貫道老師

Q.悟りに向けて進歩しているのかどうか不安なのですが・・・。

A.井上貫道老師:「悟り」って、どこかで聞いてきただけでしょ。悟りって、きっとあんな感じだ、こんな感じだというイメージがあるだけでしょ。だから危険なんです。


進歩っていうと、その勝手なイメージまでの距離を測り、どこまで進んだかな、なんてやってるんじゃないですか。

そのような行為を「念想観を測量する」と言います。測量はやめましょう。
註:「念想観を測量しきりょう する」は、道元禅師『普勧坐禅儀ふかんざぜんぎ』中の一句
念・想・観 (念<想<観)は、思い/考え・想念・考え方(思想) 、それをあることを基準に測量すること


悟りに用がないということにすればいいんです。
 
悟りたい、分かりたいという気持ちに用がある人は何してるかというと、
いつも追っかけっこしてるんです。
 

実際は手を叩くと「パン」だけで終わってるでしょ。


それで満足いかないのは「考え方」があるからです。
















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