井上貫道老師提唱 『正法眼蔵・三十七品菩提分法提唱』の本の購入はAmazonにて

※「しょうぼうげんぞう」と読みます 道元禅師の『正法眼蔵』のうちの1巻に『三十七品菩提分法』があります。
この本を読まれた方は、レビューをアマゾンに書いてくださいませ。
shobogenzo37bodaibunpo

Amazonにて井上貫道老師『正法眼藏三十七品菩提分法提唱』販売開始

このページの下部に,書籍からの抜書きがあります
井上貫道老師が提唱されている 『正法眼蔵・三十七品菩提分法』を、参禅者のお一人が文字に起こされ、それがブログ http://syobogenzo.blog.fc2.com/ に記載されていますが、昨年、その方のご尽力で、紙の書籍として(電子書籍ではないです)刊行されました。 (岡山円通寺での毎月の井上貫道老師坐禅会で提唱されているものです)
当初は予約者のみへの頒布でしたが、現在は、Amazonにて、どなたでもご購入が可能になっていますので、お知らせいたします。

 1 『 正法眼蔵 三十七品菩提分法 井上貫道老師提唱 』
 
 1 B5版 250頁 程度  電子書籍ではなくて、紙の書籍です

 1 井上貫道老師校正
 
    井上貫道老師正法眼蔵三十七品菩提分法購入方法
青いボタンをクリックしても、購入方法のページに至らない場合は、※の下線部をクリックして下さい 同じものです。
※  https://amzn.to/38VHFME


[ 出版世話人様註 ]  本はとても良く仕上がっています。貫道老師のお話が良く伝わる、読みやすい本になっています。表紙は、円通寺講話会の案内のデザインを使わせていただいたそうで、正法眼蔵の文字は、道元禅師のご真蹟を取り入れたものだそうです。迫力があります。



[ 管理人 ] 以上の文章は、http://syobogenzo.blog.fc2.com/ に掲載されていることですが、できるだけ大勢の目に触れていただきたく本ブログ http://zazen.blog.jp/ にも掲載いたしました。


【正法眼藏三十七品菩提分法からの抜き書き】

パン!って、説明じゃないですよ―説明だと思っていると第一歩がずれているからその後全部の事がずれる

[ ここから本文 太字は管理人判断です ]
くしくも、この前お話したかも知れませんが、道元禅師の残された普勧坐禅儀ふかんざぜんぎという坐禅の手引書に、最初にこういうことがキチンと書いてある。ものの道理として、一番最初が。誰のことか、どうなっているかということが最初に書いてあります。それから、坐禅するのにどうしたら良いかということが書いてある。

ある方が、自分のお父さんが病気をなさって、病院に入って手術をして、まあそれから退院をしてこられた間の話ですが、病院に行った時、お父さんの様子を見ると、痛々しい苦しんでいるような感じが見受けられたのでしようね。だから家に帰って仏壇の前に行って手を合わせて、「私はお父さんに何もして上げられないけれど、せめて痛くないように、苦しまないように何とかしてあげて」つて、ずつと家でご本尊様の仏壇に手を合わせて、そうやって過ごしてたと言うんです。

やがて退院して帰って来たから、そういう話の中で、「お父さん病院にいる時に、痛そうだし苦しそうだったから、こんな風にしてたんだよ」って話をしたら、お父さん曰く、「痛くも苦しくも何ともなかった」って。「私はどこも痛くなくて何も苦しんでなんかなかったよ」つて言う話。これだけなんですよ。

これ、凄く面白い話ですよ。考えさせられるつていうか。何を私達はしてるんだろう。人の動きを見てですよ、人の様子を見てですよ、ありもしないことを自分の中で想像してですよ、苦しんでいる。本人のほうはケロツとしている。
それは一番最初がズレてたからじやないですか。

ご本人が病院行って、お父さんに触れた時に、ふっと、苦しんでる、痛がっているつて、そういう風に思つて見たんでしょう。思いを入れて。
そこから自分の行動が著しく変わった行動になってますよ。それを一生懸命やっていることが、お父さんに対する何か親孝行の一端のように思って、ひたすらそういうことをやつたんでしょう。同じ手を合わすんでも、そういうつまらない見方をせずに手を合わしてたら、自分も楽なのにね。不思議でしょ。(途中略)


これ、修行の基本の処で、人はそういうような一番大事なことを忘れていないかということ。
[老師側が] どんな正しいこと伝えても無理です。
[ 話を聴く方は] 真逆の方向にいるわけだから、それを実践しても絶対に言われた様にはならない。

だから、今話した道元禅師の在り様とか私達の在り様とか、幾つもあるんじやないんですよ。
お釈迦さまの在り様とか幾つもある訳じゃない。
基本的に、 一番最初はみんな同じなの。パン! (机を打つ)

パン!これ以外の聞こえ方する人、 一人もいないね。


パン!こういうところから勉強して行くんですよね。
と、言う事を、最近つくづくいろんな人と話していて、何でこうなっちやうんだろうつて、考えてるんですよ。


有る所へ行って話をして、アンケートに、井上さんはいつも、パン!こうやつてやると、パン!聞こえるでしょって、説明してくれる、と書いてある。

私、説明なんかした覚え一回もない。事実をこうやって、
パン! (一扇で机を打つ)見せているんだけど、聞いている人は説明をしてると思つているんだね。

説明をされてると思っている。パン!叩くと音がして、音が出ると、そのように聞こえるつて、それ説明だと思ってるね。

びっくりしますね、[アンケートに]書いてあるの[わたし]読んで。
こんな勉強しかしてないんだって。

これじや、何遍話しても無理だなって思って。


(途中略)

それで、なかなか話をしてもわからない。だけどちやんとした人がそこに来て、お前、色メガネかけてるからそうなってる。はずしてみろって、はずしてくれると、あ、本当だ、あなたの言ってる通りだって、こうなる。

それ修行する第一歩です。

何で師について学ぶか、何故、指導者が必要なのか。

何故、達磨が中国に来る必要があったか、ということです。


こんなことが日常の中にいっぱい形を変えていますね。


問題が起こる時は必ず第一歩がズレてる。 そこからものが勉強されるために、難しいなあ、わからないなあってきっと言うんですね。

[ ここまで本文 ]
井上貫道『正法眼藏三十七品菩提分法』pp.115-120