最高の頭脳を持つ 素粒子物理学者が 井上貫道老師にとことん質問をしたが、老師は、どこまでも答えることができた


(これまでの体験談以外に、あと、3~5名ほど投稿できる体験談があります。)

U氏は、ノーベル賞受賞者をたくさん輩出した超一流大学 K大学* の理学部物理学科出身で、今は大学の先生です。当時は、医学部ブームの来る以前のことで、一番「頭の良い」人は、医学部ではなくて、この大学の理学部物理学科に入学したようです。
物理学者のU氏が,「仏教の悟りなどというが、本当にそんなものがあるのだろうか?」と参禅を始めることになったそうです。

井上貫道老師に出会い、老師に徹底的に質問をした。
最高のIQで、質問攻めにしました。

しかし、井上貫道老師はすべて答えることができたそうです。

※ちなみに、貫道老師は、よく分からない時には、問い直したり、「これこれと言うことですか」と確認したり、「自分はそうは思わない」という時には、反論したり、質問したりすることを大変喜ばれます。
分かった顔をすることを嫌われます。


その物理学者のU氏いわく、


「普通は、徹底的に問い詰めるとだれでも底が見えるものです。

でも、井上貫道老師だけは底が見えなかった。

どんな突っ込みにも答えられた」そのように言われました。



その後、U氏は、地元の禅寺にそれこそ毎日毎日坐禅に通うようになり、しまいにはお寺の近くに家を買われました。



禅に出会ったその頃の大学での講義の要約が別のブログに掲載されています。





<ここから-->
 
●ニュートリノは光速より速いか。

相対性理論は光速が一定という前提で体系づけられているが、光速より速いものがあるという前提に立つことで説明しやすくなる別の世界も実はある。



●物だけを認める思考をつきつめていくと、人類は壁にぶち当たる。

人間は自ら改善できず、部分的に失敗をするまで目が覚めない。



●一般には「見られている対象物があり、見ている人がこっちにある」と思われている。

しかし実はそうではない。見られるものと見ている人は一つなのだ。

物理学で言えば、
 見る方:人の意識
 見られる物:素粒子~宇宙

宇宙の方が素粒子より大きいと通常は考えられがちだが、そう単純ではない。素粒子のように小さくなればなるほど、次元の数が増え、広がりも大きくなる。例えば、一個の電子は宇宙全体に広がっていたりする。



●洞窟の比喩(by プラトン)

洞窟の中、ロウソクの光で壁に映った影を実体だと勘違いしているが、実体は別のところにある。
ややもすると我々は実体を見ていないことが多い。



●シッタカブッダが馬を見る

馬の一部分ずつを見て想像でつなぎ合わせ、似ても似つかないものを馬だと思い込んでいる。



●誰か特定の人をイメージするとき、その人の一昨日の姿、昨日の姿、今日の姿を記憶でつなぎあわせ、それをその人だと思っているにすぎない。

その人と付き合っていると思い込んでいるが、実際にはその人の事実と付き合っていない。



●オンライゲーム等では、ゲームの舞台となる世界がひとつ存在し、各プレイヤーのPC画面には、それぞれのプレイヤーからその世界を見た映像が表示されていると思いこんでいる。

しかしそれは真実ではない。実際には各プレイヤーの画面それぞれだけが真実であり、それらを統一したひとつの世界なんてものはない。理解しにくい話だが、分かるかな? (モナドの概念)

我々の生きている世界だって、実は同じことでしょ。



●(老婆に見えたり若い娘に見えたりするだまし絵を見ながら)視点の違いによってこのように認識が変わる。



●素粒子も同じく、粒子の側面と波動の側面を持つ。同時に二つの側面を持っているのである。

例えば「シュレディンガーの猫」は、確率的に生きていると同時に死んでいるという状態である。同時に生と死との二つの側面を一つの状態で有していると考えられる。



graviton●量子力学のΨは波動関数であるが、これは粒子を表現する場合と波動を表現する場合の両方を持つ。観測した場合、すなわち見た場合には粒子となり、見ない場合には波動となる。

つまり、見るか見ないかによって素粒子の振る舞いが変わるのである。

見る側によって見られる側の振る舞いが変わるのだから、見られるモノと、見ているココロは、実は別のものではない。




●カントの主張
「時間と空間は自分の外に別に存在するのではなく、自分の中に存在する。」

これは非常に衝撃的であり、コペルニクス的転回であった。




●ハイデガーの主張
「周囲の対象物を見ているこちら側が自分だと思っているが、そうではない。こうやって見えている周囲の事実こそが自分なのだ。」

これも当時、衝撃的な主張だった。

彼は若いころ死にかけたことがあり、カトリックの修行を真剣にやったらしいが、そのせいで覚醒したのかもしれない。




●聖書には「I am that I am」
(アイアム・ザット・アイアム I am that which I am )
私は、私がそうであるところの物である)という言葉がある。




●人生はそっち側(周囲の対象物)にある。こっち側(自分)だと思っているが、そうではない。



●「りんごが存在します」と誰かが言ったとする。じゃあ、その「りんご」を出してごらん、と言うと、ちゃんとりんごは出せるだろう。でも、「存在する」ということを出してごらん、というと、これは出せない。「存在する」というのは概念にすぎない。

つまり「存在する」なんてものの実体は存在しないのである。



●「ある」という意識が対象を産む。




●素粒子を観測するということは、つまり自分自身を観測していることなのである。

<--ここまで>


  以上は、ブログ『浜松で禅修行』 http://ameblo.jp/hamamatsu-zen/entry-11107088475.html からの引用です。




U氏の言葉を借りれば、

「『頭が良い』ということは、この世界に限って言えば、少しも良いことではない」だったようです。

(井上貫道老師も、悟りの道ということでは、頭の良い人は苦労すると言われています)


そのせいか正師に出会うチャンスを得ながら、今年の春、ようやく見性された(悟られた)ようです [失礼な表現かもしれません]。 参禅始めて16年だそうです。
少し後輩で、U氏のように頭が良くなくて、老師のお話を理解できていなくて、U氏に質問することもあった年輩のTさんが、先に体験を得られたので、焦ることもあったそうです。

しかしながら、U氏、自己とは何か の探求心を持ち続けられた結果です。 



その体験以後、攝心(せっしん)の時に、近くの人にこんな事を言っておられたのが聞こえました。



物理学者Uさん: 「悟りとはどのようなことなのだろうか?(悟ったらどのような状態になるのだろうか?) と自分で想像して時間を浪費することだけはやめた方が良いですよ」




[ 投稿者後記 ]
あと、5名ほど体験談があります。


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* K大学や東京大学の人が禅をするのは珍しいことではありません。 また、理系の人が坐禅をするのは大変多いようです(現在の参禅者にもたくさんいらっしゃいます)。

Appleの創業者のスティーブ・ジョブズも曹洞宗の禅を一時期トライしたようです。
出家しようかという選択肢もあったようです。

彼は、「今日は何を着ようかと考える時間が勿体ない」と、いつも僧侶と同じ色の黒のタートルを着ていましたが、これも禅の影響です。
ちなみに、Macの方がWindowsよりはるかに優れています。しかも、シンプルにできています。
Windowsは、いわゆる2000年問題で(2000年が来た時にやり変えないといけなかった)騒ぎましたが、Macは西暦3000年より少し先までちゃんと準備ができていました。その点でも、Macの優秀性が分かります。
しかしながら、Windowsのシェアが大きいので、一般にはWindowsOSが普及しています。
決してMicrosoftが優秀なわけではありません。
しかし、この記事はWindowsで書いています。ありがとうございます。(^^ゞ


頭が良いということは、記憶力が良いとか計算が早いということだけではなくて、一つには概念を構築する力が優れているということがあるように思います。


U氏のことではありませんが、
悟りの体現者が、実物を提示されているのにもかかわらず、「それはそういうことか」と概念を形成してしまい、以後法話を聴くたびにたくさんの概念を形成します。そして、以前学習した既存の概念と比較したり、概念を修正したりして、さらに概念を精緻にしようとします。

もちろん、他の人より老師の話も記憶したり理解するのが速いので、人にこういうことだと代弁してあげることすらできるようになります。

しまいには、悟りとはこういうものではないかと近似値的概念ができたと喜びます。


そのような無駄な時間を使うので、悟りとはよりかけ離れてしまいます。
思考の世界、考え方の世界で、楽しんでいるだけになります。
気をつけなければいけないところです。


なので、頭の良い人は、世間では場合によっては少し高い評価を得るかもしれませんが、ここ仏道では、あまり役に立たず、悟りに至るのに苦労するということになります。



むしろ禅とか仏教とかの前提知識のまったくない方が、井上貫道老師のような正師に参じて、2回目とか、半年以内の参加で「自分がいない」体験をされるのも、そういう理由です。

今後も、初心者の人の禅体験を掲載します。みなさん参禅開始後、1年以内の方々です。
ちゃんと坐禅は正しく行じていらっしゃる方々です。