老師が提唱しているのではなくて、自分が提唱をしていたーー初心のサラリーマン参禅者の体験
2016年10月19日 の投稿の復刻
井上貫道老師のある坐禅会が終わって、会場片付けの時に、何人かの人が老師の周りに集まってきました。
その中の一人Wさんが言われました。
「実は、このところ坐禅をする時間がなくて、今日はガッツリ坐禅ができました。
[ この坐禅会では当時提唱が差定(さじょう=スケジュール)の最後で、その前に4炷(40分×4回)ほど、参加者は坐禅をしていましhた ]
今日ですね、
老師が提唱しておられる時、
あれー、自分が提唱しているわー ってなったんですよ。
……なんぞれかんぞれ(=なんだかんだ)……
それから、老師が言われた人の話を聞いていないというお話、
わたしも、自分の子供の話を聞いていないということ、ズンと響きましたわー」
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井上貫道老師の提唱中に、提唱しているのが貫道老師ではなくて、自分が提唱している
ことに気づかれた体験でした。
Wさんは一般のお勤めの方です。
井上貫道老師に参禅始めて多分一年くらいでの出来事です。1年経っていないかもしれません。
「ちょっと気をつけて坐禅している人は、気づきが来ますね。 一旦気づきがあるとガタガタッと変わって行きますね。」―― 井上貫道老師
「長年坐禅している人ほど、居眠りしちゃっていますね」 ―― 井上貫道老師
「いろいろ考えて、”正しい坐り方はこうなんだ” という結論を出して坐るのは坐禅でもなんでもないですよ
坐禅は考えてどうこうするということではないです」 ―― ある参禅者
【問】「自分がない」と意識していると坐禅がしやすくなったのですが
昔の管理人が長井自然老師と一緒の時管理人:
「老師、『自分がない』というお話を聞いてから、そのつもりで坐禅すると坐りやすくなりました」
自然老師:「そういう考えを持って坐るんじゃないんです」(=それ、全然坐禅になっていませんよ と暗に言われています)
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世間のことと違い、坐禅に初心者とかベテランとか、全く無いことがよく分かります。坐禅は積み重ねて上達するものではありません。
他の坐禅らしきことや瞑想をやった経験のある人はそこが最初に苦労します。
従いまして、
老師に質問や独参をしてちゃんと自分の坐禅をチェックしてもらわないと、いくら提唱を聞いても我流となり、やっていることが坐禅ではないので、坐禅時間中に居眠りをするようになります。
おまけに老師の提唱中にも居眠りをする(眠くして仕方がない)ようになります。こうなると修行が全く進まないということです。
上の方、サラリーマンではなくて自営業者さんかもしれません
上記体験者の言葉で、子供の話を聴いていないという話というのは、
老師:
「親って、子供の話を聞きませんね。
子供の話を聞いたら、その話で出たものを買ってあげないといけないもんだと思いこんでいるものだから、
最初から、子供の話を聞かない。
子供の話を聞く ということと 子供の話で欲しがっているものを買ってあげないといけない ということは別なんですよ。
話を聞いても、買うこともあるし、買わないかもしれない。
子供だって、ちゃんと親の経済状況を分かっているから、
話を聞いてもらったら、あとは、我慢することだってできるんですよ。
それくらい子供は賢いですよ。」
と井上貫道老師がその日の提唱と質疑の時間に話されたことからです。
坐禅ほんとうの初心者が座禅3日目に小鳥の声で気づく