夏季に井上貫道老師摂心があります 2022年、2023年

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「この頃諸方坐禅をゆるくするが故に、仏道衰えたるなり」  ー道元禅師







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▶死ぬまでに一度でいいから自分自身が本当はどうなっているか、自己の真相に気づいてほしいですね
ビックリしますから  ―井上貫道老師


   会社の研修で坐禅に来て、摂心突入、脚が痛くてたまらなかったのに3日で自分が消えた青年 
 や
   自分の娘が亡くなって、本気になって坐禅に打ち込んだら、悟りが開けた和尚さん 

をもご覧下さい。




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過去の少林寺接心の提唱から [ 現在は井上貫道老師指導の少林寺摂心はございません ]

[  接心とは、在家の人も、諸縁を放捨して、道場に寝泊まりして、坐禅修行に専念する数日間
テレビ新聞携帯メールLine見ない、電話にも出ない、参加者同士挨拶も不要、お互い話をしない、自己に参ずるのみの期間 この期間に修行の進む人や悟る人昔から多し 道元禅師は、修行時代、90日間の安居期間中、隣で坐禅する人の顔を知らず 欧米では禅リトリートと呼ばれる ] 
 


以下、最終日の提唱より抜粋。



●漫然と坐っている人は寝ちゃうね。h4zazendosk2
「何もしないのが坐禅」って言いながら・・・。
三十年も坐ってる人は必ず寝ますね。

今の様子に参ずるのが下手なんだね。

寝たら坐禅になりませんよ。




● 眠るのは坐禅の大敵です。

坐禅ってどういうことなのか、よく分かっていないからボーッと眠るんです。

  坐禅で眠くなる人へ:坐禅で眠くならない方法ー仮眠のすすめ など  9/7公開予定の記事



● 坐禅の間には休憩時間がありますが、あれは休憩ってわけではないですよ。

その時間におしゃべりしたりすると、人間は会話に引きずられますからね。

せっかくの坐禅が台無しになってしまいます。




● 接心や坐禅会に来て、おしゃべりをする人は、絶対に修行ができていませんね。
何の世界でも一流の人が自分の仕事をする時は、おしゃべりをしません。

一流のシェフがおしゃべりをしながら、料理を作りますか?

修行者は話をしないものです。

 
 
 

● 「坐禅」というのは、今の実相、活動にそのまま親しくしていればいいんです。
 
「ただ坐る」というのは、
事実、実相、この(自分の)一大活動に親しくいることです。



事実との間に距離がないからこそ「手を付けない」という表現になるわけでしょ。



観察するのではなく、事実のままにあることです。





●今の様子に親しくいれば、先ほどの様子は微塵もありません。そのことで十分です。




●悟っている人も、悟っていない人も、(手にした杖を立てて)こうすればこう見えるでしょ。




● 生きているうちに片を付けないと、ものにならないですよ。
使えません。

できるだけ若いうちに決着を付けて、長い間役に立ってください。

だから修行をぐずぐずしないこと。





● 近い人も遠方の人も、わざわざこの寺に来て接心しようというわけですから、社会のことをここまで持ち込むのはもったいないですよ。

世間のことは打ち捨てて坐ってください。




●本気になって求めると言ったりしますが、本当に坐りたければ坐るもんですよ。

他人がおしゃべりしてようが、寝てようが、そんなの放っておいて坐りますね。




●本当に気になっていれば、四六時中そのことが心から離れないですよ。

気にかかっているものを放っておけるわけがないんです。




●「言うとおりやってみようか・・・」なんて遠慮がちにやるからスカッと行かないんだね、半分ぐらいの人は。(笑)





●「作務」は、一般の仕事とはちょっとおもむきが違います。
ただそのことをそのこととしてやるだけです。

人のためやお寺のためではありません。





●達磨大師は9年間坐禅したと言いますが、9年かけて悟ったのではありません。

すでに悟った上で、坐禅というものの実物を9年間見せ続けたんです。

そして慧可という弟子が得られたんですね。

 ※達磨大師面壁九年で二祖慧可大師を得る 
慧可は達磨大師の前で本気を示すのに、臂(肘ひじ)を自分で切り落としたと伝えられている
この故事に因んで、臘八大接心のあと12月9日に断臂接心(だんぴせっしん)をする道場がある






●なぜ「自分自身に徹見せよ」というかというと、生涯、この自分自身の一大活動しかないからです。 
これこっきりだからです。


   井上貫道老師参禅者の体験談 をもご覧下さい。



井上貫道老師の摂心にだれでも参加できるのですか?

現在は、浜松や甲信越で開催です。


摂心には、初心とかベテランとかは何の関係もなく参禅ができます。
修行には、「初めて」とか「何年もしている」とかは無関係だからです。

※脚が痛いのではないかと心配される方へ:
長時間坐ることに慣れていなくても、その環境に入ってしまえば坐れます
40分の坐禅途中で一回くらいは隣の人に迷惑にならないように静かに脚を外して休んでも構いません
そしてまた脚を組みます 脚は半跏趺坐か結跏趺坐がおすすめです できる人は結跏趺坐の方が脚を外した後などに膝が痛みません
結跏趺坐けっかふざ・半跏趺坐はんかふざ どちらも正式な組み方です