坐禅の仕方と悟り,見性,身心脱落:井上貫道老師の庵 まとめブログ

Dharma Talks of an enlightened Japanese Zen Master Kando Inoue Roshi 井上貫道老師が、悟りを体現された経験から坐禅の方法や仏道について語られたものを掲載しています web上に散見される井上貫道老師のことばも引用掲載し、まとめブログとしました ( これは参禅者によるブログであり、公式サイトではありません ) このブログが正師への参禅のきっかけになりますように

六感の働きで学ぶ・六感の働きでいればよい


純粋に耳の働きだけで学んで下さい。

耳には人の聞き方はないんですよ。

[どんな音でもその通りに聞こえる 人間の好き嫌いに関係なく聞こえる
 自分の見解に合致することでも聞こえるし、自分とは反対の意見の発言でもそのとおり聞こえる、
褒められようと非難されようと耳には内容に関係なく聞こえるetc]

知ってますか。


眼には人の見方はついてないのですよ。
[自分が見たいものでも見たくないものでもそういうことに関係なく眼に見えるetc.]


そういうことに用がある。


どこに目を向けて学ぶかってこと。


人間の考え方のうえの話をしているわけではない。



自分の聞き方というものが残っている上に継ぎ足していくのと、全部それを外しておいて本当に聞くのとでは、違うんですよ。


ものを学ぶのに、どうして自分の考え方を中心にするんでしょうか。

本当にものを学ぶんだったら、どんなに今まで学んだことがあったって、しばらくそれを使わなくたっていいじゃないですか。

なくなるわけじゃないから。


本当に空っぽで聞いて。





――井上貫道老師17/3/23提唱から 【3/23提唱DVDからの抜粋】 DVD製作者様による文字起こしになります
不明点、疑問、足らないところは、坐禅会への参禅をお願い致します  実践して何か体験を得た場合も正師への参禅が必須です

悟っている人と悟っていない人


仏道とは自分の見方をやめること,人間の見解を使わないこと


悟ってる人と悟ってない人とかっていうことが、初めから無いじゃないですか。

皆さん、あると思ってますか。

そういう自分の見方をやめるってことじゃん。

自分で勝手な推測をして、自分を卑下したり、いろいろして、苦しんでるんでしょう。



修行とは、すでに出来ていることに学ぶこと

本当に誰でもその通り見えるように出来てる。

修行したからそのようになるわけじゃない。

修行しなくてもそのようにちゃんと見えるようになってる。

そういうものに学ぶのでしょう。

そのようにきちっと、心底、本物がズバッと皆さんに味わえるように出来てる。

坐禅の時そうやっているじゃないですか。

自分の本物に、そのままいる [のが坐禅]。



自分に足らないものがあると思い込んでいるのが迷い・不幸の原因

悟った人と同じ様に今の自分の有り様が素晴らしいことに、着目しなかったんだよ。

一切、悟ってるとか悟ってないとかいうものなしに、その音を本当に聞く力を持ってるわけじゃん。

そういうことに着目しなかったからでしょ。


こうやって生活しているときに、いちいちやり直してもう一回生活するってこと、一度もしたことがない。やろうと思っても出来ない。


――井上貫道老師17/3/23提唱から 【3/23提唱DVDからの抜粋】 DVD製作者様による文字起こしになります
不明点、疑問、足らないところは、坐禅会への参禅をお願い致します


【重  要】
神戸楽の森「坐る会」のサイト https://tinyurl.com/kobeteisho
にも、井上貫道老師の神戸坐禅会の提唱の一部が文字に起こされています。

大切なことを分かりやすく提唱されている部分ですので、ぜひ、ご覧ください。

いわゆる坐禅は、習禅にはあらず。ただこれ安楽の法門なり。

いわゆる坐禅は、習禅にはあらず

(坐禅は)「習禅には非ず」いつもその一回こっきりで終わりです。

坐禅は、積み重ねてだんだん上手になるような行をしているわけではない。

もう一回さっきの音を聞きたいなんて無理ですから。やれないんです、もう一回。



ただこれ安楽の法門なり。

「安楽の法門」(コン)こうやって音がするととにかくそのようになる。

目を開けてると目の前のものがその通りに見えるように出来てる。

本当に何もしなくたって大丈夫。

こんな楽なことはないじゃないですか。



――井上貫道老師17/3/23提唱から 【3/23提唱DVDからの抜粋】 DVD製作者様による文字起こしになります


【重  要】
神戸楽の森「坐る会」のサイト https://tinyurl.com/kobeteisho
にも、井上貫道老師の神戸坐禅会の提唱の一部が文字に起こされています。

大切なことを分かりやすく提唱されている部分ですので、ぜひ、ご覧ください。





不思量底、如何が思量せん。非思量。これ乃ち坐禅の要術なり。

非思量


「非思量」
ここから先は理屈抜きなんだよ。説明の必要でないところじゃないですか。

(コン)
どうしたら人間の思量分別のついてないところで聞くことができるかって、説明なんか要らないじゃない。

(コン)こういうことを本当にやったらいい。


――井上貫道老師17/3/23提唱から 【3/23提唱DVDからの抜粋】 DVD製作者様による文字起こしになります


【重  要】
神戸楽の森「坐る会」のサイト https://tinyurl.com/kobeteisho
にも、井上貫道老師の神戸坐禅会の提唱の一部が文字に起こされています。

大切なことを分かりやすく提唱されている部分ですので、ぜひ、ご覧ください。


不思量底如何が思量せん

思量と不思量

思う前の状況がある

思うっていうことがあるということは、そもそもその前の状況がある、ということでしょう。

思うという前はどうなってるかって言ったら、思いがついてないってことでしょう。

人間はその思いがついていないところをあまり大事にしないんですよね。

思いのまだついていないところ、そこに用がある。


人と出会った時でも、綺麗だとか汚いだとか、若そうだとか年寄りだとか、そういうこと一切なしに、こう、ぱっと触れただけでいる、そういうようなところ。こういうところに用がある。


――井上貫道老師17/3/23提唱から 【3/23提唱DVDからの抜粋】 DVD製作者様による文字起こしになります

【重  要】
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にも、井上貫道老師の神戸坐禅会の提唱の一部が文字に起こされています。

大切なことを分かりやすく提唱されている部分ですので、ぜひ、ご覧ください。



箇の不思量底を思量せよ

「不思量底」とは何を指すのか。

 (カチン)これは人間の思い量りで聞いてるわけではない。

大きな音だとか、いい音だとか、一切そういうようなことなしに行われてる、

 その辺を不思量底と言うんですね。

いちいち皆さんが今触れているところです。     



――井上貫道老師17/3/23提唱から 【3/23提唱DVDからの抜粋】 DVD製作者様による文字起こしになります
不明点、疑問、足らないところは、坐禅会への参禅をお願い致します  実践して何か体験を得た場合も正師への参禅が必須です


【重  要】
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にも、井上貫道老師の神戸坐禅会の提唱の一部が文字に起こされています。

大切なことを分かりやすく提唱されている部分ですので、ぜひ、ご覧ください。


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