坐禅の仕方と悟り,見性,身心脱落:井上貫道老師の庵 まとめサイト

Dharma Talks of an enlightened Japanese Zen Master Rosan Kando Inoue Roshi 井上貫道老師が、悟りを体現された経験から坐禅の方法や仏道について語られたものを掲載しています web上に散見される魯山貫道老師のことばも引用掲載し、まとめブログとしました ( これは参禅者によるブログであり、公式サイトではありません ) このブログが正師への参禅のきっかけになりますように

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更新情報

悟っている人と悟っていない人仏道とは自分の見方をやめること,人間の見解を使わないこと悟ってる人と悟ってない人とかっていうことが、初めから無いじゃないですか。皆さん、あると思ってますか。そういう自分の見方をやめるってことじゃん。自分で勝手な推測をして、自分

「坐禅は習禅にはあらず」・坐禅はトレーニングではない  坐禅は本当に何もする必要が無かった「修行は「思い」ではないんです。『こうやればいいんだ』って方程式を立てておいて、それに沿ってやることではないです。」― 井上貫道老師坐禅の形・組み方(目・手・脚・口)―
『坐禅はこうするのだ:坐禅の仕方―何もしないのが坐禅』の画像

道元禅師正法眼蔵提唱録―井上貫道老師井上貫道老師「正法眼蔵提唱録」のサイトのご紹介井上貫道老師が岡山県玉島の円通寺坐禅会で、道元禅師の『正法眼蔵』の提唱をしておられます。それを文字に起こしてあるブログがありましたので、ご紹介させていただきます。こちらにな
『道元禅師・正法眼蔵提唱―井上貫道老師』の画像

井上貫道老師平成30年前半の坐禅会日程☆井上貫道老師は悟りを開き、仏道を体得された方です。厳しい修行を長年したとかではなくて、正師の指導による正しい修行によって、釈尊と同じ体験をして自己を明らめた、悟りを開いた、事実を見届けた方です。☆井上貫道老師の坐禅会
『井上貫道老師の平成30年前半坐禅会日程』の画像

道元禅師の『正法眼蔵 三十七品菩提分法』の井上貫道老師提唱録7月に予約出版の受付をされていましたが、今回、通販の形で購入することができるようになったようです。『井上貫道老師提唱「正法眼蔵 三十七品菩提分法」』頒布中題名 「正法眼蔵 三十七品菩提分法」 井上
『『道元禅師正法眼蔵』提唱録―井上貫道老師』の画像

「事実」に触れるためには、実践してみる「本当に『事実』に触れると、今まで体験したことがないものだから、驚くんです」本当にこういうことの内容に触れたかったら、やってみるしかないんじゃないですかね。やらないで評価してみてもどうしようもないと思う。やったら自ず

今生きている事実から目をそらさないあれだけいろんなものを見てきたのに、今見えているものはこれだけだからね。これだけで十分だからね、どこへ行っても。そこへ行った時にそこへ行ったものがその通りに見えさえすれば、それで十分。どんなものでも、実物というのはたった

六感の働きで学ぶ・六感の働きでいればよい純粋に耳の働きだけで学んで下さい。耳には人の聞き方はないんですよ。[どんな音でもその通りに聞こえる 人間の好き嫌いに関係なく聞こえる  自分の見解に合致することでも聞こえるし、自分とは反対の意見の発言でもそのとおり聞

いわゆる坐禅は、習禅にはあらず。ただこれ安楽の法門なり。 いわゆる坐禅は、習禅にはあらず(坐禅は)「習禅には非ず」いつもその一回こっきりで終わりです。坐禅は、積み重ねてだんだん上手になるような行をしているわけではない。もう一回さっきの音を聞きたいなんて無理で

不思量底、如何が思量せん。非思量。これ乃ち坐禅の要術なり。非思量「非思量」ここから先は理屈抜きなんだよ。説明の必要でないところじゃないですか。(コン)どうしたら人間の思量分別のついてないところで聞くことができるかって、説明なんか要らないじゃない。(コン)

不思量底如何が思量せん 思量と不思量 思う前の状況がある 思うっていうことがあるということは、そもそもその前の状況がある、ということでしょう。思うという前はどうなってるかって言ったら、思いがついてないってことでしょう。人間はその思いがついていないところをあま

箇の不思量底を思量せよ 「不思量底」とは何を指すのか。 (カチン)これは人間の思い量りで聞いてるわけではない。 大きな音だとか、いい音だとか、一切そういうようなことなしに行われてる、 その辺を不思量底と言うんですね。 いちいち皆さんが今触れているところで

井上貫道老師神戸(兵庫県)坐禅会 悟りの体現者・井上貫道老師2017年兵庫県神戸坐禅会は年間開催回数が増え、かつ1日の坐禅時間が増えます[ 以下は神戸坐禅会主催者・世話人様からのお知らせの転載です ]「井上貫道老師 神戸坐禅会」でございます。井上貫道老師 神戸坐禅会(
『井上貫道老師2017年神戸(兵庫)坐禅会のお知らせ』の画像

悟りの体現者・井上貫道老師の大阪坐禅会での提唱DVD一般頒布しています【内 容】井上貫道老師大阪坐禅会(年4回開催中)の提唱と質疑のすべて提唱講本は、道元禅師『普勧坐禅儀』貫道老師神戸坐禅会での動画は、こちらでは取扱がありません。【頒布状況】3ヶ月に1枚ずつの発行
『井上貫道老師の提唱DVD一般頒布しています』の画像

井上貫道老師京都大阪神戸坐禅会のホームページがリニューアルされました井上貫道老師京都大阪坐禅会のサイトhttp://zazenkyoto.blog.jp/井上貫道老師神戸坐禅会は、1月、2月、4月、5月、7月、8月、10月、11月の原則第四土曜日の翌日に開催 25年スタート 29年から年間8回と
『井上貫道老師京都大阪神戸坐禅会のホームページリニューアル』の画像

井上貫道老師に参禅を始めて、すぐに、自分はいない体験(自我消滅体験) をする人達井上貫道老師のある坐禅会の司会の方が、ある時このような発表をされました。「最近、参禅始めた初心者の方に体験の出るのが多いです。ある人は、自分の部屋に入った時、自分がいないことを体
『参禅入門後すぐに、自分がいない体験をする人々―― 坐禅の本質』の画像

自己は消え、老師の声が聞こえるのみ――貫道老師坐禅会参加が2回目のある女性の体験井上貫道老師のある坐禅会のことです。午前中坐禅を3炷(ちゅう)、それから斎座(さいざ=昼食)、午後坐禅1炷、提唱、質疑応答という差定(さじょう=時間割)です。老師の提唱後、お茶とお菓子
『自分は無く、 ただ声だけがあった――女性参禅初心者の体験』の画像

老師が提唱しているのではなくて、自分が提唱をしていたー一参禅者の体験井上貫道老師のある坐禅会が終わって、会場片付けの時に、何人かの人が老師の周りに集まってきました。その中の一人Wさんが言われました。「実は、このところ坐禅をする時間がなくて、今日はガッツリ坐
『老師ではなくて、自分が提唱している―ある参禅者に起こった体験』の画像

井上貫道老師に参禅を始めて1年で気がついたサラリーマン これはある人Yさんの体験談ですわたし [このブログ投稿者] が、井上貫道老師の坐禅会に出た帰りのことでした。駅近くでYさんに出会って、多分初めてこの人に話しかけました。前日の他所での貫道老師の坐禅会での一参
『井上貫道老師に参禅始めて1年で気がついた一般人―平成の現代で悟り体験をした人々』の画像

真実、悟り、禅修行とは(1)道元禅師『学道用心集』『普勧坐禅儀』、黄檗希運禅師『伝心法要』提唱録』(井上貫道提唱、2016年)※書籍タイトルを『井上貫道老師提唱録 修行の大前提:真実とは、悟りとは、修行とは、禅とは』から変更しました詳細・ご注文はこちらから(
『書籍の注文方法 『真実、悟り、禅修行とは1』』の画像

真実、悟り、禅修行とは(1): 道元禅師『学道用心集・普勧坐禅儀』、黄檗希運禅師『伝心法要』提唱録ー井上貫道老師語録がAmazonから出版されました  修行の大前提:悟りとは、修行とは 井上貫道老師語る井上貫道老師提唱録が8月28日、出版されました※書籍タイトルが『
『井上貫道老師提唱録が出版されました Amazon と製本版』の画像

「この頃諸方坐禅をゆるくするが故に、仏道衰えたるなり」  ー道元禅師▶死ぬまでに一度でいいから自分自身が本当はどうなっているか、自己の真相に気づいてほしいですねビックリしますから  ―井上貫道老師まもなく、井上貫道老師語録(今までに未掲載のもの)がまとまる
『春季大攝心(摂心)―井上貫道老師』の画像

真実というのは、自分の思慮、分別、考えかたをやめてみたときの自分のすがたです。事実を人は思考で汚しています「思い」というものが人をたぶらかして、真実からかけ離れさせてしまうのです。―井上貫道老師*************************************************************
『意根を断つ―死に切る(大死一番),自己を忘じる 続き』の画像

▶思考回路は真実からいつも乗りおくれているから、自分のなかで葛藤が起きるのです。―井上貫道老師『意根を断つ今一度坐禅について』前編静岡県少林寺住職 井上貫道 悟りの体現者・井上貫道老師のプロフィールはこちら真実に目を向ける  ようこそ一泊坐禅会にご参加く
『意根を断つ―死に切る(大死一番),自己を忘じる』の画像

▶自分の見解を起こさずに、本当に相手がしゃべってる時そのまま聞いているっていう事が穏やかな生活ができている証拠じゃないですか?ー井上貫道老師 2013年4月の井上貫道老師の静岡禅会でのお話です。② 道元禅師・正法眼蔵春秋の提唱から ①の続きこの前も紹介したんだ

▶私達は毎日朝から晩まで真実の中に生きていながら「おそらく一度も真実に直接触れた事はない」って言っていいでしょう。▶ 「お寺に座禅をしたいから」と言って座禅に来る。「何かわからない事ありませんか?」と聞く。誰も何も言わない。 「では、座りましょう。」と言っ

「佛道をならふといふは、自己をならふなり」 ―道元禅師▶仏道とは、本来の自己を自分で本当に見届けて、それに動かされることです。  ―井上貫道老師▶修行とは、どっか他所(よそ)でやるんじゃないんですよ。 ここでやるんです。いつもここでしか生きていないんだから
『修行とは、いまここ自分ー自分の考え方・人間らしい見解なんてものは全く要らない』の画像

坐禅の組み方 http://zazen.blog.jp/archives/1029047318.html   ※に図を挿入しました 法界定印(ほっかいじょういん) 坐禅の組み方 つまり坐禅の時にどのように身体を整えるかについては、上記※にありますが、坐禅する間、どのようにして過ごすのか、坐禅の仕方に
『坐禅の組み方・坐禅の仕方』の画像

仏道は理想を追求することではない仏道は人間が描く理想とは関係がない▶多くの人が、坐禅中においてさえ、理想を求める境地を頭で探しています。それは一見坐禅らしく見えますが、真実から外れています。ー井上貫道老師 ●人間が理想を画(えが)いていると、いかにも立派そ
『仏道は理想を求めて修行することではない』の画像

「坐禅が進んで、内も外もなくなった人がいますこうなると人生観が変わりますよ」[ これが悟りだと言われているのではありません 念のため ]ー(2014年夏の緑陰接心の提唱:接心3日目)井上貫道老師 内も外もない=内外打成一片 ないげ・だじょう・いっぺん(このブログは実
『内も外もない(内外打成一片)―本当の坐禅修行の方法』の画像

今日、昔の人のように本当に大悟などできるものかという人が多いけど、これはうそです。 絶対にそういうことはない。今日の人だって、必ずできるということです。 ただ、そういうことのあることを信じない。 それですから、せつかく坐禅儀などに方法も手段も説いてあって
『今の人に大悟は無理? 悟りは必要がないのか 悟りは今の人に役に立たないのか』の画像

井上貫道老師の『正法眼蔵現成公案』提唱から悟り体験をすれば、もう元には戻らないです以後は、諸仏の過ごされた境涯というものをこの身体で楽しむことが出来るのです   ―井上貫道老師修行ということに関しては、一応悟ってしまえばもう関係はないと思っている人もおり
『悟り(見性):もう元には戻らない―井上貫道老師』の画像

考え[思い・感情も]が出てきてもそれを取り扱わないのが坐禅です何もしないのが坐禅です自分のほうから探ったりたずねたりすることをやめれば、「事実」(真実)がそこにあるんですどうしたらそうなるかじゃないすでに出来ているそれを見極めるのが修行です今の自分が本当にど
『般若心経と坐禅修行の要点ー井上貫道老師』の画像

Q.「坐禅をしている最中、自分を観察しているもう一人の自分がいつまでも残って消えないんです。」井上貫道老師「それは間違ってますね。もともと自分なんてないんです。自分を観察している自分がいると感じるとすれば、それは一瞬でも過去の状態を振り返ろうとしているとい

(指一本立てて)こうやるだけで「自分」というものが死にますね                       ー 井上貫道老師「坐禅は修禅にはあらず」   ―道元禅師●漫然と坐っている人は寝ちゃうね。「何もしないのが坐禅」って言いながら・・・。三十年も坐ってる
『坐禅は年月を重ねて上達するものではない (坐禅は修禅にはあらず)』の画像

井上貫道老師が坐禅会で話されたことばから自分を中心にして物事を見てしまっているから自分が消えないんです。 もともと自分はないんです。 実は、考え方や見解も自分が作っているのではないんです。自分を中心に据えて物事を見るのではなく、物事の方からやってくるんで
『すべては自己なりー井上貫道老師』の画像

井上貫道老師が坐禅会で話されたことばから◇考えを「やめる」んじゃないですよ。事実に即していれば、考えが「やまる」んです。事実に触れれば念が切れるんです。 ―井上貫道老師●坐禅中にいろんな考えが出てくること自体は「事実」です。でもそれにひきずられたまま考え
『何も思わないようにするのではない、自己をならうー井上貫道老師』の画像

井上貫道老師が坐禅会で話されたことばから仏道をならうというは、自己をならうなり ―道元禅師 ●釈尊も道元禅師も、みんなあらゆる書物を勉強して理解できたほどに頭がいいのに、結局はそれを捨てて自分自身に学んだんです。なぜ大先輩達が自分のありように学んだのか、

井上貫道老師のことばです。●眼は色を認識しないんです。これは世間の常識では理解されないんですけど、眼が色を認識しているのではありません。どこで色を認識しているかわかりますか?●耳は言葉を認識しませんね。耳は音を聞くだけです。言葉にしているのは、どこか別の
『修行とは何もしないこと、何かに向かうと修行じゃなくなるー井上貫道老師』の画像

井上貫道老師が坐禅会の時に話されたことばから●坐禅するということは、生地(きじ)のままでいることです。自分の生地に触れる時間帯が坐禅です。 ●こうやってぱっと見ると、みなさん座ってますね。全部一度に見えるんです。遠いとか近いとかは無いんです。遠いとか近い

井上貫道老師のお話からの抜粋です●本当に事実に触れれば[=悟れば]、底が抜けてすっきりしますよ。●みんな、常日頃たくさん問題を抱えてますよね。修行を始めるとき、それらの問題には一切手をつけず、今、この状態そのままから修行を始めるんです。決して問題を整理解決

禅 茶話会また続き~2012年9月井上貫道老師東京都青梅禅会⑨2013年04月17日(水) 掛川 少林寺の井上貫道老師のお話です。うちに来る人なんかでもそう。「もう頭いっぱいで何もできなくて、どこにも行く気がしない」って。うちに来てるじゃない。「もう、食べるのも飲むのも
『只管打坐の基本―坐禅入門9 東京都禅会by井上貫道老師』の画像

只管打坐の基本―坐禅入門8  東京都禅会by井上貫道老師井上貫道老師の師・井上義衍老師のことば  井上義衍老師とは→こちら ▷ 「我見をこれから離れるのではない。我見の起る前があって、その前が自分の真実です。それが本来の私共の心の在り方です。空にする前に空で
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◇井上貫道老師のことば◇● 修行に時間がかかる人は、結局、何も実践していなんだね。(月1回の座禅会に2つ、3つ来て、坐禅して法話聞いて、1か月後にまた坐禅会に来て、坐禅して法話聞いて、それをまじめに長年繰り返すなど)● Q.坐禅はどうやればいいのですか?A.この身

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