坐禅の仕方と悟り,見性,身心脱落:井上貫道老師の庵 まとめサイト

Dharma Talks of an enlightened Japanese Zen Master Kando Inoue Roshi 井上貫道老師が、悟りを体現された経験から坐禅の方法や仏道について語られたものを掲載しています web上に散見される井上貫道老師のことばも引用掲載し、まとめブログとしました ( これは参禅者によるブログであり、公式サイトではありません ) このブログが正師への参禅のきっかけになりますように

井上貫道老師の坐禅会提唱動画が公開されました

井上貫道老師の神戸坐禅会の提唱中に撮影された動画がyoutubeにアップされました。
神戸坐禅会・坐る会様のご尽力でリリースされました。

ついでのお知らせです
神戸坐禅会・坐る会様のtwitter が立ち上がりました。
 神戸坐禅会・坐る会twitter はこちらから (twitter やっていなくても見られます)


youtubeチャンネル登録方法

提唱の講本は、井上義衍老師『普勧坐禅儀・坐禅用心記』(絶版 再頒布検討中のようです)です。それを井上貫道老師が提唱されています。



動画は、以下です。
神戸坐禅会・坐る会の井上貫道老師動画youtubeトップページこちらです。
これからアップされて行く井上貫道老師提唱動画を見逃さず見たい方は、
「チャンネル登録」をしてください。画面をよくご覧になると「チャンネル登録」というボタンがあります。


(1)





(2)





(3)





(4)





(5)





神戸坐禅会・坐る会のyoutubeトップページこちらです。
これからアップされて行く井上貫道老師提唱動画を見逃さず見たい方は、
「チャンネル登録」をしてください。


井上貫道老師youtube動画チャンネル登録方法


こちらに行きます、
ログインして、赤い『チャンネル登録』ボタンを押します。
下図の赤い印のところです。

以上です。


youtubeチャンネル登録方法








坐禅会や語録・youtubeのリンクです

mehahirakubeshi

松本自證師 東京・関西坐禅会 
 松本自證師とはこちら


禅ーもう迷うことはない

松本師が参禅のきっかけとなった書籍:井上義衍老師『禅ーもう迷うことはない』
は、もう高騰しすぎた古書でしか手に入りません。また、昨年に龍泉寺の在庫はすべてなくなりました。しかしながら、これは、龍泉寺発行の『迷いと悟り』(質疑録)と同じものです(『もう迷うことはない』の方が少し簡略化されています)。ですので、この書籍を読みたい方は、原典である『迷いと悟り(質疑録)』をお読み下さい。その入手先は、こちら(リストの8番)

(この本の写真のように面壁しすぎるのは、広告用の写真にすぎないことにご注意下さい 通常は面壁と言っても、長連単では、目から壁まで160cmくらいあります [1畳のたたみの端っこに坐るので] もっと目の前がゆったりとしています この写真は外単であり、逗留者や入門者用の一時的単ですしかも近づき過ぎて坐禅してます 実際はこのような近さで坐禅していませんのでご注意下さいませ(この写真のようにするととても坐禅しにくいです)
自宅で坐禅される時は、目の前はできれば壁から160cmくらい空けて、目を開いてゆったりと坐禅してくださいませ。 それが申し上げたいことでした。修行僧は、事実は、この本『禅ーもう迷うことはない』の写真のような近さでは坐禅していませんので、どうぞよろしくお願い致します)


貫道老師・不識庵哲禪師・仏子庵自然師 新宿参禅会





これらリンクは右側のコラムにも掲載しています









井上貫道老師提唱による『正法眼蔵「現成公案」提唱録 げんにーび』(2001年出版)が2018年1月に電子書籍化されました。


 

内容紹介:曹洞宗開祖・道元禅師の主著『正法眼蔵』において最重要とされる「現成公案」の巻。『正法眼蔵』の総論であり、核心が網羅されている本巻を、十代で悟りを開いた井上貫道老師が、7日間をかけて縦横無尽に提唱。道元禅師の真髄、真実・悟り・修行とは何かを余すところなく示している。

松本自證師が絶賛
「修行している人が本を読むとしたら、貫道老師の『げんにーび』だけでいいと思います」

「げんにーびに線を引きながら読んだり、欄外に自分のコメントを書き込んだりしていましたが、『ハッキリ』してみると、想像していた事とは全然違いましたね」
※ハッキリする=決着がつく

「本を読む時間があったら、坐ってくださいね」

ーー松本自證氏 (昔この方の尽力で新宿の紀伊國屋書店に『げんにーび』が置いてあったそうです)


■アマゾンkindle電子書籍は【こちら】から購入できます。 

■製本版(A5版223ページ、第二版、税込1,000円、送料400円)は、引き続き、嵩山少林寺から購入できます。

少林寺へのご注文:製本版をご希望の方は、本代と送料の合計1,400円を現金封筒にて、送り先(郵便番号、住所、氏名、電話番号)、購入冊数を明記の上、嵩山少林寺(〒436-0013 静岡県掛川市子隣309、電話 0537-22-5355、FAX 0537-64-4008)までお送りください。2冊以上のご購入をお考えの方は事前に少林寺までご連絡ください。





「理想」は立派そうに見えて、実は「理想」が迷いの根源

理想は考えにすぎないー井上義衍老師



●人間が理想を画(えが)いていると、いかにも立派そうなんですけれども、それが迷いの根源なんです。それを人類ことごとく知らんのです。

●人間の考え方が、どんなに立派な考えでも、それは、その人間、その人の考え方なんです。

――井上義衍老師    井上義衍老師とは 

196mjjoshiosakazazenkai










悟りのイメージが危険 ―井上貫道老師

Q.悟りに向けて進歩しているのかどうか不安なのですが・・・。

A.井上貫道老師:「悟り」って、どこかで聞いてきただけでしょ。悟りって、きっとあんな感じだ、こんな感じだというイメージがあるだけでしょ。だから危険なんです。


進歩っていうと、その勝手なイメージまでの距離を測り、どこまで進んだかな、なんてやってるんじゃないですか。

そのような行為を「念想観を測量する」と言います。測量はやめましょう。
註:「念想観を測量しきりょう する」は、道元禅師『普勧坐禅儀ふかんざぜんぎ』中の一句
念・想・観 (念<想<観)は、思い/考え・想念・考え方(思想) 、それをあることを基準に測量すること


悟りに用がないということにすればいいんです。
 
悟りたい、分かりたいという気持ちに用がある人は何してるかというと、
いつも追っかけっこしてるんです。
 

実際は手を叩くと「パン」だけで終わってるでしょ。


それで満足いかないのは「考え方」があるからです。
















本当の坐禅とは―坐禅の仕方と方法手段なき坐禅


下のURLに参禅者の一人のある会社員の方の修行体験記が書かれています。
(1/10に記事を一部追加)

毎日通勤している或るIT系サラリーマン参禅者の11ヶ月間坐禅修行記

 https://tinyurl.com/zazentaikenstories ※     

※には、この記事11/10 坐禅と眠気とかこの記事11/11 あきらめて坐るとか書いてあります。
 ・坐禅と眠気
 ・毎日勤めに出ている人は何時頃坐ればいいか
 ・電車の中での坐禅
 ・坐禅中にしてはいけないこと集
 ・坐禅の仕方が分かった後の長時間坐禅のすすめ 11/9
 ・転機の体験と「ハッキリ」する
 などなど

(画像は記事とは関係ありません)

この体験記一番古い投稿はこちらの記事11/06です。zazenposture

peg
最後の投稿は
こちらの記事11/13
こちらの記事11/14です。













謹賀新年

井上貫道老師の提唱と質疑応答


井上貫道老師質疑応答集


井上貫道老師・神戸坐禅会での提唱後の質疑応答が、坐る会サイトに文字に起こされています。 サイト=ウェブサイト=いわゆるホームページ(和製英語)のこと

 こちらにあります。



井上貫道老師平成30年坐禅会日程

井上貫道老師坐禅会日程 のページに掲載しました。

悟っている人と悟っていない人


仏道とは自分の見方をやめること,人間の見解を使わないこと


悟ってる人と悟ってない人とかっていうことが、初めから無いじゃないですか。

皆さん、あると思ってますか。

そういう自分の見方をやめるってことじゃん。

自分で勝手な推測をして、自分を卑下したり、いろいろして、苦しんでるんでしょう。



修行とは、すでに出来ていることに学ぶこと

本当に誰でもその通り見えるように出来てる。

修行したからそのようになるわけじゃない。

修行しなくてもそのようにちゃんと見えるようになってる。

そういうものに学ぶのでしょう。

そのようにきちっと、心底、本物がズバッと皆さんに味わえるように出来てる。

坐禅の時そうやっているじゃないですか。

自分の本物に、そのままいる [のが坐禅]。



自分に足らないものがあると思い込んでいるのが迷い・不幸の原因

悟った人と同じ様に今の自分の有り様が素晴らしいことに、着目しなかったんだよ。

一切、悟ってるとか悟ってないとかいうものなしに、その音を本当に聞く力を持ってるわけじゃん。

そういうことに着目しなかったからでしょ。


こうやって生活しているときに、いちいちやり直してもう一回生活するってこと、一度もしたことがない。やろうと思っても出来ない。


――井上貫道老師17/3/23提唱から 【3/23提唱DVDからの抜粋】 DVD製作者様による文字起こしになります
不明点、疑問、足らないところは、坐禅会への参禅をお願い致します




整理をせずにすぐに修行を始める、反省していたら反省だけで人生が終わってしまう

● みんな、常日頃たくさん問題を抱えてますよね。

修行を始めるとき、それらの問題には一切手をつけず、今、この状態そのままから修行を始めるんです。

決して問題を整理解決してから始めるんじゃないんです。

そんなことしてたら一生修行できません。

反省してたらきりがなくなっちゃいますよね。

本当に『今』に用があるんです。





● 人間は、受け止めた物事や事実を、自分なりに解釈し、意味づけし、整理しようとする。

でもそうじゃなく、事実そのまま、整理しないでおけばいいんです。



悟りのイメージが危険

Q.悟りに向けて進歩しているのかどうか不安なのですが・・・。

A.「悟り」って、どこかで聞いてきただけでしょ。悟りって、きっとあんな感じだ、こんな感じだというイメージがあるだけでしょ。だから危険なんです。


進歩っていうと、その勝手なイメージまでの距離を測り、どこまで進んだかな、なんてやってるんじゃないですか。

そのような行為を「念想観を測量する」と言います。測量はやめましょう。



悟りに用がないということにすればいいんです。
 
悟りたい、分かりたいという気持ちに用がある人は何してるかというと、
いつも追っかけっこしてるんです。
 

実際は手を叩くと「パン」だけで終わってるでしょ。


それで満足いかないのは「考え方」があるからです。




【重  要】
神戸楽の森「坐る会」のサイト https://tinyurl.com/kobeteisho
にも、井上貫道老師の神戸坐禅会の提唱の一部が文字に起こされています。

大切なことを分かりやすく提唱されている部分ですので、ぜひ、ご覧ください。

「坐禅は習禅にはあらず」・坐禅はトレーニングではない  坐禅は本当に何もする必要が無かった



「修行は「思い」ではないんです。

『こうやればいいんだ』
って方程式を立てておいて、それに沿ってやることではないです。」
― 井上貫道老師

坐禅の形・組み方(目・手・脚・口)―井上貫道老師 はこちら


以下は、Sさんのブログからの引用です  
3日間ぶっ続けに坐禅できた体験談です
本当に坐禅できるようになるとはこういう事だということが述べられています:


[ 事実に触れる体験前ページ参照 のあとです ]


帰宅後、近所のファミレスで禅の本を読んでいると、「坐禅は習禅にあらず」という道元禅師の言葉が目に入りました。

「うわぁ、そういうことか・・・本当にそうだった」


さっそく家に帰って坐禅すると、本当に何もする必要がありません。


kodomozazen_FotoSketcher
壁に向かって坐禅の足を組む前から、もう壁が壁そのままです。


「なんだ、坐禅はトレーニングじゃないんだ。」

「禅の初心者が最初の日に足を組んだその時から、もうちゃんとこうなってるじゃないか。」

「なーんにも練習も努力もする必要がなかったじゃないか。」


新人が先輩に仕事を習うとき、「まず俺のやることをただ見てろ」と言われたら、わけなどわからず、ただ横に立って見ているだけでいいんです。

下手に手出しをすると怒られます。そんな感じでしょうか。


   *   *   *

幸福感に包まれて、3日間ぶっ続けに坐禅した

そんなこんなで、とにかく気持ちがいい。

「リアル極楽浄土とはこのことか・・・」

鳥肌が立つような快感と幸福感に包まれながら、3日間ほど続けて坐禅ばっかりしていました。


そうこうしているうちに買い置きの食材もなくなったので、買い物に出かけました。




帰ってきて車から外を見ると、雑草が風にゆれています。


ジョギングをしているおじさんが目の前を走り過ぎていきます。

「草も木も、みんな、昔から、ずっと一緒に、このとおりいてくれたじゃないか・・・」

涙が少し出ました。


「もしかして、悟ったか!」

そう思ってしまうほどのものでした。


[自身が、ブログに「以上は坐禅の誤りに気づいたということであり、悟ったということではありません。」とブログの冒頭にコメントを付加されています]


ということで、1月の坐禅会にて老師に確認してもらうことにしました。[下に一部分 引用しています]
   
   引用元:http://ameblo.jp/hamamatsu-zen/entry-11254771638.html




老師の点検

私 [ Sさん ] :
先月のクリスマス坐禅会以降、また気づいたことがいくつかありますので、だらだら長くなりますが…。


掛川の老師:
どうぞ、どうぞ。(笑)

私:
老師から「坐禅をやめたらどうですか」と言われたんで、坐禅をやめて街をブラブラしてました。
で、地下道から地上に出た時、ふと見上げるとビルがあるんです。

その時に「あれっ、これじゃないか」と気づいたんです。


どういうことかというと、坐禅や仏法に出会う前から、いつでもこのビルを見たらこういうふうに見えてたじゃないか、昔からの平凡な自分の感覚のまんまでいいんじゃないかと気づいたということです。


本当か?と思ってしばらく確認しながら歩いてたんですが、交差点に来ると赤信号がある。
待ってると青信号に変わる。

渡り終えると向こう側に渡っている。

なんだ、やっぱりこれじゃないか、と。


「坐禅を始めて2年半、俺はいったい何を見当違いのことをやっていたんだろう」とがっくりきて、
笑いがこみあげてきました。


嬉しくなってさらにブラブラしてたら、
10分ぐらいして「なんだ~これらは全て出てきちゃったものじゃないか。
出来上がってるんじゃないか。

結果として表れてきたものであって、
自分はそれに手の付けようがなく、
ただ立ち会っているしかないんだな」と気づきました。

で、家に帰って普勧坐禅義を読み返していたら、
「坐禅は習禅に非ず」という言葉が目に入って、
「ああ、そういうことか!」と本当に意味が分かりました。

坐禅の形に足を組んで、あとはもうすでに表れている昔からの平凡な自分に立ち会うというか、確認するというか、一緒にいるというか、それだけでいいんだ、と。


坐禅の初心者が最初に座ったその瞬間からちゃんと坐禅できてるじゃないか、と。

あまりに気持ち良くて、
そのまま3日間ほど坐禅やってたんですが、
買い物に出ようとして外に出ると風に草がなびいている。
おじさんがジョギングしている。

「な~んだ~、昔から今までみんなずっと一緒にいてくれたんじゃないか」と気づいてウルウルしました。

というところまで気づきました。


引き続きこんな感じで坐禅を続けていきますが、続ける上でさらにご指導ありましたらお願いします。



掛川の老師:
そのまま坐禅を続けてよいです。

ただ…今話を聞いている様子では、やっぱり、そういう様子っていうものをこっちで見ている。
どうしても「教え」と「自分」というものがあるね。

それ、それだけ。


観察しないこと、眺めないこと、事実にいるだけ。
見る人がいなくなって事実だけになります。

そうやって座ってください。

まあ、今おっしゃったとおり、どうするこうするということがなくなってるからいいじゃないですか。

    全文を読む




「今のありように本当にこう、いてごらん。他で見つかることはないんですよ。

「他の時間帯で」「どっか他所で」「何か」。そんなことはないです。今の様子の中にあるんだから、いつでも。

一番厄介な問題なんですよ、これ。坐禅して。
一番厄介な問題でしょ。

一応、形を作らせて止静を入れて、坐禅始めますよってって、一応そこに坐ってるけど、
鐘が鳴って、経行ですよとか、抽解があって止まって、
また坐るんです。

だけど坐ってる時のありようはどうあったらいいかっていうことが、一番問題なんでしょ。」― 井上貫道老師





坐禅の形・組み方(目・手・脚・口)―井上貫道老師 はこちら

大切なのは、どのように坐禅するかということです

井上貫道老師は、今の自分自身の様子(「事実」)を本当に見届ける(悟る・見性する)ための坐禅を教えておられます

体験談をすべて読む



上のボタンをクリックすると井上貫道老師参禅者の体験談がすべて最初から読めます。



【投稿後記】
Sさんは、井上貫道老師に参禅されている修行者の一人です。
(浜松の老師にも参禅されています)

すでにSさん自身が自分のブログに詳細に体験談を書かれていますが、すでに過去の記事となってしまっており、それを見つけにくいのでここに引用をさせていただきました。

3日間ぶっ続けに坐禅したときは、ご飯一回炊いたままでそれを食べていたと確か言われていました。

大変真摯な姿勢で修行に取り組んでおられることが分かります。
分からないことはそのままにせずに、老師に質問をし、体験があれば、老師に確認を求めておられます。

そこでお願いです。
Sさんのブログにコメントをして質問されることはご遠慮ください。Sさんに要らぬ負担をかけることになります。
Sさんはまだ修行者の一人です。法の上の質問は、師つまり仏道を体得し終わった人にするのが修行者としてのただしい尋ね方です。ですので、くれぐれもよろしくお願いをします。



ここに記載した・これから掲載する参禅者体験は、1年を経過しているものを選んで投稿しています。
投稿者は、インタビュアーやレポーターではありませんので、その後、その人がどのようにされているかは存じていませんし、その後の修行をインタビューしていません。

上記Sさんのように、個人を知っている人であってもできるだけ個人を特定できないように余分な情報は書かないようにしています。使用した人名のアルファベットは、その人の本名とは全く関係がありません。ZからAまでを逆順に使っていきますので、まずはYさん、Wさん、Uさん、Tさん、Sさんという順番になります。

↑このページのトップヘ